「散開!」
 悠介に言われるまでもなく、恵美は跳ねていた。直後、先ほどまで立っていた場所が弾け飛ぶ。
 アトラク・ナクアは、純粋な力でも、人間に勝る。
「逃げきれねえぞ、どうする!」
「戦っても勝ち目はない! 逃げるしかないだろう!!」
 叫ぶ葛原と、叫び返す悠介。
 確かに兄の言う通りだ。逃げ切れるとは思えない、だが、戦って勝てないのであれば、どうあがいても逃げるしかない。
 ならば、せめて。
「一太刀だけでも……!」
 この刀が届くとは思えない。それでも、やらなければいけない。
 恵美はアトラク・ナクアと距離を置くと、その巨体を眺めた。脳裏をかすめるのは、先ほど斬った巨蟹の姿。
 斬れないのであれば、斬りやすい場所を探せばよい。
 なるほど、道理だ。普段は体が先に動いてしまうせいで、そこまでじっくりと相手を観察したことはなかった。恵美は、兄たちがアトラク・ナクアの標的になっている間に、敵の弱点を探す。
 元来、それは井出の得意分野だ。自分が得意とするものではない。だが、彼をもってしても弱点は見つけられなかった。ならば、あとは自分の動物的な勘を頼りにするしかない。
 足の節。駄目だ、毒を発する足を斬れば、酸がまき散らされるかもしれない。刀が溶けるだけならばまだいいが、自分が溶けては戦えない。
背を覆う鱗の隙間。難しい、そもそも隙間というほどの隙間がない。瓦のように折り重なった鱗の隙間に刀を通すには、相手が動いていては無理だ。
顔、あるいは目。いや、不可能だ、確かに目は柔らかいかもしれないが、そもそも奴の眼前に体を差し出すなど自殺行為だ。
「どこでもいい、どこかないのか……!!」
 必死の形相で、アトラク・ナクアの姿をにらみ続ける。
 眺めていて、気づく。アトラク・ナクアの体表を覆う呪力は、どこか、流れているように感じる。
 そう、実際に流れがある。頭の方から尾に向けて、川が流れるように、呪力が流れている――。
 目に見えたわけではない。ただ、そう感じたのだ。
 恵美は、そんな自分の勘を信じることにした。足場にしていた枝を蹴飛ばし、アトラク・ナクアの背に刀を向け、
「でえい!!」
 気合と共に、流れに沿って刀を振るう。
 刃は、川を切り裂いた。
「ッ!?」
「ギィヤアアアアアアアアアアアアア!?」
 斬撃に驚いたのは、むしろ自分の方だった。斬れると思っていなかっただけに、すんなりと通った斬線に、むしろあっけにとられた。
「ッ!」
 すぐさま意識を建て直し、離脱する。暴れるアトラク・ナクアの背中に乗り続けることなどできはしない。
「恵美! お前、あいつを斬ったのか!?」
「何しやがった!?」
「わ、わかんない! ただなんとなく、呪力に沿って刀を入れただけだよ!」
「じゅ、呪力に沿う……?」
 恵美の説明では、悠介も葛原も理解できないようだった。それはそうだ、自分でさえ、自分がどうやって感じ取っているのか、よくわかっていない。
 だが、現実問題として、呪力に沿わせれば刀は入る。ならば、そうすればいい。
「……兄さん、葛原君、井出君、アメリア! ボクをサポートして。ボクが、あいつを斬るよ!」
「わかった!」
 返答は早かった。否、迷っている暇がなかった、と言うべきか。
 すぐさま散開する。初めて反撃を受けたアトラク・ナクアは、以前にもまして凶暴になっていた。
 振るわれる足の爪。それを、悠介は全力で弾き返す。
 その間にも、井出は解析を続ける。相手の挙動から、次の行動パターンを予測する。
「強酸が来ます!」
「やらせない!」
 打ち出された強酸は、アメリアの氷壁が受け止める。じゅう、と溶ける音が響く中、葛原の蹴撃が蛇を襲う。
「だりゃあ!」
 その程度で揺らぐ大蛇ではないが、多少なりとも衝撃は与えられる。
 そして、その程度の隙でも、恵美には十分だった。
「せえい!!」
 間隙を縫い、刀を振るう。斬撃は確実に大蛇の体を傷つける。
「どんどん行くぞ!」
 恵美は遠慮をしなかった。今までの鬱憤を晴らすように、斬撃を繰り返す。
 大蛇の体に、切り傷が少しずつ増えていく。体液が飛び散り、鱗が弾ける。
「ちっ……、逃げろ!」
 葛原の合図で全員が散った。暴れるアトラク・ナクアの尾が樹林をなぎ倒す。
「ギィィィィィィ!!」
 傷に、大蛇は我を忘れているようだった。獲物を狙うというよりは、単に痛みから逃れるように、ひたすら体を振り回す。
 問題は、その巨大さにあった。ただ暴れるだけでも、広範囲が弾け飛ぶ。巨木がなぎ倒され、かろうじて形を保っていた建物が破砕する。
 その様に、皆が翻弄される。徐々に、近づくことさえままならなくなってきた。
 今は勝機だ。だが、足りない。
「……」
 そして、それは恵美も感じていた。反撃こそできた、だが、まだ足りぬと。
 確かに刀は通る。それにより、わずかにダメージを与えることでもきる。
 だが、致命傷にはならない。このまま戦い続ければ、いずれは弱るかもしれないが、それ以前に自分の体力が尽きる。
 一撃でも喰らえば必殺の膂力りょりょく。体力が残っているうちに、致命傷を与えなければ――。
「もっと、もっと強い力だ」
 こんな時、『カグツチ』が使えればと思う。莫大な呪力さえあれば、もっと大きなダメージを与えられる。
 それが理想だとわかっているのに、それを行使できない。そのジレンマ。
 せめて、もっと呪力があれば、なんとかできるかもしれないのに。
「……もっと呪力があれば?」
 自分の思考に、恵美は自分で疑問を持った。
 呪力量には限りがある。では、どうすればいいか。
 一度に発揮できないのならば……、溜めることは?
「そう、だッ!」
 恵美は、アトラク・ナクアに感じているのと同じように、自分の内側に意識を向けた。
 そう、自分の中にも呪力は流れている。その流れを感じ、さながら川の流れをせき止めるように、踏ん張って力を溜めていく。
 下腹部に集まりだしたエネルギーは、徐々に量を増し、自分の力を引き出していく。
「そう、この、感じだ……」
 『カグツチ』に近い、莫大な呪力。それを、一度に作るのではなく、時間をかけて作っていく。
 暴れるアトラク・ナクアと兄たちを、兄たちが応戦している。今は焦ってはならない。中途半端に溜めた力では、アトラク・ナクアには通じない。
 はやる気持ちを抑え、自分の内側に集中を続ける。
 やがて、音も振動も気にならなくなってきた。ただ自分の中に集う呪力だけが、澄み切った湖面のように感じ取れる。
 湖面は徐々に水量を増やしている。少しずつ、けれど、確実に。
「流れを、感じて……」
 チャンスは――今!!
「ふッ!!」
 裂ぱくの気合と共に、恵美は飛び出した。もはや、敵以外の何も視界には映らない。
 ただ、敵を斬る。そのためだけに自らを一振りの刀と化し、突撃する。
「消えろォ!!」
 恵美の全力を込めた斬撃が、アトラク・ナクアの背に吸い込まれ――その体を切り開く。
「ギャアアアアアアアアアアアア!!」
 悲鳴が高くこだまする。
 会心の一撃。アトラク・ナクアはよろめき、這いつくばる。
「全身の呪力量が減りました! 今なら行けます!!」
 井出の解析と共に、悠介たちも反撃に出た。
 悠介の生み出す斬線が右の足を、葛原の蹴りが左の足を引きちぎる。
 体液をまき散らしながら、のたうち回る変種に、さらに恵美の刀が突き刺さる。
「ギッ……!!」
「アメリア! トドメを!!」
 上あごから下あごまでを縫いとめた恵美は、巨蛇の頭上で叫ぶ。
 その時にはすでに、アメリアの両手を冷気が覆っていた。
「消えちゃええええええええええ!!」
 全力の氷剣。
 空中に生まれた氷は、空と大地を繋ぐ。その間で横たわる化物と共に。
「ァ……」
 アトラク・ナクアの体から力が抜ける。
 断末魔さえ許されぬまま、彼はその生を終えることになった。



 巨大な死体が目の前に転がっている。
 アトラク・ナクアの遺骸は、もはやただの肉塊でしかなかった。
「……」
 その塊を、皆が茫然と眺めていた。
 内の一人、葛原のもとへ、小柄な少年が寄ってくる。
「葛原さん」
「なんだ」
「仇、取れたでしょうか」
 井出の問いかけに、葛原はそっと首を横に振った。
「あいつはもういねえ。だから、関係ねえ」
「……そうですね」
 葛原の言葉に、井出は小さく頷いた。



 井出たちと少し離れた樹上に、アメリアの姿があった。
 異国の少女は、高いところからアトラク・ナクアの死体を見つめる。探しに探した、憎き両親の仇。
 自分で殺した。確かに、復讐はした。だが、失ったものを取り返すことは、もうできない。
「結局、なんだったのかしら」
 自分が生きてきたのは、何のためだったのか。
 こんな、空虚な気持ちを味わうため?
 復讐に身を焦がし、命をかけて、たくさんの命を奪って。
 その結果が、こんなもの?
「……つまらないわ」
 そう、つまらない。面白くない。こんなものが人生だったのだろうか。
 動く気力さえ失ったアメリア。そんな彼女のところに、
「あ、こんなところにいたんだ」
 ひゅっ、と影が落ちてきた。見上げずとも、それが誰かは分かっていた。
「何? 帰還するの?」
「まあね。けど、その前に」
 アメリアの手を取り、恵美は言う。
「アメリア。友達になろう?」
「何のこと?」
「両親の仇を殺して、それで気が済んだかい」
 恵美の問いかけに、アメリアは答えられなかった。それは、彼女が今しがた、自分で疑問に思ったことだった。
「生きるって、復讐するとか、そういうことじゃない。過去を見続けて、足を止めることじゃない。ボクと一緒に、未来に生きよう」
「……」
 アメリアは、そっと恵美の手を握り返す。
 本当に、得難い少女だ。彼女は、こんな絶望ばかりとなった現実の中で、それでも輝いている。
 光そのものだ。
「わかったわよ。エミは友達。それでいい?」
「ああ、それで十分だ!」
 パっ、と花が咲いたような笑顔を見せる恵美。その笑顔に、心が少しだけ沸き立つ。
「ん……」
 何故だか、緊張する時間は過ぎ去ったはずなのに、心臓が早鐘を打つ。
 けれど、その気持ちは、悪いとは感じなかった。
「おーい、恵美! 降りてきな!」
「あ、はーい! 行こう、アメリア」
「う、うん」
 恵美に手を引かれ、巨木から飛び降りる。
 その感覚は、新しい世界に飛び込むような――不思議な快感を伴っていた。



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