ほんの一瞬だった。
 烏丸太陽の姿は、人間のそれから、妖怪のそれへと変化していた。
「テメエ、ら……、俺が反論できないからって、好き勝手なことばっか言いやがって……」
 肩で息をしながらも、しっかりと立つ。その姿、その声、その口調。
 それら全てが、皆の記憶にある太陽そのものだった。
「た、太陽? あんた、復活したの?」
「あぁ? こんなもんで死んでたまるかバカ」
 そのまま、太陽は力なくソファに倒れこむ。
「ああくそっ、マジで妖力が減ってやがるなぁ、おい。飛ぶこともできねえぞ、これ」
「おい、烏丸。妖気を無駄に使うな」
「無駄じゃねえっすよ。必要だから使うんだ」
 太陽は、弱々しく茨に手を伸ばす。
「茨。お前に借りを作るのはものすごぉぅく嫌なんだが、手助けしてくれ」
「すごぉぅく嫌ってどういう意味よ! あ、あたしが嫌いってわけ!?」
「んなこと言ってねえだろうが。見返りを要求しなきゃんなこたぁ言わねえよ。で、頼みなんだが……」
 一転、太陽は真剣な表情で言う。
「お前の生命力をくれ」
「――は?」
 かっきり三秒、石化した茨は、復帰したとたんに顔を赤くする。
「あ、あ、あんさん何を言いはりまんの!?」
「なんだよ、変なこと言ったか」
「せ、せ、生命力って……、え、生命力?」
「何と勘違いしたんだテメエ。生命力だ。いっつらいふ」
「あんた、あたしが妖怪だって忘れてないわよね?」
「半分な」
「……!」
 呆気にとられたのは茨だけではなかった。妖怪たちも、人間たちも、皆が一様に驚いている。
 誰も、茨が半妖たる鬼だからといって、注目したりはしなかった。あるいは、それは、人間寄りの妖怪である太陽だからこそ思いついた発想なのかもしれない。
「あー、人のコンプレックスをつつくみたいで気が引けるんだがな。お前は純粋な妖怪じゃねえ。半分は妖怪で、確かに固有の妖気じゃ俺の妖気は補充できない。だけど、もう半分、人間としてのお前は、生命力を持っているはずなんだ」
「そ、そりゃ、理屈ではそうかもしれないけど」
「そして、都合がいいことに、お前は小笠原流古武術も習っている」
「あっ!」
 太陽はミハエルの方を向き、
「なあ、ミハエル。小笠原流ってのは、生命力を増強させるんだろ?」
「あ、え、うん。生命力ではなく、気孔だけど」
「似たようなもんだろ。解釈の違いだ。今のお前なら、俺の妖気を補充する、くらいはできるんじゃねえかと思うんだが」
「そ、それは……」
 迷う茨。そのさまに、じれったそうに地団駄を踏んだルナが叫ぶ。
「何を迷ってんのよ! カー君を助けられる方法があるかもしれないんでしょ!? なら早いとこ試しなさいよ!」
「わ、わかってるわよ! で、でも、心の準備とかそういうのが!」
「んな暇はない!! レッツゴー!」
「う、うう〜……!!」
 なおも迷った様子の茨に、ミハエルが畳み掛ける。
「僕も手伝うよ。一人で活性化するのは難しくても、僕がサポートすれば十分に発揮できる」
「むぐ! うう、あー、もうっ!」
 一人でうなり、もだえ、やがて腹も据わったのか、茨は深呼吸をした。
「わかったわよ。協力してあげるわ、太陽」
「すまねえ」
「とはいえ、成功するとは限らないわよ」
「んなこと、どんな手法でも一緒だ。枯渇した妖気を補充しようなんて発想自体がほとんどねえんだから」
 普通は、そうだ。
 妖怪は個人主義。どこかの誰かが苦しんでいても、それを構う必要などない。妖怪としての生をまっとうしようとしているのなら、それに抗う者などいるはずもない。
 だが、彼は違う。そして、彼の周囲にいる仲間たちもまた、当たり前の妖怪などから外れた者ばかりだ。
「――ふん」
 茨は拳を握ると、それを床に向けた。腰を落とし、全身の意識を下腹部に向ける。
 丹田という場所で、そこに力を込めることで、かえってリラックスできるという。小笠原流においては、基本的な構えだ。
「いくわよ、太陽ッ!」
「おう、頼むぜ」
 よろめきながら立ち上がった太陽は、獅堂に支えられながら、茨の前に立つ。
「全力全開!!」
 ぐっ、と力を入れた茨。その瞬間、茨の周囲に立ち込める気配が、急激に密度を増した。
 もちろん、それを感じ取れたのは、妖化した太陽と、ミハエルくらいなものだ。だが、太陽にとっては、それで十分でもあった。
「助かる!」
 太陽は、不器用ながらも茨を抱き寄せると、そのまま口づけた。
「!?」
「!!」
「おお」
「む」
「げ!!」
「あや」
「ッぅ!?」
 変化は劇的であった。
 太陽の背中に生えた一対の羽、その付け根から、さらに黒い翼が飛び出す。
 同時、茨の姿も変質した。それまで着物姿の女子に過ぎなかった茨は、髪色を金色に変えていた。尻からはふさふさした尾を生やし、手首には火の輪のごとき数珠が光る。
 たっぷり十秒近くも続いたキスは、太陽がそっと離れることで、ようやく終わった。
「おー、なんかこう、すっきりしたわ」
 二対の翼を揺らし、太陽はようよう笑顔を浮かべた。
「やっぱり、本来の体ってのはいいもんだなぁ。体が軽いぜ」
 先ほどまでのぐったりした雰囲気は鳴りを潜め、軽快な調子の太陽。むしろ、いつもより元気が有り余っているようだった。
「た、太陽。無事、か?」
 聞くまでもないことだった。妖怪ならば、今の太陽からあふれ出ている妖気を感じないわけにはいかない。
「もちろんっすよ! ま、まだ全力ってわけにゃあいかないっすけど、別に戦争するってわけじゃないんだし、十分っすよね」
「ぜ、全力じゃない?」
 その言葉に、さしもの獅堂も驚く。
 今の太陽から感じられる妖力は、すでにくるみなど超え、元長である獅堂にすら匹敵するほどになっている。
 しかし、それでも十全ではない。
 やたがらすという、最古の妖怪が持つポテンシャルを、改めて感じざるをえない瞬間であった。
 だが、そんなことに構っている余裕があったのは、むしろ獅堂くらいなものだった。
「なっ、な、なな、な、ななな!!」
「あ?」
 見れば、茨が顔を真っ赤にして太陽をにらんでいた。腕をぶんぶんと振り、何かを叫びたそうにしているが、声が出ないといった風情だ。
「ああ、茨、ありがとうな。おかげで助かった」
「ななな!! あんさん何をしはりまんの!?」
「は? 何って、生命力奪取」
「そないなこと聞いてるんちゃいます!! い、い、い、いきなりキスって!!」
「いきなりって、お前がいいって言ったんじゃねえか」
「せせ、生命力はあげる言いましたけど!! キスするなんて聞いとらへん!!」
「じゃあ他にどんな方法があるっていうんだ。お前を殺す以外で」
「ないけど!! 許すわけないでしょうがあぁ!!」
「お、通常モードに戻っ、た……」
 さしもの太陽も、言葉が続かなかった。
 茨から発せられる怒気は、それだけで物理的破壊力を持ちそうなほどに怖い。しかも、その怒気がひとつじゃない。
「カー君? ちょーっとお姉さんもお話したいんだけど」
「太陽。さすがに不知火様の貞操を奪うとは、見過ごすわけにはいきませんが」
「カラス、破廉恥」
「太陽!! 弱味につけこみ婦女子を襲うとは!! 男の風上にも置けぬ奴よ!!」
「いやあ、僕も今のはまずかったと思うよ。いくらなんでも」
 立ち上る気炎。その最中で、太陽は冷や汗をかく。
「いや。その。あのな、これは妖怪たちの間じゃ立派な吸生行為の一種で、相手を殺すことなく効率的に生命力を奪う方法であってだな、それ以上の意味は何も」
「だからどうしたァ!!」
 茨が金棒を抜くと同時、太陽は窓をぶち破って逃走を図った。
「逃がすか!!」
 ばらばらと皆が追いかけていく。
 一人だけ残った獅堂は、思い出したようにポケットから煙草を取り出すと、口にくわえて火をつけた。
 紫煙がゆっくりと立ち上っていき、冬の夜風に揺れる。
「さすがに寒いな」
 火車でも寒いものは寒い。猫だし。
「まあ、めでたしめでたし、か?」
 今回は偶然ではあった。だが、必然でもあった。結局は、太陽がまっすぐに生きてきたおかげなのだろう。消滅を免れた妖怪など、前代未聞だ。
「綾貸、か」
 綾とは様々な模様のこと。貸とは、単なる貸し借りではなく、相手に与える恩恵のこと。
 アヤカシとは、相手に何かを与えることによって、変化する色合いのことだ。
 大昔。妖怪がまだ人に恐れられていた時代、妖怪は人を恐怖させ、人は自然に対して畏敬の念を抱いた。妖怪たちは、自然というものに対して、人間が慢心しないように戒めていたのだ。
 忘れられた、長クラスでなければ知ることさえない昔話。だが、大事な話。
「あいつは、立派な妖怪になるさ」
 ひとりごとをつぶやき、獅堂は部屋を出て行った。求めるものは、灰皿だ。



   
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