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放課後。 ホンダリサーチは、学校から電車で三駅ほどのところにあった。 駅から徒歩十分。雑居ビルの二階に、看板が掲げられていた。 ガラス扉は半透明というか、向こう側が見通せない。だけど、人の気配はあった。私は緊張しながらも、扉を押し開く。 ぎい、と開いた扉。開けてすぐのところに応接セットが置いてあった。右側には衝立。左側には事務机。 そして、その事務机に足を乗せて、居眠りしているおじさんが一人。 「……あの」 寝ている人を起こすのもはばかれたけど、他に人はいない。声をかけると、おじさんが体を起こした。 「ん……、ああ、これは失礼」 おじさんはボサボサの頭に手を突っ込み、ガリガリと引っかく。緩んだネクタイに、皺のあるスーツ。どう見ても、普通のサラリーマンじゃないけど……。実際、普通のサラリーマンじゃないんだから、間違いじゃないかな。 「いらっしゃい。ホンダリサーチへようこそ。何かご相談で?」 「え、っと」 「じゃあ、まずはこちらへ」 応接セットに座らされる。私は鞄をぎゅっと抱いたまま、おじさんを待つ。おじさんはすぐにコーヒーカップを手に戻ってきた。衝立の向こう側は、台所みたいなスペースになっているんだろうか。 コーヒーを私の前に置き、自分も一口すする。カップを置いたおじさんは、おもむろにポケットから名刺入れを取り出した。 「ホンダリサーチ所長、本田武です」 「あ、えっと、源愛梨です。明桜学院の一年生です」 「源さん、と。それで、ご相談内容は?」 「その前に。えっと、ここ、心霊現象の調査……、とか、してくれるんでしょうか」 思い切って聞くと、本田さんは、普通に頷いた。 「ええ。というか、そういう案件の専門ですが。普通では考えられない事象、かといって、神社やお寺に相談するのも、なんとなく違う気がする。そんな事象の調査依頼を受け、必要に応じて解決策を施す。それがうちの業務です」 「神社や、お寺……」 そんなこと、考えたこともなかった。 けど、確かにそうだ。心霊現象といえば、というか、霊といえば、本当は神社やお寺の方が正しいのかもしれない。だけど、近所の神社にいる宮司さんに頼んで、お祓いしてくださいって言うのも、なんだか違う気がする。 それは、私が今感じていることを代弁してくれたような言葉だった。 だから、安心して、話そうと決めた。 私は、本田さんに、家で起きていることを全て話した。 消えるカッター。消えるヘアゴム。 聞いただけじゃ、普通の人なら一笑に付すような話だ。なのに、本田さんは、真面目な顔をして聞いてくれた。それだけで、私は安堵した。 「なるほど」 話を聞いた本田さんは、私のことを見返し、 「質問、いいでしょうか」 「あ、はい」 「それを感じ始めたのは、引っ越してから? 引っ越す前の家では、そんなことはなかった?」 「あ、えっと……、はい。最初に気付いたのは、引っ越した後、片付けをしていた時ですから」 「では、家の外で事象を感じたことは?」 「それは、ありません」 「なるほど。他に気になる事象は? 物がなくなる以外で」 「それは……」 一瞬だけ口ごもり、けれど、全てを話そうと心を決めた。 「気のせい、かもしれませんけど、子供の声を聞いた気がするんです」 「子供の声?」 「はい。小さな子供が転んで泣いているような。そんな声です」 「ご近所にお子さんは?」 「同じマンションにはいるかもしれませんけど、見たことはありません。もともと、うちの近く、小学校から少し離れているんで」 「子供が遊び場にしているような事実もない?」 「見たことはないです」 「なるほどね」 本田さんはぽり、とボサボサ頭を引っかき、 「ご相談内容を聞く限り、確かに超常現象が起きているようにも見受けられます。けれど、勘違いの範疇と言えなくもない。微妙なラインだ。それは、わかりますね?」 「はい」 私は頷く。だからこそ、相談をためらったのだから。もっとわかりやすい心霊写真とかなら、きっともっと簡単に相談できた。 自分一人の勘違いかもしれない。そんなことで騒ぎ立てるのは恥ずかしい。だから、何も言えない。 あるいは、心霊現象に接する人は、みんなそうなのかもしれない。 「簡単にできるアドバイスですが、まずは事象を確定させるところから始まると思います。それが勘違いなのか、そうではないのか。たとえば、部屋の様子をスマホのカメラで撮影しておく。しばらくして、何かが移動した時、カメラの写真を見る。そうすると、自分自身でも動かしていないことがはっきりする」 「あ……、なるほど」 「自分の勘違いかもしれない、という可能性は、そうやって潰すことができる。自分が触っていないのに物が動く。そうなれば、普通はおかしい。少なくても、枕元にあったスマホが机の上に移動するのは、地震があったって無理だ。となれば、なんらかの異常があることになる。それ以上の原因は、現地を調査しないとわかりませんが」 「現地、見に来てもらえるんですか?」 「ええ、ご要望とあれば。ただし、あなたは未成年ですので、ご両親の了解を得てから、ということになりますけど」 私は一瞬だけ迷い、次の瞬間には頷いていた。 「お願いします」 |