ふもとまで降りてきた私たちは、昨日のお蕎麦屋さんに入った。
 お茶だけを頼み、座らせてもらう。やっぱり他にお客さんはいなかった。
「本当に襲ってくるたぁな」
 湯呑を抱えながら、所長はうなる。
「なんだったんでしょう、あの幽霊」
「わからん。だが、本当に人間を襲うなんて想定外だ。こりゃ、事故についても、考え直したほうがいいのかもしれん」
「考え直す、って?」
「今までは、運転手が幽霊に驚いて、勝手に事故ってると思っていたが。あるいは逆、あの霊が事故を起こそうとして、実際に事故まで至った数が、あれだけってことかもしれん。そういう意味では、たいした力のある霊じゃねえ、ってことだが」
「人を、襲う霊――」
 そんな霊が、いるなんて。
「問題は、なんであの幽霊……、おそらくは三鷹氏なんだろうが、三鷹氏はなぜ、人を襲っているのか、だな」
 確かに。
 三鷹さんの死には不審な点は多い。けど、それと、人を襲うことの因果関係は、よくわからない。
「そういえば所長、前に言っていましたよね。殺人の被害者となった霊は、人を襲うこともある、って」
「……それはありうる。殺したやつが戻ってきたようなイメージにでもなるんだろうな。誰だって、自分を殺そうとするやつが来たら、逃げるか反撃するかだろう?」
 それはそうだ。
 となると、やっぱり――三鷹さんは、誰かに殺された?
「じゃあ、所長の真言で成仏できなかったのは?」
「それだけ怨念が深いか……。あるいは、それ以外に理由があるのか」
「理由、理由?」
 なんだろう。何があるんだろう。
 所長の真言が通じないってことは、たぶん、何かが間違っているんだ。
 今までもそうだった。場所が違ったり、唱える相手が違ったりした。だから、真言は通じなかった。
 きっと、今回も同じ。でも、今回は場所も人も間違っていない。となると、何が違うのか。
 ――理由。
「そう、理由が違うんじゃ?」
「理由?」
「そうです。所長、真言を唱える時、どういう気持ちをこめましたか?」
「どうって、成仏してくれ、的な」
「そうですよね。でも、そうじゃないとしたら? 三鷹さんの霊が成仏できないのは、自分の意志じゃないとしたら!」
 成仏してくれ、と頼まれて、わかった、と言えない理由。
 まだ恨みを晴らせていないから。それもありうるかもしれない。でも、あのもやから感じたのは、聞く耳すら持たない、って感じだった。
 人のお願いに、聞く耳も持たない。持てない。それは、彼自身、制御できていないからじゃ?
「誰かが、三鷹さんの霊があそこにいて欲しいと願っているとしたら? 所長は成仏して欲しい、言い換えれば、あそこにいて欲しくないって気持ちをこめています。同じように、誰かが、あそこにいて欲しいって気持ちをこめていたら? ふたつは相殺されませんか? それとも……、そんな理屈、おかしいですか?」
 私の問いかけに、所長はうなった。
「……ありえない話じゃない。だが、誰が三鷹氏の霊を望むんだ?」
「所長が話してくれたじゃないですか。負の感情を、幽霊に注ぐ!」
「ッ!! 呪いか!!」
 そうだ。きっとそうだ。
 三鷹さんは、呪いに使われているんだ! だから、真言では成仏できない!
「呪いに使われているなら、あの現場で事故が起きることを望んでいる奴がいるってことだ」
「それを調べましょう。徹底的に!」
 私の言葉に、所長は頷いてくれた。

◇ ◇ ◇


 調査を開始して一週間が過ぎた。
 けど、あの現場で事故が起きることについて、喜ぶ人はまだ見つからない。
 そもそも、当初の想定通りというか、あの場所は車の通りが多くない。偶発的に通る人はいるかもしれないけど、そんな人が事故を起こしたところで、嬉しい人がいるだろうか。
 呪いといえば、特定の人物を呪うことを想定したくなるけど、あそこを定期的に通る人なんていない。
 かといって、誰でもいいから呪いたいなら、あえてあの場所である必要はない。むしろ、もっと人通りが多いところを選ぶんじゃないだろうか。
 そうやって悩んでいた私たちは、今日も事務所で顔をつきあわせている。
「……やっぱり見つからねえ」
 資料を閉じた所長。私も、同じ気持ちだった。
 あんな現場で人を呪う必要のある人なんて、考えつかない。
「まだ何か足りないピースがあるな。だから解けない」
「足りない、ピース……」
 なんだろう。
 呪いのせいで三鷹さんの霊が成仏できない、それは間違っていない気がする。
 となると、違う点は他にある。
 ――それは何?
 話を整理して考えてみる。
 3年前の11月。三鷹さんが失踪した。
 12月。三鷹さんの遺体が山中の路上で発見される。
 翌年2月。同じ路上で、事故が多発するようになった。
 これを、呪いのせいだと考えてみればいいんだ。
 誰かが誰かを呪いたくて、たまたまあの場にいた三鷹さんの霊に、負の感情を注ぎ込んだ……?
 理屈は通る、けど。
 そう、そもそも、三鷹さんが失踪してから亡くなるまでの経緯はわかっていない。そこに、呪いなんていう外的要因があるなら――三鷹さんの死そのものにも、呪いが関わっているんじゃ?
「あの、所長。呪いで生きた人は殺せます、か」
「……? そりゃ、理屈においちゃ可能かもしれんが」
「三鷹さんが亡くなったのは、呪いってことはありませんか」
 私の問いかけに、所長は首を傾げた。
「そいつはどうだろうな。そもそも、三鷹氏が亡くなったのは衰弱だ。まあ、呪いのせいで食事も喉を通らなかったっていうならわかるが、それなら、失踪前からなにがしかがあっておかしくないだろう。失踪前の三鷹氏に、そんな不自然な挙動があったって話はない」
「そうですよね」
 呪いのせいでやつれて、呪いから逃げるために失踪した。うん、それなら話は理解できる。
 でも、実際はそうじゃない。三鷹さんが失踪した理由は、誰もわかっていない。失踪する前から何かにおびえていたようなら――呪いがあったなら、絶対におびえていたはず――それに、誰も気づかないなんてことはない。
 だとしたら。
「呪われたから失踪したんじゃなく、失踪したから呪われた……、ってこと?」
「なんだそりゃ。どういうことだ?」
「だって、そうなりますよね。三鷹さんは謎の失踪を遂げ、結果的に、山中で幽霊となり、呪いに使われている。これ、偶然なんて考えにくいです」
 はっ、と所長の表情が変わった。
「……三鷹氏は、呪いに使うために失踪させられた? 誘拐か」
「それに、殺人です」
 ごくり、と喉が鳴る。寒くもないのに、肩が震える。
 所長はひとつ頷き、
「もう少しだけ調べてみよう。まずは赤羽氏いらいにんに連絡だな」
 所長は固定電話の受話器を取り、電話番号をプッシュした。スピーカーモードで、コール音が私にも聞こえる。
『はい。赤羽です』」
「お世話になります。ホンダリサーチ、本田と申します。お電話よろしいでしょうか」
『ああ、本田さん。お世話になります。どうぞ』
「はい。また、いくつかご質問させていただきたいと思いまして」
『構いませんよ、なんですか』
「まず、三鷹氏が亡くなっていた時の、遺体の状況はご存知ですか」
『知っています。火葬場まで行きましたから。遺体は、ガリガリに痩せていました。火葬場の人が驚いていたくらいに』
 ガリガリに痩せていた。つまり、少なくても死ぬ数日前から、ろくに食事をしていなかったということ。
「では、行方不明になる理由については、何かお心当たりは? これは以前にもご質問させていただいたと思いますが」
『行方不明になる理由については……、特に。借金もあったけど、知り合いが多くて、取り立てに苦労しているってわけじゃなかったはずですし。本当に、心当たりがないんです』
 借金苦で自殺、というわけでもない。もちろん、暴力団の影なんてなかった。
 ここまで聞いた情報は、今までの情報と大差ない。あくまで、三鷹さんの死は不審死だった。その程度しかない。
 でも、三鷹さんが呪いのために失踪させられたなら、どこかで、オカルトと接しているはずだ。
 普通の人が日常生活をしているなかで、オカルトに接する機会はそうそうない。となれば、どこかで、明確に接触しているはず。
「では、三鷹さんが失踪する直前、新たに興味を持ったものとかご存じありませんか? なんでも結構ですが」
 その質問に、赤羽さんが電話越しに答えてくれたのは、意外なものだった。
『興味、というのとは違うかもしれませんが、占いがどうとか言っていた気がします』
「占い?」
『はい。道端で占いをしていて、初めてそれをやったとか、そんなことを言っていました』
 ――占い。
 何の関係があるのかわからない。でも、占いもまた、オカルトだ。
 警察にも同じことを聞かれ、同じように答えたらしい。その結果、警察がどうしたのかまでは教えてもらっていないらしい。
 失踪間際の三鷹さんを知る人物。その情報は、私たちも欲しかった。
「なるほど、参考になりました。では、そちらも調べさせていただきます」
『それは結構ですが……。あいつの失踪が、あいつが幽霊になったことと、関係あるんでしょうか』
「可能性はあります」
『……わかりました。お願いします』
 通話が切れる。
「占い、か。またへんてこなもんが出てきやがったな」
 受話器を置きながら、所長は言う。
「占い師が呪いをやっている、とか」
「まあ、考えられなくはないな。陰陽師って知ってるだろ?」
「漫画とかに出てくるやつなら」
「まあ認識は違ってねえよ。陰陽師は本来、陰陽庁って役所の仕事なんだ。吉凶を占い、邪悪を祓う。その過程で、式、あるいは使鬼なんていうが、霊を使役するんだ」
 ――霊を使役。
「まともな占い師に霊能力があるなんて思えないが、そいつは可能性がある。調べてみる価値はあるだろう」
 私は、黙ってうなずいた。