今日も、私はホンダリサーチでバイトをしていた。
 所長はいない。今日は役所に行くとかで、留守にしている。私はただの留守番だ。
 暇な時間。応接セットの机を拭きながら、けど、考えるのは別のこと。
「……」
 呪殺師・千早。
 先日の事件で知った、呪殺という技術。それを生業とする存在。
 人が人を呪う気持ち、それは、まだ理解できなくもない。良くないことだけど、人を呪いたくなる気持ちは、まだ理解ができる。
 でも、彼女の仕事は……、別だ。
 呪いは、決して良い技術じゃない。そういう気持ちがあったところで、そういう方法がなければ、誰も使いはしない。
 決して、呪いという技術を認めちゃいけない。そんな気がしている。
 けど、私に何ができるかといえば、何もできないことも事実だった。
 私は幽霊が見えるだけの、ただの高校生。所長のように、真言を使って霊に語り掛けることも、祓うこともできない。
 そんな、自分の無力感が――悔しい。
 ぐっと拳を握る。気持ちのやり場に悩んでいると、扉がノックされた。
「あ、はい!」
「お邪魔するわ」
 入ってきたのは、長身の女性。その顔に、私は見覚えがあった。
「あ……、白銀さん」
「あら、愛梨ちゃん。あなた一人?」
「はい。所長は役所に行くとかで」
「ああ、そうなの」
「何か御用ですか? お待ちになります?」
「用というほどのものはないんだけど。近くに来たから寄っただけ」
「じゃあ、せめてコーヒーでも飲んでいってください」
「ん、じゃあ、お言葉に甘えて」
 応接セットに座る白銀さん。私は逆に、コーヒーを淹れるために立ち上がる。
 白銀栄子さん。所長の幼馴染で、お医者さんだ。
 たまにお仕事もくれるらしいけど、今日は、そういう要件じゃない様子。
 コーヒーを淹れながら、ふと、私は白銀さんに聞いてみることにした。
「あの、白銀さん」
「ん、なあに?」
「所長は、どうやって除霊を学んだんですか?」
 そう、それは、ただの思い付きだった。
 今の私は無力だ。けど、所長だって、最初っから除霊ができたわけじゃないはず。
 霊視の能力がある人は除霊の能力も持てるか疑問だけど、でも、何もないよりは、可能性もあるんじゃないかと思える。
 少なくても、やってみないで諦める理由にはならない。
「どうやって、って言ってもね。まあ、うちに修行に来た、って言えばいいかしら」
「うちに?」
「ええ。私の実家、お寺なの」
「あ、そうだったんですか」
 お寺で修行。割とまともな方法だった。
 でも、世間のお寺で、そんな技術が学べるなんて知らなかった。それとも、白銀さんの御実家が普通じゃないんだろうか。
 そんなことを思っていると、
「まあ、あの頃は、色々とあったからね」
 そう前置きし、白銀さんはその“色々”を話してくれた。

◆ ◆ ◆


 ――当時。白銀栄子が住んでいた地域では、有名な事件があった。
 殺人事件だ。全国区のニュースでも放送されるほどの事件だった。
 被害者は本田明美。42歳、OL。
 夫とは5年前に死別し、息子と二人暮らしだった。決して豊かな生活をしていたわけではなかったが、彼女なりに、幸せな人生を送っていた。
 それが、もろくも崩れ去ったのは、7月のある日。
 夜、帰宅途中のサラリーマンが、路上で血まみれになっている女性を発見した。本田明美だった。
 サラリーマンはすぐさま救急車を呼んだが、駆けつけた救急隊員にできたことは、死亡判定を下すことだけだった。
 本田明美は体を十数か所も刺され、失血死していた。彼女を殺した凶器はどこにも見当たらなかった。
 その事件が起きた2日後、犯人は逮捕された。近所に住んでいた浪人生の男で、受験勉強がうまくいかないイライラを、人間にぶつけた結果だったという。
 通り魔的な事件だった。だが、被害を受けた側からすれば、それは決して、ただの悲劇では終わらない。
 残されたのは息子一人。まだ高校生だった。
 いきなり親が殺されたのだ。子供からすれば、何をしていいのかすら分からない。親戚は遠くに住んでおり、縁も遠い。すぐに駆けつけてはくれなかった。
 不憫に思い、尽力したのが、白銀法善。本田明美の友人だった。
 友人の息子を助けるべく、法善は葬儀を仕切り、弔った。役所への諸手続きも手伝ってもらい、なんとか、生活は軌道に乗った。
 母がきちんと貯蓄をしていたおかげで、息子は高校を卒業するくらいの金銭的余裕はあった。それも幸いだった。
 これで、なんとか、新しい生活が始まる――そのはずだった。
 だが、実際は、そうはならなかった。

◆ ◆ ◆


 いったん止まった説明。私はごくりと喉を鳴らし、
「何があったんですか?」
 そう聞いた。すると、白銀さんは、
「逆に、何が起きたと思う? 今のあなたなら、わかるんじゃない?」
 そう聞いてきた。
 今の私ならわかること?
「えっと、明美さんは、殺されちゃったんですよね」
「そうよ」
「いきなり、何の脈絡もなく死んじゃった……」
 人が死ぬと、どうなるか。
 未練がなければ、人は成仏する。死ぬことを理解している人もまた、成仏できる。
 けど、明美さんは死ぬなんて欠片も思っていなかった。もちろん、未練もあっただろう。そんな人が死んだら……、幽霊になる。
「明美さんは、幽霊になった?」
「正解。じゃあ、幽霊になった明美さんは、どこに現れたかしら」
 殺人の被害者。普通の幽霊は、死んだ現場に残るんじゃないだろうか。
 でも、明美さんが心残りに思っていたことを考えれば――。
「家、ですか?」
「その通り。やっぱりわかったわね」
「明美さんは、残された息子が心配だったんですね。だから、成仏できない」
「その通り。そして、明美さんは幽霊になった」
 コーヒーカップを手に取り、そっと飲んだ白銀さんは、続きを語り出した。