家に帰ると、手紙が来ていた。封書に入れられたような丁寧な代物ではなく、ただのメモ書きを突っ込んでいったような、いいかげんなもの。
 開いてみると、突き刺すような文字がのたくっていた。

『明日の夜に行く  レイチェル』

 明日がいつの明日なのかわからない。このメモが入れられたのは……、ううん、いつだろう?
 聞きに行けばいいんだろうけど、そうする気力も沸かなくて、わたしは部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。
 かといって、眠気は一切ない。ただ頭の中をぐるぐると同じことだけが駆けまわる。
 リュートとは、それほど愛し合っていたようには思えない。
 わたしの性格とリュートの性格を考えれば、それも当然。お互いに必要ではあって、けど、お互いに深入りはしないような。
 彼にとっての一番は軍だったし、わたしにとっての一番もリュートではなかった、はずなのに。
 どうして、こうもリュートの影だけがちらつくのだろう。
 彼は何を望んでいた、なんて、意味のない言葉だ。なぜなら、彼はもういないのだから。
 故人の遺志をいちいち継いでいったらきりがない。世の中に生きる人は故人の操り人形だけになってしまう。どこかでケジメを、見切りをつける必要がある。過去は過去、未来は未来って。
 国王側は譲歩した。ごめんなさいと謝りもした。
 それをウェアが受け入れれば、ううん、受け入れられるような条件にすれば、きっと戦争などなく丸くおさまるだろう。
 不可能なこと、ではないように思えた。わたしはウェアを知っていて、それでいて人間の事情も知っていて。みんなの境遇とか過去とかの話も聞いていて。
 全部を知った上で、わたしには、お互いが歩み寄る方法を考えだせる気がした。女王様なんて柄じゃないけど、そんなことを言ったら反乱軍も柄じゃない。
 人の道。それは過去を受け継ぐ形になる。わたしが人間として生きてきた今までの道を背負い、ウェアと共存できる社会を探すこと。それが女王となる先に待つ未来だ。
 獣の道。それは過去を否定する形になる。感情のままに帝都を砕き、潰し。そうなれば他国だって黙ってはいないはず。長い戦争の時代になるだろう。その発端は、反乱軍が作ることになる。いかな精鋭といえど、あれだけの人数じゃ……。
 思考が途切れたのは、ノックの音が聞こえたからだった。控えめな音。無視しようかとも思ったけど、その控えめさが逆に気になって、わたしは体を起こした。
 扉を無造作に開く。ノックの正体は女の子だった。
「――レイチェル」
「ごめん、待ち切れなかったわ」
 レイチェルの笑顔は、泣いていた。
 彼女とは、『一週間、レイチェルが錬金の技術を完成させるのを待つ』という約束をしていた。約束の日はまだ、ってことは……。
「できたの? 錬金が」
「できた。つかめた」
 レイチェルは腕を持ち上げた。そこに、黄金色に輝く腕輪がある。全面に複雑な文様が刻まれ、まるで文様が固まって腕輪になったような印象を与えるそれは、わたしたちが初めて作った時とは大違いの、明確な文様品だった。
「完成させた割には、あんまり嬉しそうじゃないのね」
「わかっちゃったらさ、悲しくなってきちゃって」
 レイチェルは目元を拭い、
「事件の話、聞いた」
「――ッ」
「ラウルが教えてくれた。とんでもないミスをした、って。あいつがあんな表情するの、あたし、初めて見たよ」
「ラウル……」
 彼が報告しなければ。そんな思いが頭をよぎる。それが逆恨みだとしても。
 ともかく、玄関先でするような話じゃなかった。中に招き入れる。お茶を出す気力はなかったけど、レイチェルも求めるようなことはしなかった。
 テーブルを眺めながら、ぽつぽつとレイチェルは言葉を漏らす。
「あいつはさ、あたしなんかよりもずっと頭がいいやつなのよ。そのあいつが、悲しんでいたの。自分の無力を」
 レイチェルは沈んでいた。自分の目標を達成したというのに、そこに喜びはない。
 おそらくだけど、それが、お父さんの技法の真意なんだろう。
「わかったよ。それを見ていて。哀しいんだ、力がないって。自分にはどうにもできないことがたまらないほどやるせなくて、哀しくて。手も足も出ない、自分の無力を嘆いて。それが、あの技術の本当の意味――ノルンが払いたかったものなんだ、って」
「お父さん、が」
「実はね、ラウルの力を借りて錬金したの。この腕輪。その時にラウルの気持ちを感じて……、ようやく実感できた。哀しいって気持ち。あんな気持ち、あたし、今までぜんぜん知らなかった」
 腕輪をそっとさする。表面の文様が少しだけ輝いた気がした。
「文様武器の力だけじゃ、誰かを助けることはできない。それもわかってる。それでも、なんとかしたいんだって……、そういう、人の“あがき”みたいなものが、あの武器であり、この腕輪なのよ」
「人が、人としてあがく……」
 お父さんらしいかな、ってちょっと思った。
 そう、お父さんはウェアについて知っていた。知った上で、それでもお父さんは人として生きる道、人としてあがく道を選んだ。
 お父さんは、あくまで“人”だった。
「――エリアは、これからどうするの?」
「わたし?」
 レイチェルはこくりと頷き、
「あたしは目標を達した。達成感はないけどね。だから、強制送還になっても、まあ文句は言えない。そういう約束だったし。それより、エリアはどうするの? これから」
「わたしは……」
 答えに迷い、
「まだ決めてない」
 そうとしか言えなかった。
 この選択はあまりに大きく。どちらの道を選ぶかで、世界が大きく変わってしまう。だからこそ、簡単に決めることはできなかった。
 レイチェルなら、こんなでも他国の王様の庶子。普通に考えなくとも、自分の国に戻るのが一番だろう。誰だって、自分の生まれた国が一番だ。けど、わたしにとっての一番は、なんとも言うことができない。どうすればいいのか、断言ができない。正答は、たぶんない。
 ふと、レイチェルには、国に帰るよりもふさわしい道があるように思えた。祖国に戻ったところで、彼女が得られるものはそれほどない。たぶん、『籠の中の鳥』に戻るだけだろう。
 そんな状態になるよりは……、あるいは、彼女こそ、彼らと共に生きるべきなのかもしれない。コウモリのことを考えてやれる彼女なら。
「レイチェル。三日後の早朝、帝都の外側、森寄りのとこに行ってみるといいんじゃない」
「三日後? 何かあるわけ?」
「お迎えが来るの」
 それだけで、レイチェルには何が言いたいのかわかったらしかった。口をつぐみ、なんとも言えない表情になる。
「それで、エリアは……、そこに行くの?」
「だから、まだ決めてないの」
「いつ、決められるわけ?」
「ん……」
 なかなか核心をついていた。彼女の言う通り、あるいはずっと決められないのかもしれない。
 それもそうだ。人生における大きな選択なんて、そんなのいくら悩んでも正しい答えが出せるわけじゃない。どちらを選んでも何かしらのメリットがあって、何かしらのデメリットがある。
 それを考えること、それ自体が無駄だとは思わない。悩むだけ悩めば、それだけ見合ったものもある気がする。
 ただ、悩んでも答えが出るわけじゃない。
「ん、まあ、三日後までには決めるよ」
「そ」
 軽い口調で言い、ひょい、と立ち上がった。彼女が背負っていた重荷がずいぶんと軽くなっているように見えた。
「エリア。ひとつだけ忠告。死なないでね」
「死なないわよ、戦争じゃないんだから」
「今のあんた、死にそうな顔をしてるよ」
 ほっぺたに手を当てる。そんな自覚は、まったくなかった。
 でも、考えてみれば当然なのかも。死んでしまえば、選択の必要なんてない。それに、リュートのところに行ける。
「死んだらさ、なんにもならない。生きているのがベストとは限らないかもしれないけど、死んだらおしまいってのは、本当のことだと思うのよね」
「ん、わかってる」
「本当に?」
 レイチェルの目がわたしの顔を覗き込む。嘘を見抜こうとしているようだった。それを、軽く見返す。
「本当よ」
 納得したのか、しないのか。レイチェルはため息交じりに顔を離した。
「じゃあ、三日後ね」
 ゆっくりと――どこか疲れたような態度で立ち上がり、彼女はわたしに部屋を辞した。残り、わたしは立ち上がる気力もないまま、壁を眺める。
 そこに、誰かの顔が浮かんでいるような気がして、けれど、その顔はハッキリとはしなかった。



 
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