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弾かれた老爺は受け身さえ取れぬまま、地面に叩きつけられる。 「おじいちゃ……!」 慌てて駆け寄った恵美は、思わず口を押えた。 たった一撃だ。『タヂカラ』で身を守っていたはずの祖父は、しかし、誰が見ても死に体そのものだった。 直撃を受けた右腕はぐちゃぐちゃに崩れ、もはや原形をとどめていない。空中では衝撃を殺すこともできず、道路に叩きつけられた半身は骨が砕け、血まみれになっていた。 祖父の手から刀が滑り落ちる。 祖父の有様に、かすかに震える恵美。そんな少女を現実に引き戻すように、ケモノは遠吠えをあげる。 顔をあげた先では、ケモノがこちらを見据えていた。祖父の斬撃によって隻眼となったケモノは、明らかにこちらを憎んでいた。 「ボ、クは、八雲だ」 震える手で、血に濡れた刀を取る。 「おじいちゃんが言っていた。八雲は、逃げちゃいけないって」 かなわずとも。 今ならば、祖父の言った意味が理解できる。あれほどのケモノだ。人の手で勝てる代物ではない。 だが、やらねばならない。勝たねば、人類は絶滅する。 「おじい、ちゃん。ボク、やるよ」 刀を手に。内に眠る自分を叩き起こす。 祖父はいけないと言った。だが、ここでやらねば、全てが終わる。その確信がある。 なればこそ、出し惜しみはできない。 「参の太刀! 『カグツチ』!!」 それは、自分の中に秘める力を、全力で引きずり出す奥義。 「行くぞ! 化物めッ!!」 叫びで自らを鼓舞し、恵美は跳ねた。 刀を鞘に納め、青年は吐息した。 「なんとか収まりましたか」 「とりあえず、この場だけはな」 青年の隣で、白衣を着た妙齢の女性が煙草に火をつける。紫煙がゆっくりと立ち上った。 そこは、地方の空港だった。成田や羽田と違って、規模は小さい。だが、それでも空港なだけに、それなりの広さがあった。 だが、その広さも、雑多な品が転がっていれば、手狭に見えてしまう。 あちこちで衝突し、あるいは崩れ落ちた飛行機の残骸。燃えている航空燃料は、いまだ尽きる気配がない。 本来ならば空港専用の消防車がいちはやく駆けつけるはずだが、それを運転する者もおらず、空港は閑散としていた。 そんな、飛行機の墓場と化した空港の中心。そこに、巨大なケモノの死体が転がっていた。 セスナなどゆうに超す体格。おそらくはゴリラに近しい種類だったのだろうが、あれだけの巨体では、そうと判断しかねる。 しかも、同じ死体が、他に三つも転がっている。合計で四体。異常な数だった。 それらすべてをさばいた青年を見下ろし、女性は頬をかく。 「お前が言っていた意味が、ようよう理解できたよ。確かにあれは獣とは呼べんな」 「そうでしょう。しかし問題がふたつあります」 「言ってみろ」 青年はひとつ頷き、指を立てた。 「ひとつ。僕は、あれほど大きなケモノを見たことがありません。そして」 青年は二本目の指を立て、 「僕は、八雲の裏山以外で、ケモノを見たことがない。ましてや、こんな市街地にケモノが現れたこと、一度もありません」 青年の言葉に、女性は頷く。 「ついでに補足してやろう。あれだけのケモノが現れておきながら、いまだに警察も自衛隊も来ない。それはどういう意味だと思う」 「……まさか、他の場所にも?」 「おそらくな。今頃、街中は大混乱になっているんじゃないか」 「なら、早く行かないといけませんね」 「行って、それでどうなる。確かにお前は強い。その刀だけで、これだけのケモノを討伐せしめた腕前は認めよう。だが、どれほどの数がいるかもわからん戦場に、情報もなしに飛び込むのは危険だ」 「ですが、このままでは多くの人が……」 「大局を見据えろ。今、お前が無理をし、無駄に命を散らせば、被害が拡大する」 女性は携帯電話を取り出すと、見知った番号にコールした。 「私だ。実はな、空港に到着はしたんだが、ちと面倒なことになっていて……、なんだ。知っているなら話は……、なに? 世界中?」 電話の相手が語る言葉に、女性は眉間のしわを深くする。 「ああ。ああ、わかった。早めに頼む」 通話が終わり、白衣のポケットに携帯電話を戻しながら、女性は言う。 「迎えをよこすそうだ。それと、事態はかなり深刻らしい」 「世界中と言っていましたね。まさか」 「その、まさかだ」 くわえていた煙草を投げ捨て、女性は空を見上げた。 「世界中にケモノが現れたそうだ。いまや、地球が大混乱といった情勢らしい」 「はぁ、はぁ……」 刀にすがり、恵美はようやく体を起こしていた。もはや、立ち上がる気力さえ残っていない。 恵美の前には、あの巨大なケモノが倒れ伏していた。無数の斬線を刻まれた体からは、どろどろと体液があふれ出している。 老爺の一太刀は、決して無駄ではなかった。あの斬撃がなければ――死角が生まれていなければ、反撃もままならなかっただろう。 むせかえるほどの血臭。軽くせき込み、恵美は顔を上げる。 「おじいちゃん……」 視線の先では、祖父が先刻とまったく変わらない姿勢で倒れていた。 こちらを向いた顔からは、生気が感じられない。その目は、すでに色を失っていた。 「嘘だって言ってよ」 いつも暖かく迎えてくれた祖父。剣術だって、八雲の力だって、すべて教えてくれた祖父。 だが、あの頼りになる老爺は、もはやこの世にはいない。 「……みんな、死んじゃったよ」 見るまでもなくわかる。 近くの住宅は壊され、道はなくなり、人はおろか動物の気配さえない。 死んだように静かな町。果たして、どれだけの死者が出たのか。 ――考えたくもない。 「ボク、守れなかった」 はらりと頬をしずくが伝う。 「ごめんね、おじいちゃん……」 もはや限界だった。 心も体も疲れ果てた少女は、そのまま地面に倒れ伏す。 カランと転がった刀だけが、少女を守るようにきらめいていた。 |