しとしと、雨が降っていた。なんとなく憂鬱な気持ちを片隅に置きつつ、バイトに向かう。
 私のバイト先は、都内に存在する、ごく普通の事務所。
 ただし、業務内容は普通じゃない。幽霊の調査および除霊。
 まともに言えば誰も信じてくれない、けれど、確実に存在する存在を祓うための仕事。
 バイト先に行くと、珍しく所長が起きていた。それでも、相変わらずネクタイ緩め、頭は爆発していて、とてもまっとうな社会人には見えない。
「おう、源か」
「こんにちは、所長。コーヒー淹れますね」
 バイト先に到着してまずやることは、コーヒーを淹れること。
 マシンからぽたぽたとたれる黒い液体を眺めながら、私は口を開く。
「そういえば所長。この前、『すすり泣き事件』の時ですけど」
「おう」
「あの時、学校全体が呪われているみたい、って話がありましたよね。結果的には、負の連鎖がそう見えただけですけど……、実際、そういうことってあるんですかね?」
「そういうって、呪いってことか?」
「はい。幽霊がいるんだから、呪いもあるのかな、みたいな」
「幽霊と呪いは別な気もするが……、呪いそのものは、技術として存在するぞ」
「は?」
 あまりにも所長が当然のことのように言うせいで、一瞬、理解が遅れた。
 呪いは、実在する?
「真言というのがあるだろう? 俺がいつも唱えている」
「はい、あのアブラカタブラ的なやつですよね」
「全然違うが、まあそうだ。で、あれは経文――仏の言葉の一種なんだ」
「仏の言葉?」
「そうだ。正確には、仏の教えを人間の言葉に直したもの、って言ったほうが良い。仏さんの教えってのは、厳密には人間の言葉に表すことはできない。だが、それでは人間が理解することができない。そこで、便宜的に人間の言葉にしたものが真言だ」
「なるほど?」
「霊は人間よりも仏に近い存在だ。よく、死体を仏さんって言うだろ? あの世に行くのは成仏、すなわち仏に成るんだ。幽霊は仏になる手前って考えてもいいのかもしれん。人間が仏の言葉を理解できないのと同様、幽霊は人間の言葉を理解できない。だが、仏の言葉なら、幽霊でも理解できる。だから、真言に想いを乗せて語り掛けると、幽霊は理解して成仏できるんだ」
「理屈は……、まあ、なんとなく。それと呪いって関係あるんですか?」
「おおいにある。呪いというのは、端的に言えば、幽霊に人間を害するよう頼む儀式のことだ。当然、幽霊に誰それを害してくれと頼んだところで、幽霊は言葉が理解できないから、実行できない。けど、真言のように、幽霊が理解できる言葉で語り掛ければ、意図が伝わる」
「それで、害しに行っちゃう?」
「そういうことだ。これもただの実感だが、幽霊は生きた人間からエネルギーを得られる存在だと思っている。人間が真言に優しい気持ちを乗せれば成仏できるように、悪意を乗せれば悪鬼になる」
「悪鬼……」
「悪いエネルギーを注がれ、対象を設定された幽霊は、もはや幽霊ですらない。鬼、すなわち化物だ。人間を害するだけの存在となり果てる」
「それだと……、所長の真言も伝わらない、ですか?」
「浄霊……、霊を説得することは無理だな。力ずくで、現世とのつながりを断ち切るような、そんなイメージになる」
「それは……。悲しいです」
 ちょうど淹れ終えたコーヒーを所長に出す。所長はコーヒーをすすり、
「まあ、現実問題として、呪いを使うなんてやつはおらん。第一、呪いだの拝み屋だの、すっげーうさんくさいだろう」
「所長がそれを言うんですか」
「だからここは調査事務所って言ってるだろうが。拝み屋だと変な客しか来ない」
「ここも十分、変なとこだと思いますけど」
「るせえ。たとえば、そうだな……、俺が前に会ったことがある拝み屋で、明らかに詐欺師ってやつがいる」
「わかるんですか、そういうの?」
「わかるさ。なにせ、最初に会った時は真言宗の経文を唱えていたが、次に会った時は祝詞を唱えていやがったからな」
「……? よくわかりません」
「テニス選手がバット持ってるようなもんだよ。もちろん両方できるってやつはいるだろうが、そうでなくても非常にうさんくさい。で、世間的に、拝み屋ってのはそういう詐欺師まがいな連中ばかりのイメージなんだ」
「それは、まあ、わかりますけど」
「そも、幽霊は誰の目にも見えない。それを祓いましたと言ったところで、実感は起きない。当然、詐欺だって話になる」
「それでもめやすい、と」
「そういうことだ」
 ふと、会話が途切れた。扉がノックされたからだ。
 事務所の入り口が開く。顔を覗かせたのは、スーツ姿の男性だった。
「あの。ここが、幽霊の調査をする事務所、でしょうか」
 ――依頼人だ。

◇ ◇ ◇


 依頼人さんにコーヒーを差し出す。
「ありがとうございます」
 応接セットに向かい合った私たち。改めて見ると、品のいい大人な男の人だった。どこぞの所長とは大違いだ。
 依頼人の名前は赤羽あかばね修司しゅうじさん。27歳。都内の企業で営業職をしているらしい。
「では、ご依頼内容をお伺いします」
「はい。その、なんと申しますか……、実は、私の友人、三年ほど前に道端で亡くなっているんです」
「なるほど。それはご愁傷様です」
「いえ。それで、友人が亡くなってからというもの……、そこには、幽霊が出るという噂が立つようになりまして。そして、そこで交通事故が起きるようになったんです。山中の崖際ではありますが、直線道路ですし、見通しも悪くありません。それで、それは、その幽霊のしわざだ、と」
 ふむふむ?
「もともと、なんで友人がそこで亡くなっていたのか、他の友達にも聞きましたが、よくわかりませんでした。だから、無念が払えないのかもしれません。そこで、あいつの無念を、調べて、除霊をして欲しいんです」
「……なるほど。お話を整理します。まず、三年前に、ご友人が亡くなった。以来、そこでは幽霊が出るようになり、車の事故も頻発するようになった。原因が友人にあるかもしれないから、調べて欲しい。それでよろしいですか?」
「はい、その通りです」
「では、いくつか質問を。あなたは現場に直接行ったことはありますか?」
「はい。車で行くと事故になるというので、少し手前に車を駐車して、徒歩で行きました」
「その時、幽霊は目撃しましたか」
「いいえ。他に車が通らなかったせいか、幽霊らしい姿は見えませんでした」
「なるほど。では、ご友人が亡くなられたということですが、死因は?」
「衰弱死と。数日間、ろくに食事もしていなかったようです」
「衰弱? 山の中で、ですね? 心当たりは一切?」
「ええ。親父さんが借金していたせいで貧しくはあったと思いますけど、それにしたって、食べられないほどじゃなかったはずです。いざって時は友人たちでおごったりもしましたし」
「なのに、山中で衰弱死した、と。登山趣味のようなものは?」
「それはないはずです」
「ふむ」
 ぽつりとつぶやいた所長は、
「では、調査をお受けします。まずは事故が起きるという現場、それと、亡くなったご友人に関する、詳しい情報をお願いします」
 そう答えた。