その日。少し肌寒いかな、と感じる気候だった。
 私は足早にバイト先へと向かう。私がバイトしているホンダリサーチは、心霊調査の専門だ。色々な現場を経験したけど、やっぱり、幽霊のことは一筋縄でいかない。だからこそ、やりがいも感じている。
 事務所の入っている雑居ビル。その下には、郵便ポストが並んでいる。暗証番号のロックを外し、私は中に入っていた手紙を取り出した。
 事務所宛には、いつも色々な手紙が届く。以前、解決した事件の関係者から来たお礼状。所長宛の請求書。よくわからないダイレクトメール。
「ん?」
 その中に一通、まったくわからないものが混じっていた。真っ黒な封筒だ。
 ひっくり返してみても、差出人の名前はない。切手も貼っていないし、郵便局のハンコもない。ただ、蝋で封じられて、蜘蛛みたいな印が押してある。
「蜘蛛……」
 なんとなく、嫌な感じがする封筒だった。できればその場で捨ててしまいたいくらいだけど、所長宛だったら、それはまずい。
 仕方なし、他の手紙と一緒に事務所まで持って行く。事務所では、今日も今日とて所長が昼寝をしていた。
「所長」
「だっ!?」
 容赦なく蹴飛ばし、文字通り叩き起こす。所長は恨みがましい視線を私に向け、
「お前、ホント遠慮なくなってきたなぁ」
「コミュ力高いもので」
「はいはい、わかってるよ。んで? なんだ」
「これ、手紙が来ていたんですけど」
 私は、郵便ポストに入っていた黒い封筒を手渡した。所長はそれを光にすかしたりしながら、
「差出人の名前がない、か。切手がねえってことは、下のポストに直接入れたってことだが」
「だったら、この事務所まで来た方が早いですよね?」
「そうなる。もっとも、夜中に持ってきたんならそうでもねえだろうが」
「夜中にわざわざ手紙を持ってくる理由、あります?」
「ないな」
 続いて所長は、蝋の封印を見つめる。
「今どき封蝋なんてな。本物なんざ初めて見た」
「時代がかってますよね」
「もはや古典レベルだ。問題は、これをやった奴がどんな奴か、ってことだが」
 所長はカッターを取り出すと、蝋に切れ込みを入れた。
「あ、所長、開けるんですか? 何かやばいのとか入ってるかも」
「そん時はそん時だ」
 言いながらも、ひっくり返し、中身を取り出す。入っていたのは、手紙らしい便せんと、どこかの地図だった。
「……拍子抜けだな」
 手紙を開く。白い便せんに、赤い文字が並んでいる。
「悪趣味なやつ、だ……」
 所長の言葉が途切れ、真剣に便せんを見つめる。
「どうしたんですか、所長?」
「――お前宛だ」
「私?」
 首をかしげた私は、手紙を受け取った。
 文面に視線を走らせ――息が詰まる。

『拝啓 源愛梨様

 突然のお手紙、ご容赦下さい。これは、私から貴方様への挑戦状です。
 下記日程にて、山奥のお屋敷でゲームを行います。複雑な経緯を持つお屋敷での、謎解きゲームです。参加者は、いずれも金銭的に困窮した者ばかり。きっと、文字通り命がけで参加することでしょう。
 ですが、お屋敷には秘密があります。醜い人間を喰らう、悪魔が住んでいるのです。
 私は、屋敷の悪魔を狗神とします。貴方には、それを止める機会を差し上げます。
 もしも貴方が私に勝ち、屋敷の悪魔を祓うことができたのであれば、私は呪殺を廃業しましょう。
 ですが、貴方が負けたならば、私は貴方を狗神にします。霊能者の狗神は、さぞ強い力を発揮することでしょう。
 先にも申し上げましたが、これは挑戦状です。受ける受けぬは貴方がご決断下さい。

 お屋敷にて、お待ちしております。

 敬具』

 文面の下には、日程と、ゲームを行う場所の住所が書かれている。長野の山中らしかった。
 表書きと変わらず、差出人の名前はない手紙だった。けれど、内容を見れば、誰が送って来たかなんて聞かなくてもわかる。
 呪殺師・千早。私の大嫌いな、霊を使って人間を殺している、最低の女。
「源。罠だぞ」
「でも、行きます」
「……言うと思ったがな。だが、本物のホーンデッドハウスなら、危険なんてものじゃない。本当に死ぬかもしれん。ましてや、相手はあの女だ。関係なくても、殺しに来るくらいのことはしてもおかしくない」
「それも、わかっています。でも、これはチャンスでもあるんです」
「お前が霊を祓えば、あいつは廃業するって? そんなもの、口約束だ。信じられん」
「いえ、きっと、あの女は、本当に廃業すると思います」
「なぜそう言える?」
「勘です」
 そう、ただの、女の勘。ううん、霊能者の勘。
 だけど、絶対にはずれていないと思う。
 あの女は、わざわざ挑戦状を送り付けてまで、私に執着している。たかが一年未満の経験しかない、霊能者もどきを。
 私は、幽霊を見ることができる。でも、祓ったことなんてないし、そんな能力もない。そんな私に、わざわざあの呪殺師が、注目している。
 これは、あの女のプライドをかけた戦いでもあるんだ。
「所長。お願いがあります」
「連れていけと? 冗談じゃねえ、お前が死んだら、俺はお前の親になんて説明すりゃいい」
「連れていってくれなくても、電車で勝手に行くんで大丈夫です。それより、真言を教えてください」
「……お前、本気か?」
 私は強く頷いた。所長は深く嘆息し、
「お前を、一日中事務所で簀巻きにしておきたい気分だ」
「誘拐って警察呼びますよ。JK誘拐したって、性犯罪者一歩手前ですよね」
「おいやめろ。……本当にやめろよ?」
 もう一度、深く深く嘆息した所長は、
「じゃあ、御法九字を教えておいてやる。まあ、実際にアブナイ場所である可能性も否めないしな」
「ホントですか!」
「だが、むやみに使うなよ。お前は霊能力がある。才能があるんだ。その気になれば、本当に生きている人間を傷つけることもできるかもしれん。あの女のようにな」
 幽霊を使い、人を殺していた女の顔が浮かぶ。
 私は、頷き返した。
「わかりました」
「じゃあ、特訓だ」
「はい、所長!」
 力強く返す。
 千早。あなたは、絶対に、私が止めてみせる。