「記憶がないってどういうことよ烏丸太陽!!」
「落ち着け、不知火」
 暴れる茨を後ろから羽交い絞めにする獅堂。
 太陽のアパートには、妖怪たちが勢ぞろいしていた。さすがにこれは自分一人の手には余ると、獅堂が呼んだのだ。茨にくるみ、郁乃。獅堂と太陽を合わせると、総勢五人。さすがにこれだけの人数が入ると手狭になる。
「太陽。本当に何も思い出せないのですか?」
「あ、ああ……、ごめん」
「冗談じゃないわよ! あんた、あたしを負かしたままで許されると思っているわけ!? 冗談じゃないわよ!!」
「落ち着く。実際、カラスは何も記憶していない」
 茨を冷静にいさめたのは郁乃だ。しかし、そんなもので収まる茨ではない。
「何もってどういうことよ! そんなもん許すわけないでしょ!!」
「本当に何も。カラスはここにいる全員を記憶していない。記憶していないのに、許すも許さないもない」
 サトリである郁乃は、太陽の心を読むこともできる。だからこそ、この場にいる誰よりも理解していた。絶望的なほどに。
 太陽は、自分たちのことを記憶していない、と。
「まさか、記憶喪失?」
「いや。そうじゃない」
 言下に否定したのは獅堂瑞奈だった。自然、みんなの視線が集まる。
「どうしてこうなったのか、ご存知なのですか?」
「これは、妖気の枯渇だ」
「妖気の?」
「そうだ。妖怪を妖怪たらしめているものといえば、妖力だ。それが枯れると、妖怪としての体を維持できなくなる。だが、体は生きようとする。そうすると、生き残るためには、妖怪としての体を捨て、人間状に再構築する必要があるわけだ」
「そうすると記憶がなくなると?」
「妖怪としての記憶が、な」
 太陽は今まで人間と一緒に、人間と同じように振舞ってきた。だが、その身までもが人間になったわけではない。
 あくまで、記憶していたのは妖怪としての体であり、妖怪としての太陽だ。
「前例がないことじゃない。というか、妖怪の死とは、これくらいしかない。転生を繰り返す妖怪は、妖力を失って、初めて存在の消滅になるんだ」
「では……、太陽は、もはや私たちのことを全く記憶していないと?」
「……。希望がない、わけじゃない」
「どういうことですか?」
「太陽は何もかもを忘れたわけじゃない。ここにいる者の存在は記憶していないが、高校生という存在や、ここが自分の部屋であるという認識まではなくしていないわけだ。つまり、妖力は枯れかけているが、ゼロになったわけじゃない」
「そうなると?」
「簡単な話だ。ゼロになっていないなら、足してやれば、元通りになるはずなんだ」
「足す……、すなわち、妖気の補充ですか」
「その通りだ」
 うなずく獅堂。だが、それに反発したのは、意外にも茨だった。
「ヤタガラスの妖力を補充する……? じょ、冗談でしょ」
「何か問題が?」
「あんた、ヤタガラスについて何も知らないわけ? ヤタガラスといえば神話クラス、最古参の妖怪よ。あんたや火車やサトリなんかよりもずっと古い妖怪! 妖怪の器ってのはね、古さに比例するのよ。要するに、太陽の妖力の器ってのはめちゃめちゃな大きさなの!」
「えー、と?」
「お前にわかりやすく説明するなら、烏丸の妖気を補充すると、十数人が死ななきゃならない」
「なんと! で、では、我々の妖力を分け与えては?」
「無駄だ。妖力はそれぞれ違う。我々の力を集めても、それはただのごちゃ混ぜ集合体だ。太陽の妖気にはならない」
 妖怪は、自分で人間の生命エネルギーを変換している。それは、それぞれ独自の手法であって、性質も個人ごとに異なるのだ。それをむやみに注ぎ足せば、ろくなことにならない。
「せめて、多々良程度であればな。人間の生命力を少しばかり用意すれば済むのだが」
 究極的には、それだ。太陽という、大きな器を満たすだけの生命力がない。だから、打つ手がない。
「……でも、普段のカラスは、そんな感じが全くない」
「そりゃそうだ。太陽は妖怪として生きることには否定的だったからな」
 いつだってそうだった。
 昔通りの妖怪らしく生きれば、太陽は長クラスの妖力を確保できたはずなのだ。だが、彼はそうしなかった。それは太陽のやさしさであり、信念だ。
「でも、じゃあ、どうすればいいのでしょう……」
「どうしようも、ないじゃない」
「――意外だな。お前ならば、人間をさらってこいとでも言うかと思ったが」
 獅堂に言われ、茨は視線をそらす。
「だって、そんなことをしても、太陽は怒るでしょ」
「そりゃあ、そうだろうな」
「こいつ怒らせてまで、記憶をよみがえらせる意味がある?」
「さてな。あたしゃ自分勝手な妖怪だからねぇ」
「あ、あの」
 弱々しく声を発したのは、太陽だった。そこに、いつもの元気さはない。
「みなさん、俺のどういう知り合いですか? なんか小学生までいるみたいですけど」
「〜〜〜〜!! 妖怪仲間よ!!」
「よ、妖怪? 本気ですか?」
「本気よ! もうっ、なんでそんなことがわからないのよ! 太陽!!」
「す、すみません」
「謝ってんじゃない!!」
 怒られても、太陽は答えることができない。茨は肩で息をしながら、太陽をにらみつける。
「太陽。何は思い出せますか?」
「な、何をって……。そこの、獅堂さん? が言っていた通り。高校生とか、ここが自分の部屋だとか、そういうことはわかるんだ。でも、たとえばどうして一人暮らしをしているとか、親はどうしたんだろうとか、普段は何をしていたのかとか、どこの高校に通っていたんだろうとか。そういうことは、何も思い出せないんだ」
「たとえば、学生証を見れば、どこの高校にいたといった情報はわかると思いますが」
「うん、それで理解することはできるよ。でも、実感がわかない、っていうか。記憶として認識できてない、んだろうね。まるで他人の学生証を見ているような気分になるんだよ」
「そうですか……」
 完全に、覚えていないのだ。どうして東京に来たのかさえ思い出せないのだから、東京での思い出など、欠片もないのだろう。くるみも、言葉を失う。
 気まずい時間。
 沈黙を破ったのは、くるみだった。
「あの。朝霧ルナや小笠原ミハエルに連絡しなくてよいのですか?」
「あ、ああ。だが、朝霧はともかく、小笠原や剛力山が納得するかな」
 ルナは妖怪の存在を知っている、唯一の人間だ。それ以外の人間に、妖力の枯渇などという状態が理解できるだろうか?
「理解はできないかもしれません。でも、協力はしてくれると思います」
「理由は」
「彼らは太陽の友人だからです」
 くるみの口調に迷いはなかった。そこに、茨は疑念を持つ。
「何よ、くるみ。あんたに人間の友情なんかが理解できるわけ?」
「はっきりと理解できるわけではありません。ですが、私が触れ合った限り、彼らは太陽のために無償で何かを行うことを躊躇するようには見えませんでした。不知火様は小笠原のところで働いて、感じませんでしたか?」
「え? そ、そりゃあ、むう、その……」
 茨もまた、否定する言葉を見つけられない。
 もう半年以上もミハエルのところで働いているのだ。その人間性を感じないはずがない。
 妖怪とて、何も感じないわけではない。ただ、妖怪はあまりに数の少なく、同種というものを持たない。そのせいで、何百年という時を経て、個人主義を骨の髄まで身につけてしまった。
 太陽は、それに反抗し、さらには変えようと考えていた、唯一の妖怪だ。
 すっくと最初に立ち上がったのは、沢渡郁乃だった。
「郁乃?」
「やるのなら、早い方がいい。こうしている間にも、妖力は減っているはず」
「……ああ、そうだな」
 こんな時、子供の方が決断は早い。
 苦笑しながら、獅堂は携帯電話を取り出した。



   
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