家に戻る道すがら。本田さんは口を開いた。
「戻ったら、除霊をする」
「え? 除霊?」
 けど、私は首をかしげ、
「でも、戸塚さんが言っていたじゃないですか。知り合いに除霊してもらったけど駄目だった、って」
「その拝み屋が本物かどうかってことも議論の余地があるだろうが、さておき、除霊はどうやったと言っていた?」
「え? 祭壇がどうとか、お祈りがどうとか」
「そうじゃない。祭壇だのなんだのは、それぞれのやり方だ。そこに正解はないだろう。重要なのは場所だ」
「場所? ……お風呂場、ですか?」
「そうだ。子供は確かに風呂場で死んだ。直接の死因は凍死だろう。けど、凍死したから、子供は霊として残ったのか?」
「違うんですか?」
「違うと思う。ただ死んだだけで霊になるなら、人間はみんな霊になるし、世の中は霊だらけだ。霊が生まれるのは、条件があるんだ」
「条件?」
「強い想い」
「あ……」
 それは、なんとなくわかった。
 自分が死ぬことを受け入れていた人――たとえば大きな病気で死んだ人――は、もちろん死にたくはないんだろうけど、心のどこかで自分が死ぬということに心構えがある。
 けど、件の子供は違う。死んだのは(限りなく殺人に近いけど)事故だ。当然、自分が死ぬことについて心構えなんかない。
「人間、ただ死んだだけじゃ霊にならない。これは俺の経験上だが、人間てのは、心残りがなければ障害を起こすほどの霊にはならないんだ。そもそも、霊なんて、普通の物理学で測れる存在じゃない。そんなのが物理的現象を引き起こすほどのエネルギーを、どこから得る?」
「どこから……、どこでしょう」
 イメージできなかった私が聞き返すと、
「霊は心残りを紐とし、世界と繋がっているんだと思う。そこからエネルギーを得るんだ」
 本田さんは、そんなことを言った。
「心残りを、紐として……」
「たとえば、死にたくないという想いを抱きながら病死した人がいたとしよう。そいつは霊になる。現世に自分を縛っているのは、死にたくないという想いだけだ。けど、死にたくないという想いを通して得たエネルギーは、やはり死にたくないという属性を持っている。だから、いつまで経っても満たされず、ただ存在し続けるだけとなる」
「……そっか。願いは、いつまで経っても叶わないんですもんね」
「そういうことだ。今回のケースも、同じだと思う。子供は死んだ。けど、心残りが晴らされない。だから、いつまで経っても成仏できない」
 それは、とっても悲しいことだ。
 普通の人なら当たり前に抱く願い。それが叶わないだけで、そんなに苦しまなきゃいけないなんて。
「……じゃあ、晴らしてあげましょうよ。子供の想い」
「そうだな。それが手っ取り早い。じゃあ、その子の想いは何で、どこに残っていると思う」
「子供の、想い」
 考えてみる。
 なんで霊になったのか。その子の願いとは。
 死にたくない? それもそうだろうけど、なんとなく違う気がする。
 たぶん、戸塚さんの知り合いは、死にたくないという想いを切り離そうとしたんじゃないだろうか。だから届かない。
 まだ幼児と言えるくらい小さな子供。死ぬなんて概念もなかったんじゃ。
 寒い、冷たいという恐怖。義父の暴力に対する恐怖。
 それらから逃れたい。それが、きっと子供の一心だ。
 それはつまり――。
「お母さ、ん?」
「おそらくな。だから、若い女性にだけ反応する」
 そうなんだ。
 きっと、子供の霊は、お母さんを求めている。
 お母さんに助けてほしい。ママ、と呼んでいたかもしれない。
「若い女性、おそらくは子供の目から母親に見える女性に対して、助けを求める。けど、霊の声は人間には届かない。だから、いつまで経っても成仏できない。そこで霊は、次のアクションを取る。母親となりそうな女性の気を引こうと、ものを移動させるんだ。そうやって、自分はここにいるんだとアピールする」
「だけど、そうやっても普通の人は霊なんて見えないし、ただ気持ち悪い現象が起きているとしか思わない……」
「そうさ。だから、誰も除霊なんて試みないし、そもそも除霊が必要なんて思わない」
 だから。
 だから、まだ死んだ子は、あの部屋に住み続けているの?
「戸塚氏が除霊をしたのは、対応としちゃ間違いじゃないだろう。だが、それは風呂場で行った。ところで、子供の霊、いわゆる本体は、どこにいると思う?」
「それは……、お風呂場じゃない、ってことですか」
「風呂場は最後に死んだというだけの場所だ。子供の霊が助けを求めた場所、悲しみや怨念が染みついたのはどこだと思う」
「それは……、そっか、いつも虐待を受けていた場所」
 本田さんは頷き、
「最後の最後は風呂場で殺されたのかもしれない。だが、それ以前、強い心残りとなった場所は、果たして風呂場だったのか? もちろん死ぬ直前の想いは風呂場に染みついた可能性もあるが、それは以前の除霊でも十分に効果があったんじゃないかと思う。それで晴らせていないなら、本体は別にあるんだ」
「別に、って……、どこでしょう」
「君の家。事象は、家のあちこちでまんべんなく起きている。なのに、一か所だけ事象が確認できていない部屋があったろう」
 その時、はっ、と家の様子が頭に浮かんだ。
「両親の寝室、ですか?」
「そう。君が事象を見ていないだけなら、きっと違う。だけど、君のご両親は家にいる時間が短いんだろう? すなわち、最も長くいる場所は寝室だ。そのご両親が気になっていないということは、実際に、寝室では事象が起きないんじゃないか?」
「それは、可能性はありますけど……、でも、だとしたらどうなるんです?」
「事象が起きない特異点。そして、さっきまでの話を総合すると、子供の霊は……、君のご両親の部屋で虐待されていたんじゃないか?」
「……!!」
「子供の霊は義父の虐待をひどく恐れている。だから、義父がいる場所からは逃げて、母親に助けを求めているんじゃないか? もし義父が、今でいうご両親の寝室をねぐらにしていたら」
「そこに、本体が縛られている……」
 本田さんは、強く頷いた。
「可能性は、十分だ」