調査するとはいっても、病院で勤務している依頼人の邪魔をするわけにはいかない。
 院長室の隣にも面談室のようなスペースがあるということで、そこに資料を持ち込んで、待機させてもらうことにした。
 机と椅子があるだけの簡素なスペースで、さして広くもないけど、院長室とは扉一枚で繋がっているので、何かあってもすぐに行ける。
 さすがに、この間の工事現場で起きたような事象には対処できないけど……、幽霊を見たとか、そういう瞬間さえあれば、いつでも行くことができる。
 あとは、適宜様子を見に行くくらいしかできない。張りつきでは、お互いに精神がもちそうにない。
 資料を見ると、やっぱり院長を恨む人には心当たりが多すぎる。はっきり言って、病院に勤めている人には片っ端から嫌われているんじゃないだろうか。
 なんでこんな病院に勤めているのか聞くと、意外や意外、あの院長、性格は悪いけど、腕も悪くないらしい。
 特に外科手術は随一の腕前で、難しい手術も難なくこなすことができるらしい。設備も一流で、そういう設備を使いたいお医者さんもいるんだとか。
 人間性に問題があっても、たいていの患者さんにとっては、腕が良い方がいい。特に難病患者にとっては、ここが最後の頼み、なんてのもよくあるそうだ。
 あの見た目からは全然想像できないけど……、確かに、爽やかイケメンで腕の悪いお医者さんよりは、あんなのでも腕が良いお医者さんの方がいい。結局のところ、病院に求めているのは病気を治してくれることであって、イケメンかどうかならアイドルのほうがずっとカッコいい。
 休憩スペースで買ってきた缶コーヒーをお供に、所長とふたり、資料を読み漁る。たまに隣の部屋から声が聞こえるのは、お医者さんたちが院長に報告したり、相談する声だ。プライバシーの問題があるから、内容は聞かないようにしているけど……。
 そうして過ごしていると、
『い、院長!?』
 隣からの声に、思わず顔を上げた。
『や、やめてください!』
 女性の声だ。所長と顔を見合わせる。
 私は黙って立ち上がると、院長室との扉をそっと開いた。
「ッ!?」
 院長が、白衣の女性――たぶん女医さん――を抱きしめていた。
「宮原さん!」
 私が声を出すと、院長がこちらを向いた。手が緩んだすきに、女医さんは逃げるようにして立ち去る。
 宮原さんは特に何事もなかったかのように、居住まいを正す。
「なんだ、いきなり声を出して。それに覗き見なんて、お前たちにはプライバシーという概念もないのか、ええ?」
「守秘義務は守ります。ですが、一般的な犯罪行為を見逃すわけにはいきません」
「今のどこが犯罪なんだ?」
「いきなり女性に抱きつくのはわいせつ罪です!」
「何を言ってる。彼女は女医だ。そして、外科手術のコツが分からないと言っていた。それを指導してやるのは私の仕事だ」
「あれのどこが指導だと……!」
「おい、源。やめろ」
 私を引き留めたのは、所長だった。
「すみません、院長」
「ふん。以後、気をつけたまえよ」
 偉そうに言って、どっかりと椅子に腰を下ろす院長。ムカつくけど、所長の目が、やめておけ、と言っていた。
 声を押し殺した私は、面談室に戻ろうとして、ふと、棚の上に置いてあったものに目を留めた。
「……?」
 毛糸で作られたぬいぐるみ――あみぐるみだった。トロフィーとか趣味の悪い絵とかならわかるけど、その場に似つかわしくないものがあったせいで、気になった。
「あの、院長。このあみぐるみは」
「うん? ああ、それか。入院患者に貰ったものだ」
「患者さんに?」
「そうだ。捨ててもよかったが、病院で捨てると目立つし、かといって家まで持って帰るほどのものでもないしな。そこらにほうってある」
「なるほど」
 じっくりと、あみぐるみを見る。
 手作りにしては、随分と丁寧な作りだった。気持ちがこもっているのがわかる。
 ただ、なんだろう――すごく、嫌な感じがする。
「あの、院長。これ、いただけませんか」
「そんなものか? 好きにしろ」
「ありがとうございます」
 私はあみぐるみを手に取った。隣に所長が寄って来る。
「どうしたんだ、それが」
「なんだか、嫌な予感がして」
 私はハサミを借りると、あみぐるみの紐を切った。毛糸がほどけ――中から、一枚の板が出てきた。
「これ……」
 人間の形を模して造られた板。あみぐるみ同様、きっちりと綺麗に切り取られた板には、真ん中に達筆な字で“宮原和則”と書いてあった。
 そして、異様なことに――板は、頭の部分だけが半分に割られていた。
「所長」
「ああ。間違いない」
 それを受け取った所長は、振り返り、宮原さんを見る。
「宮原さん。このあみぐるみをくれたのは、どの患者ですか。まだこの病院内に?」
「それがどうした」
「この板、なんだかわかりますか」
 所長が板をかかげてみせると、宮原さんは眉を寄せた。
「そんな板きれがなんだと言うんだね」
「これは呪いに使う道具です。ヒトガタと呼びます」
「呪い、だと?」
 ぴくり、と宮原さんが反応した。
「はい。ここに宮原和則とありますね? これは、霊に対して、宮原和則という人物に、これと同じ状態にして欲しいと頼むためのものです」
「幽霊に頼む、だと?」
「はい。ゆえに呪い、あるいは呪詛と呼びます」
「じゃあ、なんだ。わしが最近、悪いことに襲われるのは……」
「このヒトガタが原因、という可能性もあります」
「……わかった。患者のところへ行こう」
 そう言って、宮原さんは立ち上がった。

◇ ◇ ◇


 その患者は、302号室にいた。
 狭いながらも個室となっている部屋。その部屋にいたのは、一人の女の子だった。
 まだ十代半ばくらいか。私と大差ない年齢に見える。長い黒髪につやはなく、肌は白いを通り越して白すぎる。全身から、病んだ匂いを発している子だった。
「佐々木さん」
 院長が声をかけると、女の子はゆっくりと顔を上げた。
「どうしたんですか、院長先生。回診の時間じゃないような?」
「君に少し、聞きたいことがあってね」
 院長が目配せしてきたので、所長が前に出た。
「どうも、ホンダリサーチという調査事務所の所長をしています、本田です」
「はじめまして。佐々木ささき千咲ちさきです」
 佐々木さんは、にっこりと微笑む。その笑顔が……、なんとなく、気持ち悪かった。
「佐々木さん。あなたは以前、院長先生に、あみぐるみをプレゼントしませんでしたか?」
「はい、あげましたよ。熊のあみぐるみです。上手にできたんで、いつもお世話になっている院長先生にプレゼントしたんです」
「そのあみぐるみの中から、こんなものが出てきました」
 所長がかかげたのは、頭が欠けたヒトガタ。それを見て、佐々木さんはくすくすと笑った。
「あら、見つかっちゃった」
「あなたはこれが何だか、わかっているのですね」
「ええ。お遊びの道具でしょう?」
 くすりと笑う。そんな佐々木さんにいらだったように、所長は言う。
「遊びなんかじゃない。これは、呪いに使う道具だ。人を積極的に害するための道具だ!」
「いやだ、まさか、本当に呪いなんて信じているの? バカじゃない?」
「だが、これは!」
「所長」
 今度は、私が所長を止めた。
 本当に呪いなんて信じているの、か。
 間違いじゃない。普通、呪いなんてものはありえない。非科学的だ。
 私たちはそれが実在していることを知っている。けど、世間の人からすれば、それは空想以外の何物でもない。
 自分はそんなもの信じていない、ただの遊びだ――そう言われてしまっては、反論の余地なんてない。
 それがわかっているからか、所長も、それ以上は何も言えないようだった。
「ごめんなさい、そんなに怒らないで。本当に、ただのお遊びよ。もうしないから、許して?」
 そう言われては、私たちに反論はできない。
 おとなしく、引き下がるしかなかった。

◇ ◇ ◇


 院長先生の車で自宅まで送りがてら、話を聞く。
「あの子は下半身不随だ。交通事故で、脊椎を損傷した。下半身が動く見込みはない。近々、リハビリ専門の病院に移る予定だった」
「手術そのものは終わっているんですか」
「ああ。はっきり言って、うちに運び込まれた時はひどかった。脊椎以外にも、折れた肋骨は内臓を傷つける寸前だったし、出血量も多かった。助かったのは若さだな」
「では、あの子に恨まれる理由に対して、心当たりは?」
「知らん。下半身の件ならわしにもどうにもできなかったし、それで恨まれるいわれもない」
 それはそう、だけど。
 でも、たとえば事故の原因に、院長さんが関わっていたとしたら? それだけで恨む理由は、十分に考えられる。
 とはいえ、今回の依頼内容は、あくまで院長さんを襲う不具合を止めることだ。所長と軽く相談したけど、佐々木さんの過去や、なぜヒトガタを作ったのか、その理由を調べるところまでは依頼の範疇を超える。はっきり言えば、ヒトガタが見つかった時点で、私たちの役目は終わりだ。あとは、このヒトガタを焼き捨ててしまえば、それで呪いは収まる。
 宮原さんを襲っていた呪いは、ヒトガタを使った呪詛の一種。これは、ヒトガタさえなくなってしまえば、幽霊たちは宮原さんという目標を見失うとのこと。だから、これ以上は呪いも進行しない。
 呪いの原因がわかって、宮原さんは上機嫌だった。
 ただ……、なんとなく、もやもやは収まらない。
 あの子は、呪いを実行していた。本人は遊び半分だと言っていたけど、同じことをすれば、また同じように呪いが進行するようになる。
 そうしたら、院長先生を守るものは、今度こそなくなる。
 なんとか、あの子の呪いが遊びではないと証明したいけど……、それは難しい。
 そもそもにして、呪いなんてオカルティックなもの、現実だと信じているほうがおかしいと言われても反論できない。
 それを、真面目に議論しようだなんて……。
 車は、マンションの駐車場まで滑り込む。キッ、とブレーキが踏まれた瞬間、ふと、私は思いついた。
 車から降りた私は、所長に頼み、件のヒトガタを見せてもらう。
「……」
 それを写真に撮り、所長に返した。
 所長と依頼人が依頼料について話す横で、私は、ホームセンターの場所を検索していた。