朝日に照らされた城門。なんとなく、これを見たのも久しぶりな気がした。実際は、ほんの数日前に見たばっかりなのに。
 門が開く。そこに、人が立っていた。
「あ……」
「お待ちしておりました、エリアさん」
 落ち着いた色調の服に身を包んだ家政婦さんは、静かに頭を下げた。
「もう、すべてご存知ですよね。申し訳ありません」
「――いえ」
 それだけを言うのが精いっぱいだった。それ以上の言葉を発しようとしたら、感情が爆発してしまいそうで。口をつぐむ。
 悪いのは、この人じゃない。
「彼にはそこまでの指示は出しておりませんでした。ただ、ウェアの現トップ、その存在を突き止めること。それだけの命令しか出しておりませんし、実際、彼もそうしようとしていました」
 わたしが何も言わないのをどう思ってか。アリスさんは言葉を続ける。
「ただ、彼の直属の上司がよくなかったようです。上司は命令を逸脱し、すぐさま捕縛するよう命令を出しました。結果として軍が動き、ウェアの力を初めて目の当たりにした軍の新任仕官が動揺、マナを暴発させてしまったそうです」
 気付けば、周囲に他の人はいなかった。人払いをすませてあるんだろう。だからこそ、ここまで踏み込んだことも言える。
 それなら、わたしが何を口にしても、大丈夫なんだろうか?
 頭をよぎる誘惑をねじ伏せるのには、若干の労力が必要らしかった。
「意図はしていませんでした。トップの存在を知るのも、彼らが動き出した際、交渉するために必要だったからです。国王陛下は、決して争いごとを望んではいません」
「……それなら、どうしてウェアの存在を秘匿したり、コウモリのひどい扱いを放置するんですか?」
 それは、いちばん聞きたかったことだった。それさえなければ、リュートは反乱軍なんて作る必要もなかった。そして、彼が死ぬ必要も。
 対するアリスさんは目を伏せ、
「その必要がありました。ウェアは悪魔との戦いに必要な存在でしたが、その殲滅が完了した現在となっては、悪魔の存在を一般に知られるわけにはいきませんでした。それは、同時にウェアの存在を知られてはいけないことにも繋がります」
「どうして? 別に悪魔の存在を知られたところで、何も変わらないじゃない。もうほとんどいないんだから」
「わずかながらでも存在しているから問題なのです。
 たしかに、一匹も悪魔が存在しないのであれば、それは単なる過去の災厄に過ぎません。ですが、悪魔はまだ存在しているのです。人間が束になっても勝ち目のない相手が、この世界に」
「束になってもって……」
「実際にそうです。彼らはマナを無効化してしまいます。そして、マナなしに、人間は人知を超える存在と戦うすべを持たない」
 それは否定できなかった。実際、わたしも、マナが使えない状況に陥って、手も足も出なかった。セロンだってあっという間に気絶させられてしまった。もしもリュートがいなければ、わたしたちは気付く間もなく殺されていただろう。
 ――そう、リュートは戦えたんだ。
「それなら、お父さんの武器を使えばいい。あれは悪魔に通じる武器なんだから」
「コウモリにしか使えない武器が人間の切り札ですか?」
 思わず言葉に詰まる。
「そういうことなのです。人間はいざという時、コウモリの力に頼らねば戦いにもならない。けれど、それは有事の際、彼らだけを戦争に送り出すという意味にもなります。そんな不平等、普通の社会で許されますか?」
「でも、それなら普段から虐待するのは許されるって?」
「そうは言いません。これがベストとも言えない。けれど、ベターではあるのです。悪魔が帝都を襲来すれば、こんな都市は一昼夜も持ちません。その時に戦えるのはコウモリかウェアしかいない。
 コウモリに、あなたたちしか戦力にならないから、あなたたちだけで戦ってくれと言って……、仮に平等な扱いを受けている社会で、それを彼らが何の支障もなく受け入れると思いますか?」
「じゃあ、今の待遇って……」
「はい。有事の際、それがいつになるのかわかりませんが、コウモリに戦ってもらうための口実を作るための措置です」
 そんな。
 本当にあるのかわからないような、そんなことのために!
「そんな理由で、あなたはリュートを見殺しにしたんだ」
「そうは言いません。助けられるものなら助けたかった」
「どの口でそれを言う!!」
 思わず手が伸びた。アリスの首根っこをつかみ、締める。
 アリスは、ただ悲しげにわたしを見ているだけだった。
「理解してくれとは言いません。コウモリに近い立場だったあなたなら憤慨するのは当然のこと。けれど、我々は社会全体を守る必要があるのです。それが万に一つしかない可能性だったとしても、それだけで人類の歴史が終わってしまうほどの可能性なら、念のために手を打たねばならないのです。どうしても」
 アリスがわたしの手を握った。引き剥がすほどの力はこもっていない。なのに、自然と手が離れた。
「と、それが我々の正義。我々から見た理論です。けれど、それはコウモリやウェアの立場には立っていない。そのことを、今回の件で痛烈に感じました。ですから、これをお渡しします」
 アリスはどこからか封書を取り出した。王室の印がある。本物だ。
「国王陛下は、あなたを養子に受け入れる用意があるそうです」
「養子、ですって?」
「何をいまさら、とお思いかもしれませんが、これは親子になれという意味ではありません。あなたに次期女王になって欲しいという、国王陛下のたっての希望からの申し出です」
「……ッ!」
 王制は、王の子供が王を引き継ぐことによって受け継がれていく。つまり、この国のトップになるためには、必然的に王の子供になる必要があるということだ。
 関係のないわたしが王家に入るには、王と結婚するか、王の子供になるしかない。けど、
「どうして、わたしに?」
「先程の論理は、あくまで現国王が先代以前から受け継いできた理屈です。そうすることで自分たちを騙すための論理と言い換えても過言ではないかもしれません。
 本当に正しいのは何か。真の正義とは何か。この選択が本当に社会のためになるのか。そのことに、陛下は常に悩んでおられます」
 なんとなく、ギルフォードの顔が浮かんだ。
 つらそうだった。
「現状の社会、この空気や風習を、我々は変えられません。すでに受け継いでしまったからです。社会を変えるには、新しい空気を呼びこむ必要がある。国王陛下は、それをあなたに託したいと」
「わた、しに……」
「これがお詫びになるなどとも思いません。我々は恨んでくださって結構です。なんなら、処刑されても構いません。それがこの国のためになるというのならば、喜んで」
「――あなたたちは、どうしてそこまで国のことを?」
 ふっ、とアリスの頬が緩んだ。自然な笑いだった。
「ごく個人的なことを申し上げれば……、私は社会なんてどうでもいい。国のことなんて知ったことではありません。ただ、陛下がそれを望んでらっしゃるから、だから私は常に最善を尽くそうと心に決めたのです」
「……あなたは」
「これは、あなたの心の中だけにとどめておいていただけますか?」
 子供のように笑い、アリスは丁寧に頭を下げた。
「それでは、私はこれで。私の知る限りはすでにお伝えしましたので。返事は、王城でお待ちしております」
「あ……」
 止める間はなかった。アリスはそのまま朝日の中に溶け込む。
 まるで白昼夢のようだった。それが夢ではない証拠に、わたしの手の中には王室の印が入った封書がある。
「王家、か」
 王になれば国の空気を変えられる。ううん、変えるまでには至らないでも、何かのきっかけを作ることはできるかもしれない。
 それを、現在の国王であるギルフォードにはできない。今までの積み重ねもあるし、いきなり変えるなんてのは、国民も納得してくれないだろう。
 新しい王様が必要なのかもしれない。この国にも。ううん、世界的に。
 誰が悪いとか、誰が正しいだとか。そんな風に決めようとするから問題が起こる。別に誰かが悪いわけじゃないし、誰かが正しいわけでもない。それはリュートもわかっていた。
 ただ、ウェアたちには、たまりにたまったうっ憤があるだけ。それを晴らす場所が欲しいだけ。
 そして、国は彼らをないがしろにしたいわけじゃない。少なくともギルフォードやアリスはそういう人じゃない。
 そんなことは、なんとなくわかった。
「三日後に来るって言っていたっけ」
 ということは、それまでに決めておく必要があるわけだ。
 獣として生きる道か。
 人として生きる道か。
 リュートなら、どちらを選ぶんだろう。どちらを選んだら喜んでくれるだろうか。
 すぐには答えられなかった。



 
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