茅野が自室で次の作戦について考えていると、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
 声をかけると、悠介が顔を覗かせた。
「悠介君か。珍しいな」
「すみません。茅野さんに聞いてみたくて」
「俺に答えられることなら」
 室内に入った悠介は、座ることもせず、茅野をじっと見つめる。
「どうしたんだい、悠介君」
「……茅野さん。Bアンプルを呪力保持者に投薬するとどうなります?」
「そういう質問は甲斐博士にすべきだな」
「何も起きない。それが正解ですよね?」
 茅野は頷くことも否定することもせず、ただ悠介を見返す。
「呪力保持者に投薬するだけで呪力が強化されるのなら、茅野さんはとっくにためしている。そうしないのは、あなたに投薬しても劇的な変化が起きないからでしょう。Bアンプルは人間を呪力保持者に改造する薬であって、呪力保持者を強化する薬じゃない」
「そうかもしれないな。それが?」
「茅野さん。僕は、もっと強くなりたいんです。今の、力不足な自分のままでいたくない。その答えを、あなたは持っているんじゃないかと」
「どうして俺が持っていると思った?」
「茅野家は呪力保持者の家系でしょう?」
 沈黙が落ちた。
 先に口を開いたのは、茅野だった。
「おじいさんから聞いたのか?」
「ええ、まあ。今まで黙っていましたが」
「なら、どうしてこのタイミングで、そんなことを聞く?」
「必要だからです。教えてください。あの、変種の頭から出てきた黒い物体。あれが呪力を吸収する能力を持っているのなら、それを手にすれば……、呪力保持者とて、もっと大きな呪力を発揮できるようになるんじゃありませんか?」
「答えはイエスだ。だが、ノーでもある」
「どういうことですか?」
「あれはイザナミと呼ぶものだ。生物に寄生し、呪力を発揮し、小型種の呪力を吸収する。その能力を呪力保持者が手にすれば、当然、より強い呪力を吸収できるようになるだろう。だが、それは、人間がイザナミになるということだ」
「それは……?」
「呪力保持者は、他人と違う力を持ち、他人と違う遺伝子構造をしているが、人間の一種であることには違いない。だが、イザナミに寄生された存在は、もはや人間ですらない。イザナミが命じるまま、他人を殺し、呪力をあさるだけの存在になる」
「……」
「確かに、強い力は手にするかもしれん。だが、その代償は、人間の敵になるということだ。それでは意味がない。手にした力を人間のために使えるようになって、初めて力と呼べる」
「だから、今までイザナミのことは黙っていたんですか?」
「半分はそうだ。イザナミの力を研究する過程でイザナミに取り込まれてしまえば、二次災害を引き起こす。それも、今までとは比べ物にならない被害だ。なにせ、世界を守る希望がついえることになる」
「もう半分は?」
 その質問に、茅野はすぐに答えなかった。しばし口を閉ざし、床に視線を落とす。
「……恐ろしかった」
 ぽつりとこぼれた言葉は、部屋に響いた。
「あれは大災害を引き起こしたトリガーだ。あれひとつで世界は大きく変わってしまった。そんなものを実際に見たいと思うほど奇特な人間はそうそういないだろう?」
「でも、甲斐博士を止めませんでした」
「止める資格など俺にはない。それに、確かにイザナミについて知ることは、世界を取り戻すのに必要なことでもある」
 茅野は悠介を見上げる。
「悠介君。君の強くなりたいという願望は間違っちゃいない。呪力保持者なら誰でも願うことだ。より強い力が欲しくなる。だが、それを手にすることはできない。それは、もう人間の分を超えた領域なんだ」
「人間の……」
 ぐっ、と悠介は拳を握りしめる。
「けど、僕は――」
「悠介君。俺たちは人間だ。あくまで、人間のままで変種に勝たねばならない。そうしなければ、全てが水泡に帰す」
 しばし悠介は拳を握りしめていた。五分もした頃、ようようその手から力が抜ける。
 手には、血がにじんでいた。
「茅野さん。僕は……」
「君は十分に強い。今までの犠牲は君のせいじゃない」
 悠介は目を細めた。ゆがんだ表情を見ながら、茅野は続ける。
「力だけで人を守ることはできない。俺は大きな失敗を経て、ようやくそんなことに気がついた。力は正しく使って、初めて意味がある。君の妹さんのようにね」
「恵美ですか……」
「ああ。彼女は力も強いが、何より心が強い。他人を守る、そのことに何の疑問もない。アメリアを捜索すると言った時に思ったよ。けど、それは時に危うくもある。お兄さんの君が妹さんを支えてあげることもまた、世界に必要なことなんじゃないか?」
「僕が、恵美を支える……?」
「そうさ。家族が生き残った人はそう多くない。君たちは貴重な兄妹だ。大切になさい」
「……そうですね。ありがとうございます」
 一礼した悠介は、きびすを返した。
「頼むよ」
 その背中に、茅野は声を投げかける。
 自分は結局、何の力もないままだ。彼らに頼ることしかできない現状。
 茅野は改めて、手書きのメモに視線を落とした。次の作戦目標はどうすべきか、井出から貰った情報をもとに、様々な考えが書かれている。
「これが俺のやらなきゃいけないことだ」
 力がないなら、せめて知恵を絞らなければ。
 神威の手は多くない。その手で世界を取り戻そうと思えば、難しいのは当たり前だ。
 その難題を解決してこそ――世界を崩壊させた自分は、贖罪ができるのだ。
 茅野はペンを手に取ると、また文机に向かった。



 悠介は廊下を歩いていた。
 目的地はない。より正確に言うのなら、頭の中が他のことでいっぱいのせいで、歩くという動作を意識すらしていないのだ。
「恵美の力に……」
 ぽつりと、思考が漏れる。
 悠介の脳裏に浮かぶのは、たった一人しかいない、妹の姿。
 今の妹を祖父が見たら、なんと言うだろうか。
 いまや、恵美は確かに祖父を超えた。しかも、彼女は祖父と違って、今が天井ではない。『カグツチ』を失ってさえ、彼女は成長を続けている。
 彼女はどこまで行き着くのか。その先とは、どうなっているのか。
 悠介には、想像だにできなかった。
「……」
自分はどうしたいのか。何をなすべきか。
 決断できないまま、悠介は足を止めた。ふと気がつけば、自室にたどり着いていた。
 部屋に戻り、悠介はベッドに腰掛ける。
 隣の空間に目をやる。ここに座ると、嫌でも鳴海のことを思い出す。
 振り払うように視線を泳がせた悠介は、部屋の片隅に折れた刀を見つけた。
 恵美がアジ・ダハーカを倒す時に使った刀だ。祖父の遺品ということもあり、回収したそれを、恵美に返しそびれていた。
 それを眺めていた悠介は、ようよう、自分の中で何かが形になるのを感じた。
「協力してくれ、か。冗談じゃない」
 悠介はポケットから携帯電話を取り出し、教えられた番号を入力していく。
 答えは、もう決まっていた。



 自衛隊駐屯地。
 神威の拠点に併設された建物で、自衛隊員の久留米は銃の手入れをしていた。
 支給された銃器とはいえ、自分で整備すれば愛着も湧く。性格通り、丁寧に整備をしていると、先輩の自衛官に声をかけられた。
「おい、久留米。電話だぞ」
「あ、はい」
 久留米は仕上がった銃を元に戻すと、先輩のもとへ駆け寄る。
 衛星で電波を繋ぐ衛星電話は、未だに生きている。先輩は久留米に受話器を渡し、
「神威の連中からだ。名前は……、忘れた」
「適当なんですから……。はい、お電話代わりました、久留米です」
 しばし受話器の向こう側にいる相手と受け答えをした久留米は、
「え? アメリアが? ……はい、わかりました。やってみます」
 そう締めくくり、受話器を置いた。
「なんだ、あのお嬢ちゃんか」
「ええ。なんだか落ち込んでいるらしいんで、手紙で元気づけたいんですって。けど、英語が書けないから、代筆を頼みたいとか」
「はあん。ま、お前にしかできないことなら、やってやれ」
「はい、ですが、時間は?」
「任務もクソもない情勢だ。お前は神威のサポートのためにいるんだから、気にするな。行ってこい」
「そうですか? じゃあ、ちょっと行ってきます」
 先輩に敬礼し、久留米は駆け足でホテルに向かった。
「あいつもわかりやすい奴だな」
 苦笑し、先輩自衛官は、自分の仕事をすべくきびすを返した。



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