翌日、朝一番で、私と所長は宏美さんのもとを訪れた。
 宏美さんはすでに起きていて、食堂にいた。かたわらで、仙田さんが紅茶を淹れているところだった。
「おはようございます。宏美さん。ちょうどよかった、お二人に聞きたいことがあったんです」
「私たちに、ということは、やはりこの屋敷の霊について、ですか?」
「それもそうですが、それだけではありません。宏美さんの曾祖父――岡部正さんについてです」
「はい? 曾祖父ですか?」
 小首をかしげる宏美さんに、所長はまくしたてる。
「どんなことでも結構です。ひいおじいさんの時代、この屋敷はどんなだったか? ひいおじいさんはどんな家族構成で、どんな暮らしをしていたか? 何かご存知のことはありませんか」
「そう言われましても……。さすがに、私も曾祖父には会っていないんです。私が生まれる前に亡くなりましたから。聞き及んでいることは、篤志家だったということくらいで。仙田さんは、何かご存知?」
「そうですね。私が岡部家にお勤めするようになったばかりの頃は、まだ正様もご存命でした」
「お会いしたことは?」
「それはほとんどありません。正様はこちらにお住まいでしたが、我々は、東京の本家で勤めていましたから。正様はお若くして御病気がございまして、こちらの屋敷で療養されておりました。その頃はここに専属の使用人が一人おりまして、正様のお世話はその専属使用人が全てしておりました。私は、せいぜい、正月にこちらのお屋敷へご同行した程度です」
「その時の様子はどうでしたか」
「正様は、非常に礼儀正しい方だったと記憶しております。私のような使用人にも、丁寧に接してくださいました」
「他に、同居人などは」
「使用人一人だけです」
 岡部正さんは、病気だった……。
 それは、どういうことだろう。所長と私の考えが正しければ、岡部正さんは、ここで人を殺していたはず。それも、定期的なレベルで。
 あるいは、使用人が手伝っていた……? ううん、使用人が手伝わなきゃ、無理だ。同居していて、同じ屋敷に住んでいる人が人を殺していることに、気づかないはずない。
「あの。使用人の人は、どんな人だったんですか?」
「使用人ですか? 永田千代と申しまして、当時はまだ20代だったと記憶しております」
「その方は、正さんの死後は?」
「永田なら、正様が亡くなる前に、事故で亡くなりました。そもそも、当時は麓からこの屋敷に定期便がありまして、食料を運んでおりました。その者が、亡くなっている正様を発見したのです。後に付近を捜索したところ、永田の遺体が発見されました。状況から、山菜取りでもしていたところ、崖で足を滑らせたのだと推測されました。足を骨折して、歩けなかったのだろう、と」
「正さんは、歩けないほどの御病気だったのですか?」
「亡くなる半年ほど前からは。言葉を話すことも苦手になっておりまして、食事も満足に摂られておられなかったようです。使用人が事故死したため、世話をする者がいなくなり、結果的に食事ができず亡くなられたのではないか、と」
「……」
 沈黙し、思考を巡らせる所長。そんな所長に、宏美さんは小首をかしげた。
「曾祖父が、何か?」
「いえ。ひいおじいさんは、この屋敷の霊をご存じだったのかな、と」
 視線は仙田さんに。仙田さんも小首をかしげ、
「そういえば、正様からも、永田からも、そのような話は聞いておりません」
「やはりそうですか……。ありがとうございます」
「いえ。この程度のお話でも、何かご参考になるのであれば」
 笑みを浮かべる仙田さん。だけど、私と所長は、別のことを考えていた。

◇ ◇ ◇


 再び所長の部屋に戻って来た私たちは、ベッドの上にぼすんと座った。
 すると、おもむろに所長が口を開く。
「岡部正は、病気だった」
「そうみたいですね。病気があったとすると、やっぱり殺人は無理でしょうか」
「そんなことはないだろうが、少なくても、寝たきりになった後は無理だな。だが、もっと有力な容疑者がいる」
「……永田千代さん」
 岡部正さんに仕えていた、たった一人の使用人。
「永田千代が殺人を犯していたとして、それは、なぜだと思う?」
「そんなの、わかるわけないじゃないですか」
「いや。推理は、できると思う」
 あごに手を当て、所長は続ける。
「いいか。岡部正が人を殺していたとしても、この屋敷で同居していた永田千代が知らないわけはない。少なくても二人は共犯、年齢と病気のことを考えれば、実行犯は永田千代だ。だが、使用人に過ぎない永田千代に、なぜ正は殺しを許していた?」
「それは……、わかりません」
「可能性は二種類だ。岡部正が主犯なら、永田千代はその手伝いをしていたということになる。すなわち、永田は実働を担ってでも、メリットがあった。快楽殺人者だったのか、それだけの報酬を与えていたのかは知らんが。
 だが、もうひとつ、永田千代が主犯で、正はその補助をしていたという可能性も残るんだ。逆に言えば、永田が人を殺すことが、正のメリットになった」
「そんなことあります?」
「ありうる。ところで、正は何の病気だったんだと思う?」
 いきなりの違う質問に、私は首を傾げた。
「さあ? そういえば、仙田さんも、病名までは知らないみたいでしたね」
「体が動かなくなり、言葉が満足に話せなくなり、食べることもできない。そこに……、人殺しって要素が加わると、ひとつだけ、思い当たる病気があるんだ」
 所長の顔色は青かった。私には、その意味が分からない。
「思い当たる病気って?」
「ヤコブ病」
「……? なんですか、それ」
 ごほん、と咳払いし、所長は続ける。
「正式名称はクロイツフェルト・ヤコブ病だったか。主な初期症状は、歩けなくなったり、けいれんが出たりだが、ほぼ一年程度で死に至る。普通に生活していて発病することはないが、特定の習慣がある者は、高い確率で発病する」
「なんですか、もったいぶって。習慣って?」
「それはな、食人。人を食べることだ」
「人を……、え?」
 人を、食べる?
「イギリスだかで発症した奴が出たのを皮切りに、世界で問題になった病気だ。潜伏期間は短くても10年以上、長ければ50年。
 岡部正は、世代で言えば戦中の世代だ。旧日本軍は無茶な作戦も多く、食料がないまま戦地に取り残される兵士が続出した。その中で、互いに共食いをしたものもいる。戦後、正がその味を忘れられず、習慣化していたら……、発病しても、おかしくない年代になる」
「じゃあ、永田さんは……」
「岡部正に人肉を与えていたんじゃないか? そして、岡部邦夫はその事実を知っていた。だから、この屋敷を改築してでも、秘密を守ろうとした。ところが、永田千代は、自分が死んだことを理解できていないまま、今も岡部正に人肉を捧げようとしているんじゃないか」
 ふっ、と、霊のいない屋敷の姿が浮かんだ。
「じゃあ、永田千代は、殺した相手の霊を運んで、食べている……?」
「可能性はある。それなら、屋敷のどこにも霊がいないことも、一晩に一人しか死なないことも説明できる。永田千代は、人を殺す。だが、霊体である彼女は、肉体を運べない。そこで、霊体だけを運ぶんだ。一晩に一人しか死なないのは、一人で“満腹に”なるからじゃないか」
「そん、なこと」
 違う、とは、言えなかった。
 永田千代さんが“悪魔”の正体だった場合。そして、彼女の目的が、『食べるため』だったとしたら。
 何もかもが矛盾しない。その事実に、気づいてしまったから。
 もちろん、所長が言っているのは、ただの可能性。それ以外の可能性もある。けど、所長が言っていることも、矛盾はしない。
 たとえば――永田千代さんが、主犯だったとしたらどうなるだろう。彼女が快楽殺人者だとしたら?
 そうなると、岡部正さんが彼女を匿う理由が必要になる。そんな理由がある?
 あるいは、岡部正さんが主犯で、お金で永田さんに人を殺させていたとする。その場合、なんで人を殺す必要があるの?
 何より、どんな理由でも、『霊がいなくなる』ことの説明はできない。霊を運んでいるのは霊だけだ。ここに巣食う“悪魔”は、霊を連れ去る理由がある。殺すことそのものに意義があるのなら、殺した後の霊には用なんてない。
 だけど、そう、“霊”に……、言い換えれば、殺した後の“体”に用事があるなら、それが説明できる。
 理解したとたん、体が震えた。ガタガタと震える私を、所長が抱きしめる。
「悪い。言う必要はなかった」
「い、え……。教えてくれて、ありがとうございます。霊がなんで人を殺すのかわからなきゃ、除霊できませんから」
 ここに巣食う霊は、人を食べるために殺しているのなら。
 そんなことは、絶対にやめさせなきゃいけない。
 それでも、今は――所長の温かさに、身をゆだねていたかった。