茨を小笠原家に預けて数日後の休日。
 太陽は預けた手前もあり、様子を見に行くことにした。
 小さな母屋ではなく、道場の方に足を向けてみた。今日はスクールの日だが、ちょうど終わったばかりらしく、受講生らしいご婦人が出て行くところだった。
「あ、太陽」
 受講生たちの見送りに出ていたミハエルと視線が合う。金髪碧眼に道着とは、いまいちしっくりこない。
 もっとも、今では日本人より外国人の方が道着を着る機会は多いかもしれないが。
「よう。調子どうだ」
「僕はバッチリ。やっぱり体を動かすと気持ちいいよね。太陽もやったら?」
「俺? 俺はいいよ」
「そう? もったいないね」
 今日は道場の方に通された。板の間の道場は縁側に面しており、初夏の風を入れるように、障子が全開にされている。
 そんな道場の中で、こまめに動く人影ひとつ。茨だった。
 道場での働きやすさを重視してか、私服ではなく道着。妖怪たちは普段から着物を着なれているだけに、道着姿にも違和感はなかった。
「へえ、真面目に働いてんじゃんか」
「――? ああ、なんだ、烏丸太陽」
「前から思ってたけどよ、フルネームで呼ぶのってめんどくないか」
「いいでしょ別に。それで、何しに来たわけ」
「お前がちゃんとバイトできてっかだよ」
「し、失礼ね!」
「……そんな失礼かなぁ」
 前歴を考えれば、不安になるのは当然のこととも言える。
「大丈夫だよ、太陽。不知火さんはちゃんと働いて――」
「ば、バケツの水を変えてくるわ」
 ささっ、とその場を去る茨。どたどたと廊下を走る背中を見つめ、
「なあ、ミハエル。お世辞なしに、迷惑かけてねーか、あいつ」
「うーん、最初はちょっと戸惑ったけどね。まさか雑巾がけしようとして床に穴が開くとは思わなかったけど」
「……あいつ」
「でも、それって彼女がとても真面目だからだと思うよ」
「はぁ?」
 縁側に座ったミハエルと二人、お茶をすする。初夏の陽気は気持ち良いのを通り越して、少し暑いくらいだった。
「彼女、普通の人より力が強いんだね。そうは見えないから驚いたよ」
「あ、ああ、まあな」
 そりゃ鬼だし。
「雑巾がけにしてもそうだけど、きちんとやろうとすると、力が入りすぎちゃうんじゃないかな。だから、何かを壊したりしちゃう。今までのバイトも、案外とそんな感じだったんじゃない?」
「あ? ああ、そういや……」
 通行人とケンカしていたのはともかく、皿を割ったり荷物を破損したり、そういうのは単純な力加減の問題だ。
「さいわい、ウチは道場だからね。力加減を教えてあげたら、よく働いてくれるよ、実際。この道場を一人で掃除するのとか、口で言うのは簡単だけど、大変だよ」
「確かにな」
 小笠原家の道場は、学校の体育館ほどあるわけではないが、それにしたって『道場』の名前を冠するくらいには広い。そこを、一人で掃除するのだ。普通は嫌になるだろう。ましてや、あの爆発破壊娘たる茨がやっているのだ。
「任せといてなんだけどよ、あいつにそんなところがあるとは思わなかったな」
「そうかな? 太陽も案外と、そう思ったから僕に任せたんじゃないの?」
「そこまで深く考えちゃいねえさ」
「どうかな。太陽、いつも本当に考えていることは教えてくれないよね」
 ふふ、と笑うミハエルの隣で、太陽は「買いかぶり過ぎだよ」などと呟く。
「そうね、買いかぶり過ぎだわ」
 視線を上げると、いつの間にか、水を汲んだ茨が戻ってきていた。
「こいつは、褒めるところなど何一つない、どーしようーもうない男よ」
「そこまで言われるほどひでえことしたか」
「ぶっ殺されたいの?」
 今さらだった。
「でも、まあ、少しだけ感謝してあげるわ」
「……明日は槍でも降るんじゃねえか」
「本当に憎たらしいわね、あんた」
「仲がいいね」
『どこがだ!』
 くすくす、と笑ったミハエルは、茨の持っているバケツに目をやり、
「不知火さん、後は僕がやっておくから、今日はもう上がりなよ」
「え? なんでよ」
「今日は天気もいいし、後はスクールもないしね。せっかくだし、太陽とデートしてきたら?」
「でぇとぉ?」
「……太陽。デートって何よ」
 茨が小声で聞いてくるが、太陽的にはあまり答えたくなかった。普通に答えたら、それだけでぶち殺されそうな気がする。
「おい、ミハエル、俺とこいつはそーゆー関係じゃねえ」
「まあまあ、照れないで。ほらほら、行った行った」
「人の話を聞きやがれ!!」
「だから! あたしに理解できるよう説明しなさい!!」
 太陽の周囲にいる人間というのは、基本的に人の話を聞かない。
 そういうもなのだ。

 たらたら、茨と共に道を歩く。
「で。なんでこのあたしが、あんたなんかと一緒に歩かなきゃいけないわけ」
「ミハエルに聞け」
 茨と太陽は、べつだん仲良しではない。接点もそう多いわけではなく、それゆえ、会話さえ成立しない。
 ありていに言って苦痛なだけ。
「……。そういえば、茨、なんでバイトしだしたんだよ」
「なんでって?」
「理由だよ。くるみがバイトしてんのはわかったけどさ、それとお前のバイトって関係ねえじゃん」
「あんた、何を言ってるわけ?」
「なんだよ。何か変なこと言ったか?」
「変よ。だって配下の妖怪が働いているのよ? 長がそれを黙って見過ごすなんてありえないじゃない」
「つっても、くるみは別に――」
「あの子がどう思っていようとも関係ないわよ。金銭的に不満があるなら、それを解決するのも長の役目でしょう」
 まじまじと茨を見つめる太陽。その視線に気づいた茨は、不満そうに眉をひそめる。
「何よ」
「いや。お前って、ちゃんと長なんだなって思っただけだよ」
「当たり前でしょうが」
 ふん、と茨は鼻を鳴らす。
「実際ね、鬼で長やるなんて、言うほど簡単じゃないの。でも、くるみは最初からあたしを慕ってくれた。なら、なおのこと、あの子のために恩義を返すのは当然でしょ」
「妖怪基準で考えれば、普通じゃねえだろうよ」
 妖怪は個人主義。自分がよければ、その他は割とどうでもよい。
 長とて、種族的には必要ない。それをあえて設けるのは、妖怪としての掟を守らせるためのもの。決して、信頼関係など必要ない。
 それでも茨は“長”として、くるみのために尽くそうとしている。
「お前のこと、ちょっと見なおしたわ」
「当然ね。媚びへつらってあたしの下僕になったうえ、ぶち殺されるなら前のことは水に流すわ」
「俺が死ぬじゃねえか」
「些事よ」
「んなわけあるか!」
 ふと、どちらからともなく、足を止めた。妖気を感じたからだ。
「この気配、くるみ?」
 はたして、四つ角を曲がってくるみが現れた。太陽たちの姿を認めると、ひょこひょこやって来た。
「ちょうどよいところでお会いしました、不知火様」
 くるみは手に小さな紙袋を持っていた。たった一つの目を茨から太陽に移し、
「なぜ烏丸太陽と?」
「諸事情よ」
「そうでしたか」
「それで納得するのかっ」
「不知火様がおっしゃることは絶対です」
「で、くるみ、どこに行っていたの?」
「はい、不知火様。買い物です」
 こくりと頷き、くるみは茨に紙袋を差し出した。
「こちらを不知火様にお渡ししようと思いまして」
「何、これ?」
 受け取った紙袋を開くと、中からお菓子の包みが現れた。太陽でも知っている有名ブランドのクッキーだ。
「クッキー?」
「はい、ここの品を食べたのですが、他に比べて美味しかったので」
「あんた味とか理解してたのね。でも、これ、値が張るんじゃないの?」
「たいしたことはありません」
「そうでもないように見えるけど……、ん?」
 紙袋の中には、メッセージカードも入っていた。開いてみると、『お誕生日おめでとう』とある。
「これは?」
「人里に来て知ったのですが、人間には生まれた日を祝う風習があるとか」
「ああ、誕生祝いだな」
「はい。ですので、私も不知火様の生誕を祝いたくなりまして」
「――ッ」
 茨は少しばかり顔を赤くすると、そっぽを向いた。
「不知火様?」
「な、なんでもないわ。あ、ありがと、くるみ」
「いえ」
 決して良い目で見られはしない“鬼”の茨にとって、生まれを祝うというのは、それだけで意味がある。
 もっとも、多々良くるみが、どこまで理解しているかは分からないが。
 感極まっている茨を横目に、太陽は小声で聞いてみた。
「なあ、茨の誕生日なんて、よく知ってたな?」
「知りませんよ。ですが、およその季節は知っています。それが初夏です」
「なるほどね」
 茨にもくるみにも、自分が知らない側面がある。
 そのことに少しだけ感心した、太陽だった。



   
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