|
夜。自宅に帰った私は、ホームセンターで買ってきた品を取り出した。 少し厚めの木板に、カッターとノコギリ。 部屋に新聞紙を敷くと、その上に木板を置き、カッターで切ってみる。 当たり前だけど、厚手の板は、カッター程度では線が入るだけで、切ることはできない。今度は、線に沿って、ノコギリの刃を入れてみた。 引こうとすると引っかかっちゃって、うまく切れない。それでも頑張って、なんとか板を切ることに成功したけど、線はガタガタだった。 「……やっぱり」 木の板とはいえ、外で踏ん張ってノコギリを引くならともかく、室内で、しかも座りながら。力はうまく入らないし、綺麗には切れない。これを滑らかにするには、やすりで削ってやる必要がある。 ただ直線的に切るだけでも、これだけ大変なんだ。これを、人間型に切ろうとしたら、きっと、もっと大変だ。 それは、とんでもない労力の証。 「……」 スマホを取り出し、写真を見る。佐々木さんの作ったヒトガタは、線もまっすぐだし、滑らかだった。 彼女は下半身不随だ。立ち上がることはできない。材料は誰かに頼んで手に入れることも可能だけど、ヒトガタ作りは、誰も協力してくれないだろう。誰だって、オカルティックなものからは引いちゃう。ヒトガタを作りたいから協力してくれ、と言ったところで、協力してくれる人なんていない。 実際の板はこれほど厚くない。カッターで切ることは可能だろうし、やすりがけもできると思う。けど、それでも、こんな風な板を作ることは容易じゃない。 「そう、容易じゃない」 なのに、できた。 その理由に、私は思い至っていた。 翌日。所長と一緒に、再び、病院を訪れていた。今日は昨日と違い、宮原さんはいない。 「大丈夫なのか?」 「はい、大丈夫です」 私は自分で切った板を鞄に入れて、302号室の扉をノックした。 はい、と中から返事が来たので、部屋に入る。佐々木さんは、昨日と同じように、ベッドの上で体を起こしていた。 「あら、ホンダリサーチさん。また来たの?」 「ええ」 私は頷き、鞄の中から、件の板を取り出した。 「なあに、それ」 「板ですよ、ただの」 昨日、頑張って、ヒトガタを作ってみた。 けど、線はガタガタ、まっすぐ切ることはできず、やすりをかけたわけでもないので、きれっぱしはざらついている。 「これ、私が作ったヒトガタもどきです。どうですか、これ」 「どうって聞かれても?」 「へたくそでしょう」 「そうね。ぶきっちょなの?」 「まあ、器用ではないですけどね。でも、それだけの問題じゃありません」 私は佐々木さんをまっすぐ見つめる。彼女もまた、まっすぐに見つめ返す。 「あのヒトガタ。佐々木さんが作ったんですよね」 「ええ。でも、本当にお遊びよ」 「お遊びで、あんな精巧なヒトガタは作れません」 「あたし、器用なの」 「器用か不器用かの問題じゃないですよ。だって佐々木さんは、下半身が動かないでしょう」 ぴくり、と表情が震える。 「下半身を動かさない、言い換えれば上半身の力だけで、板を切ったり加工したりってのは大変でした。私も、綺麗には作れなかった。でも、あのヒトガタは、とっても綺麗でした。その意味、わかりますか」 「さあ、どういう意味なの?」 「あなたがそれだけ失敗したということです」 ぴくり。また佐々木さんの顔が震え、表情が抜け落ちる。 「ただのお遊びで、あれだけ精巧なヒトガタを作れるほどチャレンジし続けることはできません。ただでさえ大変なんですから。あなたは、宮原さんを“絶対に殺したくて”あのヒトガタを作ったんです」 「殺すだけなら、あんなオカルトを使う必要ないんじゃない?」 「動けないあなたが、どうやって院長先生を殺すんですか?」 そう、それが答え。 動くことはできない、けど、院長先生に対して、深い恨みがある。 そんな人だから、ヒトガタを使い、呪いなんて技法を用いた。そうしなければ、院長先生を殺すことができないからだ。 この人は、死んでも構わないなんて、曖昧な気持ちで呪いを行使していない。絶対に殺すという強い意志が、霊を動かしたんだ。 「これだけ執念をこめたあなたにだからこそ、言います。佐々木さん。もう呪いはやめてください」 「……」 「呪いなんて、使う方も使われる方も、誰も幸せにはなりません」 「……じゃあ、あの男がのうのうと生きるのを、我慢していればいいの?」 じろり、と佐々木さんは私を見上げる。その視線。その殺意に、思わずぞくりと背筋が震えた。 さっきまでの、柔らかな表情が消え、裏の本性がむき出しになっていた。その顔は、悪鬼と呼んで差支えない――強い殺意に彩られている。 「あの男を殺せるなら、あたしは死んでも構わない。そうよ、死んだって、あいつだけは殺してみせる!!」 「佐々木さん。あなたは、どうしてそれほどまでに院長を?」 「お姉ちゃんは、あいつのせいで死んだ!!」 「……ッ」 思わず、息が詰まった。 死ん、だ? 「あいつの車に幅寄せされて、お姉ちゃんは運転をミスって……、トラックに追突されたのよ。でも誰も信じてくれなかった。お姉ちゃんが無理な車線変更をしようとしたんだって! そんなこと絶対にない!!」 ――やっぱり、事故には、宮原さんが関わっていたんだ。 そんな思いが頭をよぎる。 「あたしにはあいつを殺せない。でも、誰も裁いてくれない!! なら、幽霊にでも頼むしかないじゃない! 他にどうしろって言うのよ!!」 うぅぅ、と泣き崩れる佐々木さん。そんな彼女に、所長は言う。 「君の気持ちは、理解できないでもない。でも、やはり、呪いはやめたほうがいい」 「どうして!?」 「呪いは、君自身を傷つける」 じろりと所長をにらむ佐々木さん。その目には、憎悪が浮き出ている。 「だから何? あたしは、どうなっても構わない」 「やめたほうがいい、と言っているんだ。呪いは、霊に負の感情を注ぎ込む儀式でもある。それは、とりもなおさず、自分自身も負の感情に苛まれることになる。確かにあの豚はムカつく男かもしれないが、だからといって、君がこれからの人生を投げ捨てる理由にはならない」 「あたしに人生なんてないわ。あたしの足は、もう動かないのよ」 「だが生きている。幽霊になったわけじゃない」 「……もういい。お説教なんか聞きたくない。出てって」 「君はこのままじゃ、あの豚と同じことをするんだぞ」 「出てって!!」 強く言われ、私と所長は顔を見合わせる。 「もし君がまた呪いを使うなら、何度でも止めるぞ」 そう言って、所長は部屋から出て行った。私は、何も言えないまま、ついて行くことしかできなかった。 電車が駅に着く頃には夜になってしまった。女の子だしもう暗いから、と、所長が家の近くまで送ってくれた。 道すがら、所長は言う。 「源。無理をするなよ」 「無理って、なんですか?」 「彼女の心はどうにもできない。もう、呪いに取りつかれている」 呪いに……、とりつかれている。 その言葉の意味が、よくわかった。 「お前が悪いんじゃない。呪いとは、そういうものなんだ。誰かが誰かを殺そうとするのを、俺たちがいちいち止められるわけじゃない」 「でも……」 「割り切るしかない」 「……はい。あの、ありがとうございます」 ぺこりと頭を下げる私に、所長は嘆息した。 「後味が悪いのは、俺も一緒だ」 ちょうどマンションの前だった。軽く手を振り、所長と別れた。その背中を見送り、私も深く嘆息する。 そのまま階段を上がり、自宅の前まで来たところで、私は足を止めた。 共用廊下の明かりに照らされ、ふさわしくない格好の人が立っていた。闇色の外套に、フード。 「あなたは……、千早!」 呪殺師・千早。呪いを売り物にしている女。 千早はフードを下ろすと、笑顔を見せた。 「こんばんは。でも、今日は敵対しに来たわけではないのよ」 「じゃあ、なんだって言うの」 口ではそう言っていても、油断はできない。この女が何をするつもりなのか、私にはまだよくわかっていない。 すると、千早はくすくすと笑い、 「そう怖い顔をしないで。ただ、教えてあげようと思って。あなたたちが守ろうとしていた男は死んだわ」 「……え?」 「宮原和則は死んだわ、と教えてあげたの」 死んだ? 宮原さんが? ――まさか。 「あなたが、呪殺したのね」 「ふふっ。私は何も? ただ、彼女の作った呪符はひとつじゃなかっただけ」 「……ッ!!」 精巧なヒトガタ。あみぐるみを見つけ、それを解除しただけで、私たちは満足していた。 でも、呪いは、終わっていなかった。 「これでよくわかったでしょう。呪いとは、必要に迫られて生まれた技術なの。晴らせぬ恨みを晴らすため。邪法と呼ばれようと、人々が欲する技術は廃れない」 「そんなもの! あなたが正当化される理由にはならない!!」 「あははっ! よくよく考えてみることね。呪いは、望まれて存在しているということ!!」 カツン、とヒールの音を鳴らしながら、千早は私に背を向けた。追いかけようとする私の前に、黒い影が立ちはだかる。 悪霊だ。私の力じゃ、この霊は祓えない。 まごまごしている間に、千早はゆうゆうと階段の向こうへと姿を消した。すると、黒いもやもゆっくりと姿を消す。 ぺたん、と廊下に腰を落とした私は、つぶやく。 「それでも……、私は、呪いなんて認めないから」 こうして。嫌な後味を残しながら、『呪われた院長事件』は幕を閉じた。 |