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期末試験を終えれば、高校は夏休みに入る。 冷房設備のないアパートでは、午前中といえど悪魔のように暑い。その中にいた烏丸太陽は、さてどこで涼もうか、などと考えていた。 このアパートで一日を過ごすことは考えられない。いくら妖怪といえど、この部屋は生活できるレベルを超えている。 「どーすっかな……、と」 その時、太陽のケータイが鳴った。発信者の名前は『獅堂 瑞奈』。 「うい、烏丸っすけど」 『ああ、太陽か。今、大丈夫か』 「大丈夫っすよ。でも、どうかしたんすか?」 『太陽、お前、しばらく暇はあるか』 「暇か暇じゃないかっていえばいつでも暇ですけど」 『それなら都合がいい。それなら、2,3日くらいバイトしてくれないか』 「バイト?」 『実はな、郁乃が海に行きたがっているらしいんだ』 「らしい、ってのは?」 『あの子はあたしに直接、そういうお願いをする子じゃない。ただ、人づてに聞いてな。郁乃は普段からあたしに何も言わない。だからこそ、願っていることくらいは叶えてやりたくてね』 「そりゃ構わないっすけど……。なにも、海くらい先生が連れてってやりゃいいんじゃないすか?」 『あたしゃ火車だよ。火の妖怪で、猫の妖怪だ。水辺は嫌いなんだよ』 「ああ、なるほど」 『そういうこった。だけど、あの子は妖怪で、しかも妖怪の中でも特殊なサトリだ。それを気にしない奴なんて、そうはいないからね。けど、お前はそういうの、気にしないだろう?』 「そりゃあまあ、俺も妖怪ですし」 『そういう問題じゃないんだがな。一応、高校生と小学生だけで泊まりの旅行をさせるのは問題になりかねないから、あたしも旅館までは同行するよ。ただ、海での遊びはお前に任せっきりになる。大丈夫か』 「泳ぎなら大丈夫っすよ。鳥だけど」 『ほう。それは良いことを聞いた。だけど、あまり沖に行かない方がいいだろう。郁乃は泳いだことがないんだ』 「まあ、妖怪の里に住んでいたなら、泳ぐ機会なんてないでしょうね」 妖怪の里は山中にある。当然、海とは最も縁遠い場所だ。 『じゃあ、そういうことで。日取りが決まったらまた連絡するよ』 「ういっす」 通話が途切れたところで、太陽はごろっと横になった。 「海かー」 過去、海の思い出といえば、ルナに連れられてシーサーペントだか大王イカだかを探しに行ったことくらいだ。 ――沖の海はゴムボートで移動するのに適さなかったことを覚えている。 「……。今度はいい思い出になるといいけどな」 妖怪から幽霊にクラスチェンジするのは、ごめんだった。 翌週。獅堂瑞奈の運転する車に揺られ、太陽は海水浴場にやって来た。 夏場の海水浴場ともなれば、盛況なのは当然のこと。だが、事前に獅堂が『穴場だ』と言っていただけあって、その場所は盛況ながらもスペースがあり、小さい子供を連れても遊べるだけの余裕が垣間見えた。 「おー……」 海を目の当たりにし、郁乃は感嘆の声をあげた。 「どうだ、郁乃。海は」 郁乃の少し後ろから声をかける太陽。サトリの少女は振り向き、 「カラス。早く海に行く」 「慌てなくたって逃げやしねえっての。それよか準備運動しなきゃよ」 「むぅ」 しぶしぶ、郁乃は太陽に付き合うように、軽い体操をこなす。 ちゃんと体を馴らしたところで、二人は海に入った。 「……」 「郁乃?」 声をかけるが、郁乃はじーっと海を見つめていた。 「カラス、冷たい」 「そりゃまあ、水だからな」 ぱしゃぱしゃっと少し深いところまで進んでみる。 寄せては返す波が、郁乃の腰を洗う。この感覚はプールにないものだ。 郁乃は泳ぐわけでもなく(そもそも泳げないだろうが)、ただ海水を眺めていた。太陽も、あえて何をさせるわけでもなく、後ろから見守っている。 と、少し大きな波が来た。高校生並の体型である太陽はかぶるほどではなかったが、小学生である郁乃は、頭まで海水を浴びることになった。 「わぷっ」 「はは、大丈夫か?」 驚いて尻もちをついた郁乃は、太陽を見上げる。 「カラス! 塩辛い!」 「そりゃ海水だからな。海水を煮詰めりゃ塩ができるっつーし」 「おお。カラスは物知り」 「いや……、誰でも知ってると思うぞ?」 まあ小学生が知っているかどうかはともかく。 「カラス、泳いでみたい」 「おーし、じゃあ俺が泳ぎ方を教えてやろう」 「おー!」 そこから少し離れた、砂の上。 パラソルの下に、獅堂の姿があった。浜辺に出るので、一応は水着。ただ、泳ぐつもりは一切ないので、上からパーカーを羽織っている。 「あっついなー……」 ビール缶に灰を落とし、煙草をくゆらす。浜辺にも喫煙オーケーの場所と禁煙の場所があった。もちろん獅堂は喫煙可の場所にしか陣取らない。 浜辺からも太陽と郁乃の姿は見えていた。浅いところで泳ぐ練習をしているらしい。郁乃は運動神経がよいわけではないが、それは妖怪ベースでの話。決して肉体的に劣るわけではない。 見ている間にも、少しずつ形になっているのが遠目にもわかった。 「やっぱし来てよかったねぇ」 誰にともなく、獅堂はつぶやく。 郁乃がはしゃいでいるのは確認するまでもない。彼女が楽しそうにするというのは、街中ではなかなか見られるものじゃない。 と、獅堂の近くに、男性の海水浴客がやって来た。いや、彼の目的は、海水浴ではないのだろう。明るい金髪にピアスを揺らし、軽薄な笑顔で口を開く。 「こんにちは、お姉さんひとり?」 「ナンパなら他あたれ」 視線を向けることさえせず、獅堂は切って捨てる。だが、男の方はさらりと諦めるつもりもないらしかった。 「まあまあ、そう言わないでよ。実はさ、友達と勝負してんの。だけどさー、そいつ、結構なイケメンでさ。オレじゃ勝ち目ないの明白なわけ。でも、少しは見栄を張りたいじゃん? ねね、助けると思って、ちょっとだけ付き合ってよ」 「そうか。知ったことじゃないな」 「そんな冷たいこと言わないでよ〜。お姉さんは美人だしさ、連れていけたら、数では負けても質で勝つじゃん? ならオレのメンツも保たれるし。それに、タイクツだってさせないぜ?」 「ほう」 短くなった煙草を缶に捨て、獅堂は男を見上げた。 「お前は剣術か格闘術の心得でもあるのか?」 「は?」 「だろうな。いいからおとなしく帰っておけ。あたしは子守しなきゃいけないんだよ」 アゴで指し示す。ナンパ男もそちらを見やって、太陽と郁乃の姿を見つけたらしかった。 「えー、あの兄妹のお母さんだったの? 兄貴なんか高校生くらいじゃん、すっげー若いねがふっ!?」 「あたしは。まだ。そんな歳じゃない!」 ちょっとだけ本気のこもったストレートに、思わずナンパ男は逃げだした。 「……はーっ」 そういう手合いがいるとは聞いていた。だが、自分がそんなのに絡まれるとは。 「見た目は悪くない、はずなんだけどねぇ。ナンパされるくらいなんだし」 ちら、と自分の下腹部を見やる。別に体型が崩れているわけではない。 「あたしって、そんな老けて見えるのかね」 郁乃くらいの歳なら、まだ我慢してやらないこともない。 だが、太陽は駄目だ。高校生の息子は駄目だ。 「せめて恋人だろうがッ――!」 別に太陽をそういう相手として認識しているわけではないが。 男の言葉は、獅堂の心に納得できない傷を残していたのであった。 「……くそっ」 |