そこで、ふと、所長は顔をあげた。コーヒーのいい香りに気付いた私は、振り返る。
「少し、休憩になさってはいかがですか」
 トレーからコーヒーカップを下ろした仙田さんは、にこやかに微笑んだ。その顔を見ていると、安心する。
「そういえば、仙田さんは今回、イベントの準備もしているんですよね?」
「ええ」
「その時、変なこととかありませんでした?」
「幽霊のようなものを、ということでしたら、特段不調はございませんでした。私は見ての通り生きておりますし、イベントの前日から泊まってはおりますが、そのような出来事にも遭遇しておりません」
「前日から……、前日?」
 私は首を傾げ、
「前日って、たった1日でこの屋敷の掃除とかできたんですか?」
「ええ。一週間ほど前にも一度、現調に伺っておりますが、汚れは左程でもありませんでした。人が使っていないせいやもしれません。設備も、いずれも問題なく稼働しております」
「人が使っていないから……?」
 そんなことはない。
 人間が使わなくても埃は積もるし、むしろ、何年も誰も使っていない屋敷なら、壊れたり汚れていて当たり前だ。けど、そうなっていなかったってことは……。
 それも、幽霊の仕業?
 なんだろう、それ。掃除をする幽霊なんて聞いたこともない。しかも、そんな幽霊と、人を殺す幽霊がマッチしない。
 それとも、幽霊屋敷は、埃すら恐れて近づかないんだろうか。
 私が思考に没頭していると、仙田さんは柔らかく笑いながら、
「あなたがたのおかげで、宏美お嬢様も少しは心安らかに過ごせております。たいへん、感謝しております」
「宏美お嬢様って、あなたは、宏美さんの使用人なんですか?」
「左様にございます」
 うわぁ。うわぁ。なんというか、上流階級って感じ。使用人だって!
「正確には、宏美お嬢様の御実家である岡部家に仕えさせていただいております」
「岡部家? じゃあ、岡部さんは……」
「婿にございます」
 なるほど、お婿さん。じゃあ、奥さんには頭が上がらない? ……そういう感じでもないか。
「私は、昔から岡部家にお仕えさせていただいておりました。宏美お嬢様も、生まれた時からお世話させていただいております」
「じゃあ、宏美さんのおじいさんとも面識が?」
「はい、もちろんにございます。宏美お嬢様のおじいさま――邦夫様は、お父様である正様の事業を引き継ぎ、拡大なされました。岡部家の財は、邦夫様の代で倍ほどにも膨れております」
「やり手だったんですね。仙田さんは、邦夫さんから、何かお話は?」
「それは、この屋敷に関して、ということでございましょうか? でしたら、私は何も聞いておりません」
「仙田さんでも?」
「はい。邦夫様は、このお屋敷にいらっしゃる時だけは、絶対に誰も引き連れず、おひとりでいらしていましたので。屋敷のお話をなさることすら嫌がられておりました」
「そんなにこの屋敷を恐れていたのか……」
 私は、話を聞きながら、コーヒーをすする。香りもいいけど、意外と味もいい。苦くない。
「一人で来ていると、色々と大変そうですね」
「それほどでもないかと。この屋敷は、近くの沢から水を引いておりますので、飲み水には困りません。また、沢には小さいですが水車小屋もございまして、電気にも余裕がございます。今回のイベントでは、さすがに足りませんので、燃料と発電機を持ち込んでおりますが、おひとりならば、それさえ必要なかったかと」
「本当に、自立した屋敷だったんですね。当時にしては珍しいのでは?」
「そうですね。水を引くくらいはあったと思いますが、発電設備まで設けているのは、そうなかったかと。もっとも、これらは邦夫様がおつくりになられておりますから、おひとりで過ごせるように、との配慮かもしれません」
「……そういえば、この屋敷を作ったのは、曾祖父だと宏美さんも言っていましたね」
「はい。この土地そのものは、宏美お嬢様の曾祖父である正様の時代に購入されたものです。そして、ここに和風の別荘を建築されたと聞いております。縁側があり、庭があり。そこで、孤児院の子供たちを遊ばせていたそうです」
「和風建築?」
 そういえば、このお屋敷は、どう見ても洋風建築だ。和風建築だった名残なんて欠片もない。
「そうして考えると、かなり大規模な改装というか、もはや建築レベルですね。そこまでしたのに、邦夫さんは、この屋敷には住まなかった?」
「そういうことになるかと」
「……所長」
 私の声に、所長は視線を変えた。
「あの、幽霊が出るようになったのは、いつからでしょう」
「俺も同じことを思った。最初に建てた家と、今の屋敷。まったく違う建物だ。そのレベルで改築していて、しかも幽霊が場所に憑いていたなら――」
「改築後に、幽霊が出るようになった」
「だが、改築した岡部邦夫自身は、この屋敷に住んでいない。このレベルの改築に発電設備まで作れば、かなりの金がかかったはずだ。なのに、それをしていない」
「ってことは……、改築工事中に、何かあった? そして、幽霊は、改築が終わった後も、この屋敷に残り続けている!」
「……可能性はあるな。工事作業中なら人が死ぬことだってありえただろう。当時ならなおさらだ。それでいて、こんな山中じゃ、問題にならなかった可能性も残る」
「そうして亡くなった人の霊が、人を呼んでいるとか」
「ありうる。そうなると、奴が巣食っているのは……、まさか、家のデッドスペースか?」
「デッドスペース?」
「屋根裏とか、床下とかだ。工事中は普通に入れるけど、建築が終わった時点で塞いじまうような場所。そこで事故が起き、そこに巣食っているとしたら、お前の目に見えないのも理解できる」
「でも、そうなると、どうやって探したら……」
 私は天井を見上げた。洋風建築だけあって、天井もかなり高い。
 所長も同じように天井を見上げ、
「……点検口がないな。天井裏を確認できるスペースがない。仙田さん、この屋敷の天井裏を確認することができる場所はありますか?」
「あいにく、そのようなものは……。なにぶん古い屋敷ですので、天井裏には設備を置いておりません。そのため、それらをメンテナンスするための設備も、整えられていないのです」
「なるほど……」
 どうしたものか、と思案する所長。天井を壊せば見えるだろうけど、そこまでするのもちょっと。
「開口してまわるのも、現実的じゃないな。最後の手段ってところか」
「じゃあ、どうします?」
「可能性が最も高いのは横川の部屋だ。だから、彼女が最初に死んだって話になりうる。そこを調べよう」
「了解ですっ!」
 私はビッ、と敬礼した後、
「あ、でも、コーヒー飲んでからでいいですか? これ美味しいんです」
「ああ、そうだな」
 そんな私に、所長は苦笑した。