問題の空き教室は3階にある。
 窓はカーテンを閉め切られ、薄暗い。使われていないせいで、全体的に埃っぽかった。教室の隅には机と椅子が並べられているけど、それ以外には何もない、ガランとした場所だった。
 そんな教室の、真ん中。そこに、がっしりとした体躯の男の子が浮かんでいる。
 なぜか海水パンツをはいている。胸元は真っ白で、顔には当然ながら生気がない。そんなうつろな眼差しが、ただ床面を見つめている。
 私と所長は霊の前に立った。放課後の喧騒が、窓の向こうから聞こえてくる。
 どこか非日常的な風景の中、儀式が始まる。
「じゃあ、行くぞ」
 所長は手を合わせ、真言を唱え始めた。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン ハッタ」
 ――無反応。
 霊は、所長の真言にも、何も答えない。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン ハッタ」
 目を向けることも、顔を向けることもない。机が動くこともなく、椅子が動くこともない。
 まるで時間が止まってしまったような、そんな感じ。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン ハッタ」
 どれだけ呼びかけても、霊はまったく反応しない。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン ハッタ!」
 所長が少しだけ語気を強めた。それでも、霊は反応してくれない。
 嘆息し、私は口を開いた。
「……ダメです、所長。何も起きません」
「そのようだな」
 合わせていた手を開いた所長は、軽く息を吐く。
「反発どころか、反応もないんじゃな。やっぱり心残りがわからんと、どうしようもないか?」
「そうかもしれませんけど……、でも、正直、これだけの霊を全部調べるなんて、二人じゃ無理です」
 発生している案件は10件以上。そして、その全てに、それぞれ幽霊が実在しているときている。
「そうだな。しゃあない、手を借りるか」
「手?」
「優秀なバックアップがいるだろ、この学校にゃ」
 そう言って、所長は笑みを浮かべた。

◇ ◇ ◇


 生徒会室には、会長さんの姿があった。今日はノートパソコンを開き、何かの事務仕事をしている。
 私たちの姿を認めた会長さんは、パソコンを閉じ、笑顔を浮かべた。
「ああ、どうも。いかがですか」
「確かに、事象が発生している箇所のうち、ほとんどは霊の姿がありました」
「ほう。実在していると」
「信じられませんか」
「いえ、そんなことは。私自身、オカルティックな話は嫌いではありません」
 そう言って、悪戯っぽく笑う生徒会長。普段は大人びて見えるけど、そうして笑うと、なんだか子供のように見える。
「ただ、それぞれの霊について、来歴が分かりません。新怪談が発生している場所には、そもそも不幸な来歴がない」
「その通りです。美術室、トイレ、視聴覚室に空き教室に……、いずれも誰かが死んだり、そこに強い思い入れを持つような者がいた場所ではありません」
「そう、そこがポイントです。普通、霊は自分自身が強い思い入れを持つ場所か、あるいは亡くなった場所にいることが多い。なのに、この学校にいる霊たちは、何の脈絡もない場所に、当たり前のように存在し、被害を出している。これは異常です」
「それは、素人でもわかります」
「となると、見えていないだけで、何か必然性みたいなものがあるはずです。その霊は、そこにいなければならない。その理由がわからないと、除霊も効果は薄いままです」
「つまり、彼ら彼女らが、なぜ死に、なぜ学校に集まったか。その理由を調べたい、と?」
「話が早くて助かります」
 本当に優秀な人だ。そんな会長を眺めていて、ふと、気になったことを口にした。
「あの、会長さん。ひとつ聞いてもいいですか?」
「何かな?」
「普通、心霊調査とか、オカルティックな話って、もっと拒絶反応があるようなイメージなんですけど、この学校はそういうのないですよね。どうしてなんです?」
「どうしてというと困るけど……、まあ、伝統的にそういうのが好きな学校といったところかな。そうでなくても、女子は噂話が好きだしね」
「やっぱりそうなんですね。いつ頃からそうでした?」
「少なくても、私が中等部に入学した時には、すでにそういう校風だった。先輩がたから、そういう話を聞いたことも少なくない。誰それは幽霊を見たとか、どこそこで幽霊が出たとか。霊能者という先輩もいたくらいだ」
「霊能者?」
「ああ。私の3つ上の先輩なんだが、自分は幽霊が見えると普段から言っていたよ。その人によると、校内は幽霊だらけだったそうだ。もっとも、その頃は実害がなかったから、ただの怖い話で済んでいたんだが……、現状ではそうもいかない」
 前にも霊能者がいたんだ。そして、その人も幽霊を目撃している。
「現状、そういかなくなったというのは、やはりガラスのような実害があるから?」
「……ふむ」
 会長さんは少しだけ首を傾げ、
「まあ、おおむねその通りですね。ここ最近の新怪談は、実際に目撃する生徒、遭遇する生徒が多い。ガラスは極端にせよ、実際に怖い思いをした生徒は、その場所に近づきたがらなくなる。先輩の誰それが、という程度なら、面白半分に見に行く生徒はいるでしょう。ですが、自分で実際に体験すれば、それは気持ち悪いし、怖い。行かなくて済むのなら行かないようになる」
「現象が起きている場所は、今のところ、行かなければいいという場所が多いですね」
「その通りです。空き教室など用事がなければ行きませんし、トイレだって一か所じゃない。ですがこの現象が、普通教室で発生するようになれば、実害が出始めます」
「その前に対処したい、と」
「ええ。その通りです。そのためにご協力はするつもりですが」
「お願いします」
「具体的には、どのようなことを?」
「そうですね……。まず、各怪談のスポットで確認された霊の特徴を、源にリストアップさせます。そのうえで、該当するような死者が学内、ないしOGにいないか確認したい。そして、それらの人物が、なぜ亡くなり、生前どのようなことに関心を持っていたかを確定させる必要があります」
「その心は?」
「未練の追及、言い換えれば動機を探りたいのです。霊障を起こしている幽霊たちは、大なり小なり、現世に不満を持っているはず。それを解消してやることが必要です」
「かなりの数です。それだけ詳細な事柄を調べるとなると、それなりに時間もかかると思いますが。わが校のOGは莫大な人数です。それら全員の後追い調査となると、現実的ではない」
「ですが、やらざるをえません。今は情報が足りていない」
「他に何か方法はありませんか? 幽霊は見えているのだから、たとえば、強引に動かすようなことは」
「幽霊に語りかけることはできますが、生きた人間ではない以上、ロープをひっかけて引っ張るというわけにはいきません。そういう手法はとれないかと」
「ふうむ」
 会長さんも難色を示す理由はよくわかる。私だって、卒業したOGが全員、生きているかどうか確認してくれって言われたって、簡単にはできない。
 ――何か、解決手段があればいいんだけど。
 それぞれに霊がいることはわかっている。それらが、霊障の原因となっていることも、まあなんとなくわかる。
 問題は、なぜそこに霊がいるのか。
 過去、この学校で、あるいはOGで亡くなった人でも、ピンポイントに症状が発生している場所で亡くなった人はいない。
 となれば、どこか別の場所で亡くなった人が、強い思い入れのある場所に、未練を晴らせず染みついた……?
 ……なんかおかしい気がする。
 何か不自然なとこが――。
「そうだ。視聴覚室」
「うん?」
「会長さん! 視聴覚室ができたの、何年前かわかりますか」
「ああ、それくらいなら。少し待ってくれ」
 会長さんはノートパソコンを広げると、カタカタとキーボードを叩き、
「ああ、あった。視聴覚室は校舎増床工事で作っているね。竣工は13年前」
「視聴覚室ができる前は」
「改装ではなく増床だからね。当時、手狭だった校舎に、特殊教室の設備を整えた校舎をまるごと増設したんだよ。既存の特殊教室は普通教室に改装している。だから、それ以前となると、そこにあったのは空気だね」
「それです!」
 声を大きくする私に、所長は目を丸くした。
「どうしたんだ、源。視聴覚室の竣工がどうしたって?」
「わかりませんか、所長。視聴覚室ができたのは13年前。でも、あそこにいた幽霊はおばあさんでした」
「それがどうした?」
「13年前にできた校舎に、おばあさんがどんな思い入れを持つんですか?」
「……ッ!」
 はっ、と所長も気づいた顔。
「おばあさんがOGだったとしても、思い入れがあるのは、古い校舎のはずです。それこそ50年前とかの。なのに、あのおばあさんは、なぜか視聴覚室に現れ、そこでお経を唱えています」
「つまり、霊が、思い入れのない場所にいる、ってことか?」
「はい。それなら、霊が不自然な場所にいる理由の説明ができます」
 おばあさんの霊が視聴覚室にいるのも、高校のトイレに中学生の霊がいるのも、ほぼ女子しかいない学校に男子の幽霊がいるのも。
 いずれも、関係ない場所から霊が“移動して”きたとしたら。
 だとしたら、“症状”は?
「そう、もしかしたら、霊障は、そこで始まったわけじゃないかもしれません。別の場所で発生していた霊障が、この学校に移動してきているんだとしたら」
「場所と動機には直接関係がない、か。だから、トイレの明かりを消すなんていう、訳のわからない霊が生まれる」
「そうです。きっと、あの幽霊たちには、それぞれその行動を取る理由がある。ただ、場所が違うから、ちぐはぐな行動に見えているんです」
 私たちの会話を聞いていた会長は、ふむ、とうなった。
「よくわかりませんが、要するに、霊たちは別の場所からこの学校に移動してきているんですね?」
「その可能性はありえます」
「だとしたら、近隣の不幸を調べてみましょう。さすがにブラジルの幽霊が我が校に移動してきたとも思えませんし、可能性があるなら、近隣にそういう症状があったはずですから」
「お願いします」
「任せてください。これでも我が校は、近隣では評判なのですよ」
 そう言って笑う生徒会長は、とても頼もしく見えた。