恵美は自室ですることもなく、ただベッドに寝転がっていた。
 甲斐が発見した、謎の黒い物体。その調査・研究に入ってしまったせいで、恵美はかえって任務がなくなってしまった。
 元来は遊撃班だった恵美は、特別な指令――甲斐が出すようなそれ――がなければ、基本的には暇を持て余すことになる。
「うー、退屈だ。狩りにでも行きたいなぁ」
 ケモノ狩りをしていれば退屈もまぎれるが、神威という組織で動いている以上、そう自由気ままに動くわけにもいかない。
「退屈ぅ……、ん?」
 その時、扉がノックされた。声をかけると、扉がゆっくりと開く。
「あれ? 鳴海さん?」
 そこにいたのは、首相秘書の鳴海だった。さして親しいわけでもない彼女が恵美の部屋を訪れたのは、初めてのことだ。
「どうしたのさ、いきなり」
「伝言を頼まれたから、ちょっと寄っただけ」
 そう言って、鳴海はふんわりと微笑む。
「アメリアちゃんから。話したいことがあるんですって」
「アメリアから? ふうん……、なんでまた鳴海さんが伝言を?」
「さあ? 頼まれた私にはわからないけど。まあ、神威の人に知られたくなかったんじゃないかしら。そこで、たまたまここにいた私に頼んだんじゃない?」
「みんなに知られたくないこと……? なんだろう」
「それは本人に聞いてね。ホテルから北に3キロメートルくらい行ったところに、高校があるでしょう。そこで待つって言っていたわ」
「あそこか」
 その高校は、植物被害こそ受けているものの、建物はまだ無事に建っている。密談に使う程度ならば悪くないかもしれないが。
「また変なところを指定するなあ。まったく」
 とはいえ、退屈していたのは事実。恵美はベッドから降りると、
「ありがとう、鳴海さん」
「いいえー」
 そのまま自分の部屋を飛び出した。
 振り返らなかった彼女は、鳴海が深い笑みを浮かべていたことなど、露ほども知らないままだった。



 拠点から北へ跳ぶと、その建物が見えてくる。
 もともとは私立の高等学校だった場所だ。植物に汚染された前庭と、かろうじて形を保っている3階建ての建物。建屋は窓も割れ、外壁の一部も崩れており、屋上にあった給水塔には避雷針が突き刺さっていた。
 正面玄関前に降り立った恵美は、風通しがよくなったガラス製の扉をくぐり抜け、中に入った。
 昇降口を抜けると、教室が並んでいる。アメリアは高校で待っているとのことだったが、今さらながら、高校という場所も、歩けば広かったのだと思い出す。
集合場所がわからない恵美は、あてもなく廊下を進む。すると、扉がなくなっている教室を見つけた。中を覗いてみると、ひどく荒れていた。
整然と並んでいたはずの机は、あるものは倒れ、またあるものはひしゃげている。あちらこちらに血痕が残り、教卓は窓の向こう側に転がっていた。
それでも、恵美にはなんとなく懐かしい感じがした。
「恵美、こんなところにいたの」
振り返ると、金髪碧眼の姿。アメリアが教室に入ってくるところだった。
「アメリア」
「……どうしたの、たそがれて」
「いや……」
窓の外に目を向ける。校庭が広がっていたはずの場所は、いまや巨木の楽園だ。
「懐かしいな、って思って」
「恵美、ここのハイスクールに通っていたの?」
「そうじゃない。なんとなく、懐かしい雰囲気って言えばいいのかな? ボクもまだ高校生だしね」
高校はもはや存在しないだろうけど、と心の中でつぶやく。あの大災害は、皆からいろいろなものを奪った。自分の日常も、その一部だったのだ。今さらながら、改めて気づかされる。
「本当なら、高校に通って、菜々や、他のみんなと勉強したり、遊んだりしていたのかもしれない。それがなくなったって事実が、ちょっとさびしいのかも」
「……恵美でも、そんなことを思うのね」
「ボクでもって何さ」
「恵美はもっとずっと、強いのかと思っていたわ」
 恵美の口元が思わずゆるむ。
「ボクだって一人の人間さ。感傷に浸ることくらいある」
「そんな風に見えないわ」
「だったら、それは使命感さ。八雲として、ボクは足を止めている暇がない」
「それだけで、そこまで走り抜けることができるのだから、あなたはやっぱり凄いのよ」
 あたしには無理だったわ、とアメリアは続ける。
 どちらからともなく、二人で窓辺に立った。
 景色が良いわけではない。何が見えるわけでもない。ただ、二人とも、なんとなく肩を並べたくなったのだ。
 青春の一コマのように。
「……ねえ、恵美。そろそろ話してくれない?」
「何を?」
「あたしをここに呼んだ理由」
「え?」
 恵美は思わず隣を見た。アメリアの青い瞳が自分を見上げている。
「わざわざ、こんな場所まで呼んだんだもの。何かあるんでしょう?」
「何か、って、それがあるのはアメリアじゃないの?」
「あたし? どうして?」
「だってアメリアがボクをここに呼んだんじゃないか」
「あたしが?」
 アメリアは怪訝そうに眉をひそめ、
「そんなことしていないわ。あたしは、あなたが手紙をくれたから、ここに来たのよ」
「手紙? そんなの書いていないよ」
「嘘よ、だってこれ……」
 アメリアはポケットから一枚のコピー用紙を取り出した。手書きの英文が書かれている。
「ボク、英語なんか書けないよ!」
「そうなの?」
「英語で話したことなんかないじゃないか!」
「そういえば……。ユースケが話せるから、てっきり思い込んでいたわ。そうね、あなたが英文なんて、考えてみればおかしいわ」
「そうだよ! おかしい、何か変だ」
「おかしいってどういうこと? 恵美はどうしてここに?」
「ボクは鳴海さんに言われたんだ。アメリアから伝言を預かった、アメリアがここで待っているから、って」
「あたし、ナルミに伝言なんかしてない!」
 沈黙が落ちた。何かが決定的に食い違っている。
「戻ろう、嫌な予感がする」
「ええ」
 二人とも窓から飛び出すと、拠点の方に足を向けた。
 ちょうどその時、
「ッ!?」
 ズシン、と遠くで何かが砕ける音が響いた。
「急ごう!」
 居ても立ってもいられず、恵美は弾丸のように飛び出した。



 駆ける足ももどかしく、ひたすら前へ。
「ッ……!」
 拠点の前に降り立った時、恵美は言葉を失った。
 そこにあったのは、人類の希望となる拠点などではなく、ただの廃墟だった。
 ホテルは上半分が吹き飛び、なくなっている。むき出しとなった鉄骨はひしゃげ、そこらじゅうにコンクリート片が散らばっていた。
 併設された駐屯地もひどい有様だった。降り注いだコンクリート片が建物に突き刺さり、その外壁を崩している。あちらこちらから悲鳴や泣き声が聞こえ、自衛隊員があわただしく駆け回っている。
「アメリア、駐屯地を見てきてくれるかい。ボクは拠点を見てくる」
「う、うん、わかった」
 見れば、アメリアも顔を青くしていた。が、すぐに気持ちを建て直し、ふたりは駆け出す。
 正面玄関から飛び込んだ恵美は、すぐに気づいた。
 生臭い、せきこむような臭い――血だ。
 刀を手に、恵美はゆっくりと歩みを進める。各所に神威のメンバーだった者たちが倒れていた。
「……」
 非戦闘員の面々だ。誰もかれも、全身から血を噴き出している。中には腕や足がない者もいる。生死など確かめるまでもなかった。
 死体を追いかけるうち、会議室にたどり着いた。扉の前にも死体が転がっている。
「……久留米さん」
 その名前を呼ぶ。
 自衛官の久留米は、半分に切断された自動小銃を持っていた。久留米自身もまた、体がふたつのパーツに分かたれている。
 おそらくは、襲撃を感知し、構えるまでは至ったのだろう。だが、そこでまっぷたつにされた。
 恵美は奥歯をかみしめ、会議室に入った。
 甲斐が研究に使っていた部屋だったが、今や惨劇の舞台だ。壁際に一人、部屋の中央あたりに一人。
 一人は強い力で壁に叩きつけられたのだろう。潰され、壁一面を真っ赤に染めている。
 もう一人は首も手足も引きちぎられ、胴体だけが転がっていた。散らばった手足は、おそらくそこらに転がっている肉片のことだ。首は机の上を転がっていた。
「織部君に、福島君か……」
 拠点を防衛していた第一班の二人だ。彼らと特別に親しくしていたわけではないが、神威の仲間だった男たちだ。
「君たちでも、かなわない相手だったのか」
 拠点防衛をしていた彼らは、武術の心得もある人間だった。なにより、彼らは呪力保持者だった。非戦闘班の子たちと違い、彼らは十二分に戦えたはずだ。
 なのに、そんな彼らでも、虐殺された。それほどの相手が拠点を襲撃してきたのだ。
 恵美はきびすを返すと、玄関に戻った。これ以上の捜索は無意味だ。
 玄関ホールに戻った恵美は、ふと上を見上げた。
 天井に死体が突き刺さっている。顔が見えないものの、服装からして、第一班のリーダーを務めていた有田徹だ。先ほどは気づかなかったが、あるいは、玄関から逃げようとする敵を仕留めようとしたのかもしれない。
 襲撃犯は、玄関から飛び出して行った。それは間違いなさそうだ。
 有田の死体を見上げていた恵美は、その姿に、ふと気がついた。
 浅く、全身を何かに裂かれている。その傷跡は見覚えがあるものだった。
 思い起こす。久留米は体を両断され、織部は潰され、福島はバラバラにされた。
 どんなケモノに襲われたのか。恵美は、それがなんとなくわかった。
「……冗談では、ないんだね」
 拠点をここまで破壊し、蹂躙した理由はわからなかった。だが、こんなことができるケモノなど、他には思い当たらない。
 恵美は足を曲げて力をためると、思い切り地面を蹴って飛び出した。



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