次に本田さんが手にしたのは家の図面だ。よく不動産屋さんの窓なんかに貼ってあるような、平面図。それもA3と大きい。その中、キッチンのところに、点を打った。
「他に、事象があったことを記憶している場所、全て教えてください」
「あ、はい」
 私は、本田さんと一緒に家の中を歩きながら、次々と指していく。
 私の部屋にあるベッド。リビングにあるローテーブルの脇。洗面所にある鏡。
 記憶にある、十数か所をプロットしたところで、本田さんは手を止めた。
「ふむ」
「何か、わかりますか?」
 私が問いかけると、
「……事象が発生する箇所に偏りはほとんどない。強いて言えば、ご両親の寝室で事象が確認されていない程度だが、これは源さんがご両親の寝室に入ることがあまりないというだけかもしれない」
「それは、たぶんそうだと思います。用事がない限り入りませんし」
「普通はそうでしょう。そうなると、ここにいる霊は、家の中を縦横無尽に動き回っていることになる」
「そうなると、さっき言っていたみたいに、目の前で経文を唱えるってのは難しいですか?」
「それは関係ない。霊には事象と本体があるから」
「……?」
 私が首とかしげると、
「ゲームみたいに言えば、ボスと雑魚は別ということ。ボスがいるから雑魚が生まれる。そして、悪さをしているのは雑魚って感じかな」
「ああ、ボスの前で経文を唱えればいいんですね? そして、ボスは動かない」
「そんな感じ。霊の本体は動かないまま、事象だけが霊の手が届く範囲で発生する。まあ、俺は霊が見ているわけじゃないから、そういうイメージをしているだけなんだが……。経験上、外れちゃいないと思う」
「なるほど? でも、こうやって事象が動くと、本体の位置は特定できませんね」
「そうなる。ただ、事象はこの部屋に限られているらしいな」
「この部屋に?」
 本田さんは頷き、
「ここに来るまでの数日間で、近所の家に聞き込みをさせてもらった。その結果だが、近所で変なことが起きているという噂話、それそのものが存在しない」
「それは、まあ、私しか感じていないと思いますし、私は誰にも言っていませんし」
「そうだが、そうじゃない。たとえばマンションそのものに問題がある場合、事象が発生するのはこの部屋に限らない筈だ。他のフロア、他の部屋で起きてもいいだろう」
「そういえばそうですね」
「けど、聞きこんだ限り、そういう事象に悩まされているとおぼしき住人はいなかった。源さんは引っ越してすぐに事象を確認していることから、本当に事象の範囲内に含まれているなら、悩んでいてもおかしくないはずだ」
「そうですね。ということは、この部屋だけの問題?」
「そうなる。ついでに聞いた限りじゃ、このマンションは、そもそも十年と住んでいる家族がいない。最も古くて6年前から住んでいる一家だ」
「そうなんですか?」
 私も、このマンションに住んでいる他の住人について、全員を知っているわけじゃない。朝とかに顔を合わせる人は挨拶したりもするけど、それくらい。他の人については知らないことも多い。
「住んでいる一家が流動しているということは、噂話は定着しないものだ。だから、この部屋に以前住んでいた家族について詳細を記憶している人はいなかったし、君たちが引っ越してくる以前の家族もこの事象を確認していたのか、はっきりしない」
「うち以外も……、そっか、そもそもうちが引っ越してきたから発生したとは限りませんよね」
「というよりも、君たちが引っ越してきただけで事象が発生したとは考えにくいだろう。霊現象なら、必ずここで不幸があったはずなんだ」
「不幸、が」
 ぞくりと、背筋が震えた。
 人が死ぬ。それは、当たり前のことだ。けど、普通に生活していて、それを実感することなんてない。
 けど、今。私の中で、人が死んだという事実が、少しだけ染みこんできた。それは冷たい氷のようなもので、私を震わせたんだ。
「普通、不動産屋は、直前に亡くなった人がいるなら、それを告知する義務を負う。だが、たとえば十年前に死んだ人がいたからといって、いちいち告知することはしない。心理的瑕疵かしなんて言うが」
「確かに、引っ越すとき、誰かが死んだなんて話は聞いていません」
 本田さんは頷き、
「問題は、ここであった不幸な事柄と、その内容だ。ここの住人で不幸を記憶している人はいなかった。最も古い一家ですら知らないなら、発生した事象は少なくても6年以上前になる。ここの築年数からすると、かなりの期間があるな」
「それを知っている人、ですか」
「ああ。たとえば、ここの不動産を扱っていた業者なんかは知っている可能性もあるが、話してくれるとは限らないな」
「不動産屋さん……。じゃあ、聞きに行ってみます?」
「……そうだな。今のままじゃ手詰まりだし、聞くだけ聞いてみるか」
 そう言って、本田さんは頷いた。