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生物部の部室には、多々良くるみと獅堂瑞奈の姿があった。 いつものように、くるみはたい焼きを口にし、獅堂は煙草を口にしている。 放課後の、平和な時間。と、扉が開き、さらに男子生徒が入ってきた。 「よう……」 烏丸太陽は、入ってくるなりパイプ椅子に腰かけると、鞄から水を取り出して飲んだ。その様子さえ、どこか気だるそうだった。 「太陽。どうかしたのか」 「あ? ああ、いや、なんか調子が出なくって」 「ふうん」 煙草を揺らしながら、獅堂は外を見る。 季節はすでに冬。間もなくクリスマスが訪れようという時期だった。部屋に吹き込む風は冷たい。 獅堂は煙草を灰皿に押しつけると、窓を閉めた。寒風がやむ。 「なんだ、妖怪のくせに風邪か」 「妖怪だって風邪を引くときゃ引くでしょうよ」 「あまり話には聞かないが」 まあ、妖怪の生態がはっきりしているわけではないし、風邪くらいは引くのかもしれないが。 「調子が悪いなら、お前、保健室で寝てきたらどうだ。家に帰るよりかはいいだろう」 「大丈夫っすよ。なんかだるいだけだから」 「どれ」 獅堂は太陽のそばまで来ると、額に手を当てた。特別に熱いということはない。 「くしゃみや咳は?」 「別に」 「なんだ、いまさら五月病か」 「季節外れっすね」 「まあ、ここのところ、急に冷え込んだしな。週末には雪でも降りそうだというし、暖かくして寝ろよ」 「風邪ですか」 と、それまでたい焼きに集中していたくるみが顔をあげる。 「なんだよ。お前まで鬼のかく乱とか言う気か」 「そうは言いませんが。太陽は一人暮らしなのでは?」 「ああ、そうだけど」 「不調になっては、一人では辛いのではありませんか」 「まあ、そりゃあな。なに、世話でもしてくれんのか?」 「あなたがそう望むなら?」 「……マジで?」 「どういうつもりだ、多々良」 と、獅堂が口を挟んできた。くるみはやる気のない目で見返し、 「別段、意味があるわけではありませんが、烏丸太陽が不調のまま放置すると、不知火様に怒られそうですし」 「不知火は烏丸を殺したいんじゃなかったのか」 「全力の烏丸太陽を、です。不知火様はいつでも手加減されることをお嫌いになります。この前も将棋で少し手加減をしたらえらく怒られました」 「お前ら、将棋なんてやるのか」 「ふふふ。この前、将棋部の部長を軽く叩きのめしたところです」 「……。お前、生物部なんかより将棋部に入った方がよかったんじゃねえのか」 「将棋部は飲食禁止なので」 最重要項目は部室内で食事をしていいかどうか。それはくるみにとっての死活問題でもある。 「いや、まあいいわ。ちょっと調子が悪いだけだからな、帰って寝てれば明日には元気になってんだろ」 太陽は鞄をひっつかむと、立ち上がった。 「じゃあ、今日のところは帰らしてもらいます」 「おう、安静にな」 「うーい」 そのまま、元気のない足取りで、太陽は部室を出て行った。 「ところで多々良。お前のひとつ、聞いておきたいんだが。お前は他校の生徒と付き合っているんじゃなかったのか?」 「付き合い? 何のことですか」 「青峰の……、ああ、左門寺とかいうやつだ」 「左門寺大河ですか。彼の教えてくれたカレー専門店はとても美味しかったですよ」 「そういうことを聞いているんじゃないんだが。というか、彼氏のいる女が、一人暮らしの太陽んところに出入りするのは問題じゃないかと言っているんだが」 「どうしてですか?」 「……。もしかして、付き合ってないのか?」 「何のことかわかりませんが、左門寺大河には何度か美味しい飲食店を教えてもらっていますよ」 「それだけ?」 「それ以外に何か」 「ああ、いや、いい」 妖怪だからといって人間の心情に疎いということはないはずなのだが。 くるみを見ているとどうにも自信のなくなる、獅堂であった。 翌日。獅堂のところにメールが来た。太陽からのもので、今日は休む、という旨が記載されていた。 よほど体調が悪化したのか。メールの文面だけでは判断がつかない。 太陽の保護者は、書面上、獅堂になっている。このまま放置するわけにもいかない。 心配にならないわけでもない。放課後、獅堂は太陽の家を訪問することにした。 太陽のアパートは、妖怪経営の古いものだ。といっても、経営者の妖怪はどこにいるやら、獅堂にさえわからない。実質、広いアパートに、太陽は一人ぼっちで住んでいるようなものだ。 「今度から少し考え直すかな……」 独り言をつぶやきながら、獅堂は太陽の部屋前までやって来た。 「おーい、太陽。生きているかー」 ノックし、声を張り上げる。だが、返答はない。表札を確認するが、間違っているわけでもなさそうだ。 「寝ているのか?」 ためしにドアノブをひねってみる。当然と言うべきか、鍵がかかっていた。 預かっている合鍵で中に入る。冬の室内は、当然のごとく冷えきっていた。 「ん?」 部屋の中には誰もいなかった。隠れるような場所もない狭い部屋だ。見落とすはずもない。 「出かけた、か?」 あるいは、ただ単にトイレに行っているだけか。 トイレを見てみるが、誰もいない。なら、と思って携帯に電話してみるが、着信音は室内から聞こえてきた。 どうも、携帯を持たずに外出したようだ。夕食の買い出しか何かだろうか。 「そのくらい、言えば買ってきてやるってのに」 何もない室内。腰を下ろすと、獅堂は煙草に火をつけた。灰皿なんて大層なものはないので、そこらに転がっていた空き缶で代用する。 「太陽、か」 太陽を見ていると、妖怪という存在に対して希望が湧いてくる。それが、獅堂には嬉しかった。 妖怪は自分勝手だ。さらには嘘吐きで、傲慢でもある。 獅堂が東北の里を出たのも、半分は郁乃のためであり、半分は自分のためだ。 郁乃はサトリとして嫌われていた。自分勝手な妖怪たちの中で、さらに浮いた存在だった。そんな郁乃が、唯一、心を開いていた相手が獅堂だ。 ある時、郁乃は心の内を少しだけ語ってくれた。彼女は言った。人の街が見たい、と。それは、妖怪に対して絶望したがゆえかもしれない。 そして、それは獅堂の望みとも重なっていた。彼女もまた、妖怪の存在に絶望し、ほとほと嫌気がさしていたから。 だからこそ、太陽のような妖怪に出会えたことは、獅堂にとっても郁乃にとっても幸せだったに違いない。 妖怪のくせに他人想いで、他人のために力を使い、あまつさえ人間と仲良くしたいなどとのたまう。そんな妖怪が存在すること自体、獅堂にとっては衝撃的だった。 はっきり言ってしまえば、惚れたのだ。彼という存在に。 「甘やかしすぎだな……」 カタリ、と玄関から音。見れば、太陽が不審そうな顔で入ってきた。 「お、ようやく帰って来たか」 「――え?」 顔が青い。病気かとも思ったが、よくよく表情を見てみれば、むしろ恐怖に近い色合いだ。 「烏丸? どうした」 「え、ど、ちょ、だ、誰ですか」 「……何?」 「あ、あんた誰だ!?」 「あぁ?」 ふざけているのか。言いかけ、獅堂は気付く。 太陽の顔は、どう見ても冗談を言っている風ではない。本気だ。 「烏丸、私がわからない、のか?」 「だ、誰ですか」 「お前のクラス担任だ」 「クラス担任……? あの、高校の?」 「それ以外に何がある」 「あの、俺、高校生なんですよね」 「当たり前だろう」 しばし、太陽は何かを考えているようだった。やがて、口を開く。 「あの。俺が誰なのか、教えてくれませんか」 「何だと?」 「俺……」 続けた言葉に、獅堂は思考が止まった。 「思い出せないんです、何も」 |