朝。文化部棟は静かだった。
「ういっす」
 朝っぱらから生物部なんぞに顔を出したくはなかったが、背に腹は変えられない。
 烏丸太陽が生物部の部室に入ると、紫煙をくゆらす獅堂教諭が出迎えた。
「なんだ、烏丸。アタシに用事か」
「もちろん」
 窓際に歩み寄り、烏丸は昨日の出来事をかいつまんで説明した。
 獅堂は煙草を揺らし、
「京都の里長がねぇ……」
 例のごとく無気力な調子でつぶやいた。
「よくミンチにならなかったな」
「最初の感想がそれか」
「そういえば今日の学食ランチはハンバーグだったな。それにするか」
「えぐいっす」
 そんなことより、と烏丸は続ける。
「ヤバいっすよ、これは。くるみ一人にも手を焼いてるってのに、鬼まで来たってんじゃあ」
「頑張れ」
「もうちょい何かないんすか」
「お前も一人の妖怪だろう。それなら、自分のことは自分でなんとかしな」
「妖怪としてケンカしたくないから相談してるんじゃないすか」
「……ん」
 一人の妖怪として、戦うのは難しくない。勝敗はどうであれ、抵抗は可能だ。
 だが、そうすれば街は無事で済まない。
「というわけで協力してください」
「烏丸。いい言葉を教えてやろう」
「ん?」
 短くなった煙草を灰皿に落とし、獅堂は言った。
「疑って安全を保つより、信じて裏切られろ」
「裏切る気まんまんじゃねえか!」
「失礼なことを言うんじゃない。見解の相違というやつだ。何をもって救われたと定義するかによる」
「そういう言葉遊びはどうでもいいわ!」
「ちっ……、つれない男だな」
 獅堂は新しい煙草をくわえ、
「まずは相手の目的次第だろう。聞いたのか?」
「そんなもん言えるかって言われて逃げられたっす」
「なら、まずはそこからだな」
「んな悠長なことをしていて大丈夫っすか?」
「相手がお前を殺そうとする理由を知らなければ、どうにもならないだろう。スタート地点まで辿り着くのに時間もクソもあるまい」
 灰を落とし、獅堂は烏丸を見上げた。
「……。仕方ない。物凄く不本意ではあるが、アタシの知り合いを紹介してやる。その子に力を借りな」
「知り合い?」
「サトリだ」
 サトリ。人の心を読むことができるという妖怪だ。
「このあたりにいるんですか?」
「ああ。同居しているからな」
「同居人がいたんすか」
「まあな」
 沈黙。
「……。なんだ」
「別になんも」
「今、よくアタシに付き合っているなその同居人は、とか思っただろう」
「よくわかったっすねノーノー冗談です!!」
「烏丸。お前は普通に失礼だよな」
「ちょっとしたお茶目じゃないっすか」
 その時、ちょうどチャイムが鳴った。
「ほら、烏丸、授業だ。教室に行け」
「へーい」
 部室を出て行きかけて、ふと、烏丸は足を止める。
「先生、ありがとうっす」
「ん、いや」
「でも、なんでそんな俺に協力してくれんすか?」
「ああ? お前が協力しろ言ったんだろうが」
「そうっすけど。別に、協力する義理はないわけじゃないすか。それに妖怪同士、他の妖怪を助ける理由もないっしょ」
「ああ、そういうことか。ま、アタシにも色々とあるのよ」
「はぁ」
 烏丸は目をぱちぱち。
「そう言うのなら。とにかく、ありがとうございます」
 最後は真面目に言って、烏丸は部屋を出て行った。
「なんで、ねえ」
 煙草を揺らす。煙が揺れる。
 白い煙を眺めながら、獅堂は想いを馳せていた。

 結局、サトリと会うのは、休日である土曜日まで待つことになった。
 その日、獅堂が指定したのは、近所の公園だった。
 昨今は子供が危ないとかいう理由で遊具も少ない。滑り台しかない、人の気配もない公園は、密会にふさわしいと言えばふさわしい。
 太陽が公園に着いた時、公園の中にいたのはランドセルが似合う女の子ひとりだけだった。
「まだ来てねーのか……」
 公園内に足を踏み入れた瞬間、太陽の表情がほんの少し変わる。
「ん?」
 ちょうどその時、小学生と太陽の視線がかち合った。
 滑り台の階段に腰をおろしていた小学生は、立ち上がると、とことこ太陽のところまでやって来る。
 まじまじ眺めると、表情の薄い子供だった。笑顔ではない。緊張も感じられない。ただ、少しばかり目を細めた様子が、どうにも負の感情を撒き散らしている。ありていに言って、子供らしくない子供だった。
「あなたがカラス?」
「ってことは、やっぱ君がサトリか」
 公園の中に入った時点で、妖力を感じた。
 里でもない場所に、妖怪というのはさほどいない。となれば、ここで感じる妖力など、待ち合わせの相手くらいなものだ。
「俺は烏丸太陽ってんだ、よろしくな」
 太陽は握手しようと手を突き出す。が、サトリの小学生はその手をじっと見つめ、
「サトリについて知らないの?」
「何をだ?」
「いくら妖怪でも、手を触れれば心は読める」
 普通、妖怪の能力というのは、人間を相手にする時が最大限の効力を発揮する。単純な理由で、人間は妖怪の能力に対して何の抵抗力もないからだ。
 ところが、妖怪同士となると、お互いの妖力が干渉し合って、効力が少し薄まる。サトリの場合はそれが顕著で、人間相手ならば少し離れても心を読めるが、妖怪が相手だと、直接的な触れ合いがない限りは能力を発揮できないのだ。
「握手すれば。あなたの心が私に流れ込む」
「ふうん、そっか」
 自ら手を伸ばすことをしないサトリ。けれど太陽は、サトリの手をつかむと、強引に握手を成立させた。
「改めて、よろしくな」
「……あなた。何を考えてるの」
「それが読めるんだろ?」
「む」
 しばし能力に集中するサトリ。と、首をかしげた。
「何も考えてない?」
「よくわかったな」
「当然。しかも、私に読ませないために考えてないわけじゃなく、単に浅慮というか短慮というかそういう感じ」
「おお、小学生なのに難しい単語を知っているんだな」
「サトリだから。というか、あなた、何なの」
「烏丸太陽、やたがらす。よろしくっ」
「変なの」
 そこで、初めて少女は頬を緩めた。笑顔と呼ぶには少しぎこちないが、あるいは、これがこの子の笑い方なのかもしれない。
「そういや、名前は?」
「聞いてないの? 沢渡。沢渡郁乃」
「そっか。んじゃ、よろしくな、郁乃ちゃん」
「ん」
 やっぱり感情の薄い子だった。



   
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