「あ〜〜〜〜〜〜……、太陽、煙草をくれ」
「ねっす」
「ああ、もうこの世は終わりなんだな……」
「煙草がないだけでどんだけっすか」
「あたしから煙草を取り上げるってのは牛から胃袋を除くのと同義であり朝霧にUMA禁止令を出すのと同じでつまり煙草がないと生きる気がしないんだよ」
「そんだけ元気なら十分じゃないっすか」
 答え、太陽は上を見上げた。綺麗な星空が見えた。
 そこからは丸い星空が見えた。垂直にそそり立つ壁が四方を囲み、出口は一切ない。はるか高く、十メートル以上も上の方に、崖の上が見える。
「いやあ、惜しかったね、本当に。あとちょっとだったんだけど」
「何が! どこが! どのようにして!!」
「カラス。血管が切れそう」
「にゃはは、それはよくないねぇ。カー君、健康には気を使いたまえよ」
「どの口でそれを言うか!」
「カラス」
 まさかの年下にたしなめられ、太陽は再び腰をすえる。
 案の定というかなんというか、洞窟の先はこの空洞に繋がっていた。もちろんUMAなんざいないし、どころか動物の気配もない。
 洞窟側から空洞を覗けば、高さは数メートルもあるのがわかった。そして、何も住んでいないことを。
 ルナは落胆したが、太陽的には帰る口実ができてよかったのだ。足さえ滑らせなければ。
 予測された不測の事態により、太陽たちは空洞に飛び込み、あまつさえ脱出手段をなくしていた。
 十メートルの縦穴。人間の身でのぼれる高さではない。
「どーすんだよ、これ……」
「なんとかなるんじゃん? 今までもなんとかなったし」
「その楽天的思考をどうにかすべきだと俺は思うわけなんすがどうなんでしょそこんとこ」
「あたしを誰だと思ってんの?」
「ああ……」
 はあ、とため息をつく太陽。
「あー、どうすっかなぁ」
 どうにかする方法は、太陽にはあった。
 太陽が妖化すれば、翼を得る。もちろん、この程度の崖など、どうということもない。
 だが、それでは朝霧に妖怪としての太陽をさらすことになる。それは妖怪のおきてに反するし、何より、太陽自身が嫌だった。
(人間じゃねえ、ってわかっちまったら、今まで通りってわけにゃあいかねーよなぁ)
 ルナは人間。太陽は妖怪。その間にある壁は、何よりも大きい。
 だが、このまま手をこまねいていては、ただ漫然と死を待つのみとなってしまう。
「――ちなみに先輩、ここがどのへんかってわかりますか?」
「わかんない。あたしが知る限り、このへんに、こんな大きな縦穴なんてなかったはずだもん」
「でも、洞窟の中、そんなに歩いてないっすよね?」
「うーん、まあね。あ、もしかして、あたしたちが普段は来ない山の方なのかも。なんでも猪が出るとかで、地元の人しか入らない山があるのよ」
「でもルナ先輩は平気で入るんすね?」
「い、今はそういう話をしていないと思うなぁ!」
 否定はしないらしい。
「でも、ってことは、普段は人が来ない場所ってことっすね」
 それは、なお悪い知らせだ。
 ニコチンが切れて獅堂は使い物にならないし、他の二人は身体能力的には人間なみ。
 結局、事態を打開できるのは太陽くらいしかいないわけだが――。
(カラス)
 太陽が迷っていると、郁乃が小声で話しかけてきた。
(カラス、何を迷っているの?)
(あ? 何って)
(妖怪であることが知れたなら、抹消すればいいだけでしょ?)
(……)
 そう、旧来の妖怪は、いつだってそうしてきた。
 街中に妖怪が出ることは、珍しいがゼロではない。そして、街に出た時、正体が知れぬとは限らない。
 そんな時、妖怪の選べる手段は限られていた。殺すか、かどわかすか。
 それは、明文化されているわけではない、けれど街妖怪共通の常識だった。
 だが、太陽はついさっきまで、その事実を知らなかった。太陽にとって人間とは、妖怪と変わりのない友人であり、隣人だ。
 郁乃はそうではない。獅堂と共に街に下り、街妖怪として、自分の姿を隠して生きてきた。だから、彼女にとっては、人を殺すことは常識的な範囲内なのだ。
(なんで駄目なの?)
 ごく当たり前のように言う郁乃。太陽は、ちっ、と口の中で舌打ちした。どうして獅堂はそんな簡単なことさえ教えていないのか。
(郁乃。お前、先生にはそのことについて、何か言われたことあっか)
(ううん、ない)
(じゃ、覚えといてくれ。人間は妖怪とは違う。本質的にな。俺たちは死んだところで転生するだけだ。記憶は失うが個体は失われない。でも、人間はそうじゃない。だからこそ、一生懸命に生きているし、それを俺たちが邪魔しちゃいけねえんだ)
(……カラスがまじめな話をしている!)
「俺はいつだってまじめだろ!?」
「え? カー君、何か言った?」
「あ、いや、こっちの話」
 小首をかしげたルナは、ふふ、と笑みを漏らす。
「大丈夫、カー君はいつだって不真面目の変態ちっくにしか見えないから」
「何をどうしてそうなった!?」
「え、だって、ゴー君とオー君をとっかえひっかえ不純異性交遊してるって」
「俺はホモじゃねえ!!」
(確かに妖怪だけど)
「ホモサピエンスの話はしてねえ!?」
「……む」
 と、今まで気だるげに倒れていた獅堂が起き上がった。
「どうしたんすか先生、まさか先生まで俺のこと」
「太陽。まずい。雨がくるぞ」
「げ」
 猫の妖怪である獅堂は、湿度に敏感だ。雨の気配にも鋭敏に反応する。
 見上げれば、いつの間にか、星空は見えなくなっていた。
「間違い、じゃあ、ないっすよね」
 だが、それをわかっていてなお、太陽は聞かずにはいられなかった。
 ここは巨大な縦穴、言うなればビーカーの底だ。雨量によっては、底など軽く水没する。
「おお、ってことは、ずっと立ち泳ぎしていれば脱出できるわね」
「あんたの発想はどうなってんだ!?」
「待て朝霧、あたしは泳げん」
「先生も乗らない! んなもん無理に決まってんだろ!!」
 そうこうしているうち、ぽつぽつと雨が降り出した。雨滴を嫌がって獅堂は逃げ先を探すが、隠れる場所などない狭い空間。雨に濡れるしかない。
「っくそ!」
「おい、烏丸」
「わりぃ、先生、俺、我慢できねえ」
「え? まさかカー君がたぎる獣欲を先生にぶつけちゃうの!? きゃー!」
「誰がんなことするか!!」
「問いただしたい案件が増えたがそれはさておき、烏丸、お前、意味を理解しているのか」
「わかってるっすよ。そして、ここが危ないとも限らないことも理解してるっす」
 雨はすでに本降りになっていた。ここにどの程度まで雨水がたまるかは不明。本当に水没するかもしれないし、膝程度で済むかもしれない。
 だが、溺れるほどになっては、もう遅いのだ。
「でも、ルナ先輩をどうこうなんてさせないし、誰かが溺れるところなんてのも見たくはない。俺はそういうわがままな人間なんすよ」
「お前は……」
「悪いっすね、先生とは対立せざるをえないかもしれないっすけど。でも、俺はそういう非常識な妖怪なんですよ」
「え? なんだって?」
 何やら不穏な空気に、ルナは戸惑ったように二人の顔を見比べる。だが、太陽はルナが状況に対応できるのを待つ気はなかった。
「ったらぁ!」
 妖化。妖怪が、人の姿を捨て、妖怪として生まれ持った姿に戻ること。
 太陽の背中には黒翼が、頭には赤い帽子が。衣は普段の洋服から和装に変わり、手には錫杖が輝く。
 太陽を見上げ、ルナはぽつりと呟く。
「……山伏のコスプレ?」
「ちげーっての。烏天狗ってあるっしょ? ありゃ俺の御先祖さんなんすよ」
「へ?」
「あー、黙ってなきゃいけなかったんですんません。俺、妖怪っす。ってなわけで、一人ずつ上に運ぶっすよ。つかまって下さい」
 まずは郁乃を背負う。
「カラス、英断」
「頭が悪いんだよ」
「それは否定しない」
 バサリ、と翼がはためく。浮かび上がったかと思いきや、太陽は一息に崖上まで飛び上がった。
 郁乃を下ろして戻って来た太陽は、ルナに手を伸ばす。
「ほら、先輩、つかまって下さい」
「ふむ」
 と、ルナは太陽につかまる代わり、背中の翼に手を伸ばした。
「どれ?」
「いだだだだだだだだ!?」
 ばっ、と離れ、太陽は思わず叫ぶ。
「あんたいきなり何すっか!?」
「いや、礼儀かと」
「そっちの方がよっぽど非礼だわ! てか、んなことしてる場合じゃねーの!!」
 ルナの腕をひっつかみ、空を飛ぶ。
「わっ……! すごっ!」
「いよっ、と!」
 崖まで飛び上がり、そこらにルナを放り投げ、太陽は再び崖下へ。
 獅堂は苦い顔で待っていた。
「お前、後始末の大変さをまったく考えてないな」
「いつものことっしょ?」
「そして尻ぬぐいはあたしか。ったく、面倒をかけるな、お前は」
「すんません」
「いい。あたしの弱いとこだよ」
「……?」
「わからないならそのままでいい。ほら、上げてくれ。雨は嫌なんだ」
「はいはい、了解っすよ」
 獅堂を背に乗せ、太陽は三度飛び上がる――。



   
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