美術室の件は霊がいたけど、まだまだ七不思議は残っている。
 引き続きの調査で来たのは、学校の裏にある花壇だった。『ドッペルゲンガー』が出たという場所で、先ほど見た美術室の下に当たる。花壇そのものは東面にあり、今の時間は日陰になっていた。
「生徒がドッペルゲンガーを見たのは、ちょうどこういう時間帯だな?」
「そうですね。日陰になっているから、顔や姿を見間違えてもおかしくはありません」
 花壇の横には、校舎に入れる通用口みたいな小さい入り口がある。昼間は施錠されているわけでもなさそうだし、そこから校舎内に逃げ込んでしまえば、バレることはなさそうだ。
「目撃した生徒は、自分が見たものを生徒会長と信じて疑っていなかったな」
「そうですね。なので、ドッペルゲンガーと騒いだ」
「ここに幽霊は?」
「今のところ見えません」
 私は少しだけ、花壇を歩いてみた。
 たいして広い場所じゃない。そんな風に見たところで、見えるものが変わるわけじゃない。
 少なくても、私の目には、幽霊の姿なんて映らなかった。
 一方で、私がくるくる回るのを眺めていた所長は、
「……なんで、幽霊だと信じられたんだ?」
「わかりません」
「そう、わからんことだらけだ。ガラスが割れた美術室は、物理的な証拠があるから、まだ理解できる。だが、生徒会長のドッペルゲンガーなんて、普通に考えれば見間違いだ。なぜそれを、見間違いではなく幽霊などと断定できるんだ? そんなことを言えば、友達に引かれたりするかもしれん。なのに、平然と言うことができたのはなぜだ?」
「んーと、それは、アレじゃないですかね。そもそもそういうのが好きな学校だから」
「好きな学校だから?」
「ここ、キリスト教系の学校ですよね。熱心ではないにせよ、生徒は大なり小なり信心があると思います。それに、生徒会長も言っていたじゃないですか。ここは歴史があり、もともとそういう噂話は伝統として存在したって。だから、新しい七不思議が生まれることについても、敷居が低かったんじゃないですか?」
「……ふむ」
「それに、女の子は基本的に噂話が好きです。誰それがこんな怖い目に遭った、って言えば、そういえばアタシも、ってなりません? それが連鎖して、いろんな話が広まっていってるんだとしたら」
「ああ、それは、ありえん話じゃないな。確かに、一人が感じたことを皆に言いふらせば、それをまるで自分が体験したかのように話す奴も出るだろう。七不思議みたいな学校怪談は、元来がそういう性質のものだ」
 同じ場所で、同じ格好をし、同じことを学ぶ。
 そんな生活をしていれば、当然、お互いに共通の体験をすることも多くなる。言い換えれば、一人が体験したことは、違う誰かが体験してもおかしくないってこと。
 それを自分に置き換えて話すことはあるだろうし、それを信じた人が、さらに話すこともあるだろう。
 そうやって受け継がれていく怪談話。
「もともと、この学校にいる生徒が、そういうオカルティックな話に興味を持っていたなら、自分が体験したそれっぽい話を言いふらすことも心理的抵抗はない、か。だとしたら、集まった怪談話、その一部は勘違いということになるな」
 そう、確かに最初から、これだけ集まった怪談話の全部が本当に幽霊起因とは思えない。これだけたくさんの怪異が集まるということは、それだけの数、幽霊がここにいることなっちゃう。けど、そんなわけない。
 となれば、大半はやはり、勘違いだ。でも。
「勘違いはあるかもしれませんけど、美術室には、幽霊が実際にいましたよね」
 そう、正確には美術準備室だけど、そこに幽霊がいた。
 つまり、この学校には、幽霊が存在しているんだ。
「そうなると、どれが幽霊の起こした事件で、どれが勘違いか、はっきりさせていく必要があります」
「……面倒な話だな」
 幽霊が起こしている事象なら、除霊すれば問題は解決する。
 だけど、本人の勘違いだと、それを証明するのは難しい。ましてや、事はすでに起きた後。本人の勘違いでした、と言ったところで、納得してもらえるかどうか。
 私は、深くため息をついた。

◇ ◇ ◇


 次に調査をするためやって来たのは、『お経が聞こえるヘッドホン』。視聴覚室だ。
 正面には大きなモニターがあり、机には専用のモニターみたいなのが設置されている。簡単なボタンもあるけど、今は押しても反応がなかった。
「お経が聞こえたのはどのあたりでしたっけ」
「前から三列目、右から二番目」
「ってなると、ここですね」
 私はその席に座ってみた。
 教室の中を見渡しても、幽霊の姿はない。もっとも、机が並ぶ教室は、死角も多い。ちゃんと見ないとわかんないか。
「ヘッドホンってこれですよね」
 備え付けのヘッドホンを手に取り、ためしに耳へとはめてみた。
 当然、今はコードも繋いでいない。何も聞こえるはずは――。
「……?」
 ……いま、何か音がしなかった?
 よく耳を澄ます。遠く、さざ波のような、ざざざという音が聞こえた気がする。

 ――ぁ

「ッ!!」
 やっぱり、聞こえた。音だ。
 ううん。違う。これは、きちんと意味のある音の羅列だ。
 そう、これは、声。

 ――ぃしょうきょうしゅうこつしゅむりょうひゃくせんまん

 意味は、わからない。なんと言っているのかも、よく聞き取れない。だけど、何なのかはわかる。
 これはお経だ。
 私は、震える手でヘッドホンを外し、コードの先を見た。
 当然ながら、コードはどこにも繋がっていない。私はもう一度くるりと教室を見渡し、ふと、下を見た。
「ッ!!」
 足元だ。
 机の下、私の足元に、白いもやがあった。輪郭もあやふやなそれから、私は思わず逃げかけて、椅子から転げ落ちる。
「お、おい、大丈夫か、源」
「は、はい。大丈夫です」
 痛みのせいで、かえって冷静さが戻って来た。
 よくよく見ると、その白いもやは、小柄なおばあさんだった。正座し、手をすり合わせている。
「何が見える。何が聞こえた」
「……おばあさんがいます。手をすりあわせて、たぶん、お経を読んでいる? ヘッドホンからは、確かにお経が聞こえました」
「お経を読む婆さん、か」
 この人がどこの誰かはわからない。学校に、こんなおばあさんがいるというのも変だ。だけど、この世の人ではないことも、はっきりと理解できる。
 肩を震わせる私を、そっと所長が抱きしめてくれた。
「落ち着け。あの霊は、お前に何もできない」
「わ、わかっています。ちょっとびっくりしただけです」
 いきなり足元におばあさんがいたら、誰だって驚くわ。
 そんなことを考える頭の余裕が戻っていることに、私は自分で安堵した。