放課後。
 ホンダリサーチは、学校から電車で三駅ほどのところにあった。
 駅から徒歩十分。雑居ビルの二階に、看板が掲げられていた。
 ガラス扉は半透明というか、向こう側が見通せない。だけど、人の気配はあった。私は緊張しながらも、扉を押し開く。
 ぎい、と開いた扉。開けてすぐのところに応接セットが置いてあった。右側には衝立。左側には事務机。
 そして、その事務机に足を乗せて、居眠りしているおじさんが一人。
「……あの」
 寝ている人を起こすのもはばかれたけど、他に人はいない。声をかけると、おじさんが体を起こした。
「ん……、ああ、これは失礼」
 おじさんはボサボサの頭に手を突っ込み、ガリガリと引っかく。緩んだネクタイに、皺のあるスーツ。どう見ても、普通のサラリーマンじゃないけど……。実際、普通のサラリーマンじゃないんだから、間違いじゃないかな。
「いらっしゃい。ホンダリサーチへようこそ。何かご相談で?」
「え、っと」
「じゃあ、まずはこちらへ」
 応接セットに座らされる。私は鞄をぎゅっと抱いたまま、おじさんを待つ。おじさんはすぐにコーヒーカップを手に戻ってきた。衝立の向こう側は、台所みたいなスペースになっているんだろうか。
 コーヒーを私の前に置き、自分も一口すする。カップを置いたおじさんは、おもむろにポケットから名刺入れを取り出した。
「ホンダリサーチ所長、本田ほんだたけしです」
「あ、えっと、みなもと愛梨あいりです。明桜学院の一年生です」
「源さん、と。それで、ご相談内容は?」
「その前に。えっと、ここ、心霊現象の調査……、とか、してくれるんでしょうか」
 思い切って聞くと、本田さんは、普通に頷いた。
「ええ。というか、そういう案件の専門ですが。普通では考えられない事象、かといって、神社やお寺に相談するのも、なんとなく違う気がする。そんな事象の調査依頼を受け、必要に応じて解決策を施す。それがうちの業務です」
「神社や、お寺……」
 そんなこと、考えたこともなかった。
 けど、確かにそうだ。心霊現象といえば、というか、霊といえば、本当は神社やお寺の方が正しいのかもしれない。だけど、近所の神社にいる宮司さんに頼んで、お祓いしてくださいって言うのも、なんだか違う気がする。
 それは、私が今感じていることを代弁してくれたような言葉だった。
 だから、安心して、話そうと決めた。

◇ ◇ ◇


 私は、本田さんに、家で起きていることを全て話した。
 消えるカッター。消えるヘアゴム。
 聞いただけじゃ、普通の人なら一笑に付すような話だ。なのに、本田さんは、真面目な顔をして聞いてくれた。それだけで、私は安堵した。
「なるほど」
 話を聞いた本田さんは、私のことを見返し、
「質問、いいでしょうか」
「あ、はい」
「それを感じ始めたのは、引っ越してから? 引っ越す前の家では、そんなことはなかった?」
「あ、えっと……、はい。最初に気付いたのは、引っ越した後、片付けをしていた時ですから」
「では、家の外で事象を感じたことは?」
「それは、ありません」
「なるほど。他に気になる事象は? 物がなくなる以外で」
「それは……」
 一瞬だけ口ごもり、けれど、全てを話そうと心を決めた。
「気のせい、かもしれませんけど、子供の声を聞いた気がするんです」
「子供の声?」
「はい。小さな子供が転んで泣いているような。そんな声です」
「ご近所にお子さんは?」
「同じマンションにはいるかもしれませんけど、見たことはありません。もともと、うちの近く、小学校から少し離れているんで」
「子供が遊び場にしているような事実もない?」
「見たことはないです」
「なるほどね」
 本田さんはぽり、とボサボサ頭を引っかき、
「ご相談内容を聞く限り、確かに超常現象が起きているようにも見受けられます。けれど、勘違いの範疇と言えなくもない。微妙なラインだ。それは、わかりますね?」
「はい」
 私は頷く。だからこそ、相談をためらったのだから。もっとわかりやすい心霊写真とかなら、きっともっと簡単に相談できた。
 自分一人の勘違いかもしれない。そんなことで騒ぎ立てるのは恥ずかしい。だから、何も言えない。
 あるいは、心霊現象に接する人は、みんなそうなのかもしれない。
「簡単にできるアドバイスですが、まずは事象を確定させるところから始まると思います。それが勘違いなのか、そうではないのか。たとえば、部屋の様子をスマホのカメラで撮影しておく。しばらくして、何かが移動した時、カメラの写真を見る。そうすると、自分自身でも動かしていないことがはっきりする」
「あ……、なるほど」
「自分の勘違いかもしれない、という可能性は、そうやって潰すことができる。自分が触っていないのに物が動く。そうなれば、普通はおかしい。少なくても、枕元にあったスマホが机の上に移動するのは、地震があったって無理だ。となれば、なんらかの異常があることになる。それ以上の原因は、現地を調査しないとわかりませんが」
「現地、見に来てもらえるんですか?」
「ええ、ご要望とあれば。ただし、あなたは未成年ですので、ご両親の了解を得てから、ということになりますけど」
 私は一瞬だけ迷い、次の瞬間には頷いていた。
「お願いします」