朝食の後、所長と岡部さんで協力して、横川さんの遺体を離れに運んだ。
 2階建ての離れは、中に入ると、教会みたいな風情だった。1階は礼拝堂のようになっており、ステンドグラスと十字架が掲げられたお祈り部屋があった。そこにブルーシートを広げ、横川さんの遺体を横たえる。
 本当は氷でもあればいいんだけど、こんな山中では、遺体を保存するほどの氷は手に入らない。棺桶もない。
 とはいえ、横川さんの部屋に、いつまでも放置するのも、気が引けた。それに、ここなら神様が見守ってくれる。……実際はともかく、そうやって信じられることは、大事なことだと思った。
 横川さんの荷物も、離れに全部運んだ。私物は鞄がひとつきり。下着と財布、それに睡眠薬の小瓶しか入っておらず、携帯電話すら持っていなかった。財布の中には、期限が切れた運転免許と、小銭がいくらか。それに千円札が一枚だけ。本当に、お金に窮していたのかもしれない。
 岡部さんいわく、この企画そのものは、もっと大きなイベントをやるための、予行演習のようなものらしい。来年の夏に向けて、大きなイベントを企画していた。今回は、イベントのルポを出すという体裁で実施していたとのこと。

『本当は、ちょっとしたホラー要素を入れて、ただのゲームができればよかったんだけども』

 そう言う岡部さんは、たった一晩で、ひどく憔悴していた。
 きっと、何もかもが甘かったんだろう。賞金金額が大きすぎたことも、この場所を選んでしまったことも。
 でも、もう遅い。動き出してしまったんだから。

◇ ◇ ◇


 横川さんを簡単に弔った後、早めのお昼を軽食で済ませ、私と所長は屋敷の中を歩くことにした。
 昨晩、横川さんの部屋に、霊はいなかった。とはいえ、本体はどこかにいるはず。それを探すためだった。
 1階の食堂は、もう何度か使っている。当然、何もない。
 キッチンは初めて入ったけど、仙田さん以外の人が使うことはあまりないようだった。調理器具や、食材がたくさん入った冷蔵庫があったけど、それだけだった。ここのかまどは、料理用に作られているみたいだけど、実際にはプロパンガスのコンロを使っているようだった。
 応接室は、離れの礼拝堂に似た雰囲気で、暖炉の上に十字架が掲げられていた。クリスチャンだったというおじいさんの影響なんだろうか。ただ、誰も使わない部屋は冷え冷えとしているだけだった。
 サンルームというのは、南側にある部屋で、一面が大きな窓ガラスで作られていた。置かれているチェストも、まるで南国にあるような、寝そべるタイプのものだ。あまり幽霊が出るような雰囲気じゃない。
 食料が詰め込まれた倉庫は、影となる部分が多く、あちこち見渡すのに苦労はしたものの――結局、何もなかった。ただ、食料だけは余分にあることがわかって、正直、ほっとするところはあった。橋が落とされた以上、いつ帰れるかはわからないんだから。
 2階にあるのは各自の部屋。ここは問題だった。
 いまだにゲーム感覚が抜けない各参加者は、私たちが部屋を調べることを拒んだ。何人かは、軽く見渡すことくらいは許してくれたけど、それで十分かと言われると自信がない。ただ、とにかく霊の姿はなかった。
 3階の岡部夫妻がいる部屋や、仙田さんの部屋まで調べさせてもらったけど、こっちは特に何もなかった。部屋割りは私たちの部屋と大きく変わるものじゃない。隠れていないことは明白だった。

◇ ◇ ◇


 家の中をぐるぐると歩き回ることに疲れた私たちは、いったん、家から出てみることにした。気分転換にもなるし、淀んだ家の空気を吸い続けているよりは、山の空気を吸った方が気分も晴れる。
 そう思って出てみると、崩れた橋のたもとに、岡部さんの姿があった。
「岡部さん」
 声をかけると、岡部さんは、ああ、と声を出した。
「いかがでしたか。幽霊探しは」
「見つかりませんね。他に、何か心当たりになるようなものはありませんか?」
「いえ、とくには。もとより、この家は妻の実家の持ち家ですから、私はそこまで来歴に詳しくないのです」
 そう答える岡部さんは、やはり元気が感じられなかった。きっと、お昼も食べていないんだろう。
「岡部さん。ここで何を?」
 私が聞くと、岡部さんは、橋がかけられていた崖を見やった。
「なんとか、向こう側に渡る方法はないかなと。あるいは、沢のほうに行けば、下れるかな、とか」
「沢?」
「この崖、下に小さな川があるでしょう? あれがもう少し上流では沢になっているんです。水車小屋もあって、屋敷の水を賄っています」
「ほう。それで、水も通っているんですね」
「そういうことです。そこを通れば、麓まで行けるかなと」
「失礼ですが、登山の経験でも?」
「からっきしです」
 答える岡部さん。それでも、と続ける。
「安易にイベントを企画したのは私ですから。だから、最後まで責任を持たないと」
「責任を持つことと、自殺することは違いますよ」
「わかっていますよ。それでも、何かをせねばならん気になるんです。まあ、落ち着かないんですよ」
「……とにかく。無茶なことはしないように」
 ええ、と答える岡部さん。その笑顔は、むしろ不安をあおるだけだった。

◇ ◇ ◇


 岡部さんと別れ、再び食堂にやって来た私たち。私はぐるりと食堂を見渡し、
「ほんっとに、どこにもいないですね」
「お前が頼りなんだぜ、頼むぞ」
「そう言われても……」
 嘆息するしかない。
「それとも、ここにいる霊は、私には見えない霊なんでしょうか」
「見えない霊?」
「今のところ、私にはたいていの霊が見えてますけど……、でも、うちに引っ越してくるまで、幽霊なんて見たことありませんでしたし。もしかして、そういう霊もいるのかな、って」
「難しいところだな。なんとも言えん」
 所長も困ったように頬をかき、
「そもそも、霊ってのが何なのか、解明されているわけじゃない。お前が見ているものも、言ってしまえばお前の主観だ。お前がそうと感じるところのものを霊と名付けている、ただそれだけに過ぎない」
「それは、まあ、そうですね」
「だから、実際には霊という存在は、違うのかもしれん。あるいは、お前が見ている霊と、千早が見ている霊は違うかもしれん。それを識別する方法はないんだ」
「私と千早が……、違う?」
「人間の目で見ている映像の問題なんだ。そんなもの、誰かと比べようがない。景色なら写真というある程度、客観的な証拠は残るが、霊じゃそうもいかん」
「すみません、よくわからないんですけど」
 私がそう言うと、たとえば、と所長は机を指した。
「このテーブル。これは何色だ?」
「え? えーと、茶色というか、マホガニー? 的な」
 漆のようなものを塗られたテーブルは、味わい深い茶系の色合いだ。
「俺もお前も、茶色と言われれば、まあこの色を思い浮かべることはできる。でも、俺が思っている茶色は、お前の意識からすれば青色かもしれん」
「そんなに違うことなんてあります?」
「比べなきゃわからん。もっとわかりやすく言うなら、色盲なんかだな。色味が正確に見えていなくても、自分ではわからない。他人という、客観的な観測者がいて、初めて自分が大多数とは異なると気づくんだ」
「ああ、なるほど……」
「ところが、幽霊という分野においては、大多数がない。客観的に観測する手段もないし、観測者もいない。全部が全部、霊能者を通じて観測できる結果だけだ。人間の目を介する以上、それは客観性なんかない。すべて主観だ。だから、間違っていても、何もおかしくない」
「そっか。じゃあ、今まで私が見たものも、実は幽霊じゃない……?」
「可能性は残るってことだ。もっと正確に言うなら、『幽霊と思う』存在が見えていて、『幽霊が原因と思われる』症状がそこにあり、『幽霊と思う存在を祓ったら』症状が治まったってのが事実だ。それは、もしかすると、ただの妄想かもしれん。それを、別の妄想で上書きしているだけかもしれねえんだ」
「……それは」
「いや、お前の能力を疑っているわけじゃないんだ。学校の事件みたいに、複数の人間が事象を確認している件もあるしな。幽霊は実在するんだろうし、それらが起こしている事象も間違いはないと思う。ただ、俺がそう思っているだけで、それを確かめるすべはないってことだ」
 ごほん、と咳払いし、所長は続ける。
「何が言いたいかっていうと、お前が見えない霊がいても、何もおかしくはないってことだ。幽霊そのものは科学的な見地から調査できているわけじゃない。だから、温度計サーミスタだって使ってるだろ?」
「それはそうですけど。でも、温度計でも、温度分布におかしなところはありませんでしたよね」
「そうだ。それが、昼間だから霊が活性化していないだけなのか、あるいは何か盲点があるのか……、だな」
「活性化していなくても、おとなしくしている霊くらいは見えそうなものなんですけど……。ここの霊、強いんですし」
「そうなんだよな。本当に、色々と平仄ひょうそくが合わない。ひとを殺せるくらい強いのに、昼間は見えない。殺すという事象を飛ばせるくせに、気配もない。強いって思う客観的な要素はあるのに、実際に調査すると、弱い霊と同じような状態。これはどういうことなんだ?」
「まだ、秘密があるんですね。この屋敷に」
「屋敷の秘密、か」