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私の家は、ホンダリサーチから電車に乗って10分ほどのところにある。 ごく普通の6階建て賃貸マンション。その3階が私の家だ。 私がホンダリサーチを訪れてから数日後の土曜日。チャイムの音を聞いて、私は出迎えに行った。 扉を開けると、件のぼさぼさおじさんが立っている。今日も緩めのネクタイによれたスーツ、それに大きめの鞄を肩からかけていた。 「失礼、調査に来ました」 「お願いします」 本田さんを招き入れる。その前に、と本田さんは私を手で制し、 「ご両親は?」 「両親、共働きで。今日も仕事に行っています」 「土曜日ですが」 「昨日から帰ってきてないんです。忙しいって言ってました。二人とも同じ会社なんですけど、納期前の修羅場? とかで。システムエンジニアなんです」 「ああ、なるほど……」 まずは本田さんをリビングダイニングまで案内する。特徴のない我が家は、リビングスペースには普通にソファとかテレビが置いてあり、カウンター風のキッチンスペース脇には食事用のテーブルが置いてあった。なんというか、我ながら、本当に普通の家だ。 ――こんな家に、霊なんているんだろうか。 私がそんなことを考えていると、本田さんは大きめの鞄からいろいろな道具を取り出した。 「それ、なんですか?」 「これは温度計。こっちは水平器」 「温度計に、すいへーき?」 何の必要があるのか、よくわからないけど、まあプロの人がやることだし。 「あ、それより、お茶を用意しますね。それともコーヒー?」 「じゃあ、コーヒーで」 「はーい」 キッチンスペースへ。冷蔵庫からアイスコーヒーのパックを取り出し、氷と一緒にグラスへ注ぐ。 ついでに自分の分も入れて、ガムシロップなんかと一緒に、テーブルの上に置いた。 「どうぞ」 「どうも」 道具の他に記録用紙らしきものを用意している本田さんを横目に、ふと、私は振り返った。 「……あ」 コーヒーの紙パックがなくなっていた。 まだ冷蔵庫に戻していない。なのに、パックがない。そんなはずは、ない。 「何か」 「あの、アイスコーヒーが消えました」 「ふうん?」 立ち上がった本田さんは、キッチンスペースに行く。シンクの脇、さっき私がコーヒーのパックを置いた場所を指し、 「ここに置いていた?」 「はい。で、注いだのを先にこっちまで持ってきて、振り返ったら……、なかったんです」 「なるほど」 冷蔵庫を開けてみる。やっぱり、そこにはコーヒーがない。 じゃあどこに、と探してみる。すると、コーヒーはリビングスペースのローテーブルに置いてあった。 「……確かに、これは気持ち悪い」 本田さんは口元に手を当て、考え込む表情。 そう、こういう感じなんだ。何か実害があったわけじゃない。だけど、ただ単純に気持ち悪い。 子供のいたずらと同程度。だけど、それをする人間がわかっていれば、こんなにも気持ち悪くはならない。原因が分からないから、怖いんだ。 すると、本田さんは、さっきの温度計を取り出した。四角い箱みたいなものから、黒っぽい棒みたいのが突き出している。 本田さんはローテーブルのまわり、それにシンクの周辺なんかを移動して、温度を測り始めた。 「あの……、除霊とか、しないんですか?」 「除霊?」 「え、っと。その、霊の仕業とかいうと、よくテレビなんかじゃ、そういう筋の人が『ここに悪霊がいる!』とか言って、へんてこな儀式とかするじゃないですか」 私がそう言うと、本田さんは私をちらりと見て、 「それは、パフォーマンスとしての拝み屋。もちろん、実際にそれで効果を発揮する人もいるんだろうが、俺はそうじゃない」 「そうじゃない?」 「ああ。少なくても、俺は霊なんてものを見たことはない」 「えっ? ええええええ!?」 霊が見えないのに除霊!? 訳が分からず驚いていると、本田さんは嘆息した。 「源さん。俺は除霊屋じゃない。世の中には、バシッと霊を見て、除霊まで可能な奴もいるかもしれないが、少なくても俺は霊なんて見たことがない。ただ、払う方法を知っているというだけだ」 「払う方法ってのは?」 「まあ、経文のようなものかな。ただし、それもでたらめに唱えたって意味がない。経文は、本人の目の前で、あなたのために唱えていますって気持ちを乗せてやらないと届かない」 「本人の、目の前?」 「たとえば、霊の本体が台所にいたとしよう。この時、玄関で経文を唱えて、霊はそれが自分のための経文だと思うだろうか?」 「……まあ、会話するには、ちょっと遠い距離ですよね」 「そういうことだ。人間と霊は、たいして変わらない。玄関から用事を叫んだところで、それはただの失礼な奴としかならない。本当に想いを届けるなら、きちんと顔を合わせてやらなきゃ駄目だ。けど、俺は霊が見えないから、こういう手を使う」 本田さんは温度計を掲げ、 「霊がいる場所は温度が不自然に変化したりすることがある。あるいは、事象が極端に多い場所とか。そうやって場所を特定してから除霊をするんだ」 「まあ、理屈はわかりましたけど。でも、それなら適当にいろんな部屋で経文を唱えてみちゃダメなんですか?」 「自分のための経文なら、霊には想いを届けることができる。だけど、半端な経文は、霊にとって雑音だ。隣の部屋で不快な音楽を鳴らされたら、誰だって不機嫌になるだろう? 霊も同じで、かえって症状が悪化する場合もある。だから、経文は可能な限り最後の手段として取っておく」 「ふうん。色々とあるんですね」 「そういうこと」 そう言いながら、本田さんはいろんな部屋を歩いてまわった。 リビングダイニング、私の部屋、両親の寝室、トイレ、お風呂、洗面所。2LDKの我が家、それほど広いわけじゃない。全部回ってもたかが知れる。 けど、明らかな異常は見つからなかった。 |