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もう一度、大磯さんに連絡を取り、今度は中野君のことについて聞いてみた。 『中野君? 事故死した子? ああ、暗い子で、友達もいなかったと思う。クラスが違ったからあんまり知らないけど。いじめ? ……そういえば、噂は聞いたことあるような気がする。ほら、怪我したバスケ部のエースって言ったでしょ? あいつらが腹いせにいじめていた、って噂。証拠なかったし、学校も何も言わないまま、あの子が事故死しちゃったせいで、噂も立ち消えたけど』 また、元バスケ部の部員に連絡が取れた。当時一年生だったという男性だ。 『……学校内じゃ話は出なかったけど、部内じゃ有名な噂でしたよ。アツシ先輩……、部のエースだった人ですけど、その人が、中野先輩をいじめてるって噂。そうでなくても、俺が入学した直後くらいに教頭が不倫で刺されて、顧問は躍起になってたんです。バスケ部が学校の信用を取り戻すんだ、って。でも、練習はムチャクチャで、そのせいでアツシ先輩も怪我しちまって、結果は惨たんで。次の年には顧問も変わったけど、なんか、学校全体が暗かったですね』 ――二人の話で、少しだけ見えてきた。 中野仁は、バスケ部の元エースにいじめられていた。もしかして、その現場が、体育倉庫だったんじゃ? あそこなら人の目にはつかない。誰にもバレないまま、一方的になぶられた中野君の想いは、あの倉庫にとらわれた。 そうなると、始業式の日に交通事故――というのも、怪しく思えてくる。あれは事故死だったんじゃなく、自殺だったんじゃ。 そう考えると、中野君が霊化したのも納得できる。自殺するほど思いつめ、結果、幽霊となった。 その考えのもとに調べると、色々と出てきた。 まず、始まりとなった、教頭の不倫事件。これは教頭の個人的問題だけど、このせいで、学校全体がバッシングを受けた。それにより、学校は評判が大きく落ちることになった。 最近はどこの学校も、子供不足で、定員割れも珍しくない。その中で、特徴がないこの高校は、ひどくおびえた。結果、少しばかり強かったバスケ部に、学校全体のイメージアップを託すことになった。 重大な責任を負ったバスケ部は、けれど、顧問にそれだけの能力がなかった。バスケ部顧問はバリバリの体育会系で、古い体質の人。スポーツは根性でなんとかなるって考えの持ち主だった。 科学的には何の根拠もない無理なトレーニングを部員に課し、結果、エースは負傷。バスケ部はその後の大会で勝ち目がなくなり、エース自身も、選手生命を断たれたことで、ふてくされた。 そして……、いじめに走った。 負傷したエースは二年生で、中野君とは同じクラスだったという。きっかけは分からない。中野君が選ばれたのは、偶然かもしれない。でも、それだけでは済まなかった。 ――これで、話は全て説明できる。 神田さんが亡くなった後に起きた悪い出来事は、もっと簡単に説明できる。教頭不倫から始まる学校全体の無理な態勢に、生徒たちがついてこれなくなったんだ。そうして、うつ病になる生徒が出始める。 バスケ部員が自殺したのは、あるいは、エースが中野君をいじめていた事実を知っていたからじゃないだろうか。中野君が成仏できていないことを知っており、それを言えないまま苦しんだ結果、自殺をした。 そういう無理が出て、結果、受験の結果にまで影響を及ぼした――。 再び、私と所長は体育倉庫を訪れた。 時刻は夕暮れ時、赤い日差しの中、わだかまる闇の中で、白いもやが漂っている。同時に聞こえる声。 ――ぐすっ 幽霊の声だ。この世のものじゃない。男女の区別なんてつかない。 けど、この“声”は、神田さんのものじゃない。中野君だ。 所長は数珠を手に、今度は中野君に声をかける。 「オン マイタレイヤ ソワカ」 もやが揺らぐ。ううん、もやの中に、もうひとつのもやが。 「オン マイタレイヤ ソワカ」 もうひとつのもやは、一人の人間を形作る。 細身の男子生徒。私には、はっきりと見えた。写真で見た通りの男子――中野君だ。 「中野君!」 私の声が届いているのか、いないのか。もやが揺らぐ。 「もう泣かないで! ここには、もうあなたをいじめる奴なんていないから!」 ゆっくりと、もやがこちらを向く。中野君の視線を感じる。 「だから、もう安心して。あなたは悪くない。あなたは、何も悪くないの」 ――ぐすっ 声が聞こえる。その声を抱きしめるように、想いが口をついて出る。 「大丈夫だから。あなたは、頑張ったんだよ」 私の言葉のせいか。もやが、おおきく揺らいだ。風もないのに、ゆらゆらと揺れる。 「オン マイタレイヤ ソワカ」 そこに、所長の真言が響く。 ――ぅ、ぁ 泣き声は小さくなり、やがて、立ち消えた。 残った白いもやは、ふと気づいたように、こちらを見る。 神田さんは、うっすらと微笑み、そのまま夢のように消えてしまった。 すすり泣き事件から数日後。 私がいつものように事務所で掃除をしていると、白銀医師が事務所を訪れた。 「今日は依頼じゃないから」 という白銀さんのためにコーヒーを淹れた私は、所長と共に、応接セットに向かう。 コーヒーをブラックのままですすった白銀さんは、 「学校の倉庫、こちらでも確認したわ。常時聞こえていたはずのすすり泣きはなくなっていた」 「当たり前だ。誰が除霊したと思ってる」 「あなた、そんなに優秀だったかしら」 「……うるせえ」 苦虫をかみつぶしたような顔でコーヒーをすする所長に、私はそっとシュガーボックスを差し出した。ぺしんとはたかれた。 「でも、これで辻堂さんの治療に集中できるわ」 「治るのか」 「治すのが私の仕事。とはいっても、精神の問題は、本人の問題だけど」 「本人?」 「ええ」 白銀医師は頷き、 「うつ病とかの病もそうなんだけど、結局のところ、完治なんてしないわ。そうなった人は、一生涯、病気と付き合っていくことになる。私ができることは、病気との付き合い方を教えてあげること」 「一生涯、か」 「ええ。よく勘違いする人がいるんだけど、風邪なんかと違って、心の病には明確な病原菌が存在するわけじゃないわ。何かをすれば治る、なんて画一的な方法もない。ただ、人によって、病を発症する条件はある。条件がわかっていれば、心構えができる。構えていれば、症状はうんと変わる」 「……なんだそりゃ」 「たとえば、雨が降ると憂鬱、とか思うでしょう? 同じことで、心の病を持つ人は、それが顕著に表れるだけなの。でも、雨が降ると憂鬱になるってわかっているなら、天気予報を見るだけで、いつ病が発症するか分かるわ。そうなると、実際に気分が落ちても、『ほら見たことか!』って思える。それだけで、気持ちに余裕ができるのよ」 「はあ。そんなもんか」 「それは、あなたの仕事でも同じじゃないかしら」 ずずっ、とコーヒーをすすった白銀さんは、続ける。 「幽霊になるには条件がある。理由が分かれば、治療は難しくない。でしょう?」 「……まあな」 実際、今回も、所長が最も苦労したのは、幽霊の正体であり、幽霊の心残りだった。結果的に、神田さんは幽霊を見て恐怖から亡くなっただけ。本当に救われなければいけない霊は、他にいた。 それさえ気づけば、所長の経文は、ちゃんと届いた。 ふと、大磯さんを思い出した。 神田さんの幽霊が祓えたことを報告すると、大磯さんは本当に嬉しそうだった。 『やっと、あの子も休めるのね』 その言葉が印象に残る。 亡くなった人が救われないのは、悲しい。でも、それ以上に、生きている人が捉われ続けるのは、もっと悲しいことだと思う。 死者に捉われることで、生きている人までもが苦しみ、やがて死に至るなんて。 そんな連鎖、誰も喜ばない。誰も救われない。それを断った所長は、本当にすごい人だ。 そのすごい人は、私の横で、嘆息した。 「それにしても、人間てのは、めんどくせえ生き物だな」 「あなたもそのめんどくさい生き物よ」 「るせえ」 軽口を叩き合う二人を眺めながら、私は思わず笑ってしまった。 ここでバイトを始めてよかった。そんなことを、思いながら。 |