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翌日、意外な人が訪問してきた。いや、意外でもなんでもないのかもしれない。 「先輩!」 セロンと、なぜだか所長まで。そういえば、所長の顔を直で見たのは久しぶりのことかもしれない。 「土産だ」 所長は机の上に瓶を置いた。琥珀色に揺れる液体は、酒か何かだろうか。 所長は落ち着いているように見えた。わたし自身は何の連絡もしていないのに来たところをみると、アリスさんあたりが連絡をしているはず。それなら事情も知っているだろうに、平静な態度からは、そんな様子は欠片も見られなかった。 対して、セロンは落ち着きがなかった。終始そわそわとして、何かを言いたそうに口を開きかけては、結局のところ言葉を飲み込む。色々と言ったりして励まそうとしているのは目に見えたけど、そのための言葉が見つからない感じだった。 「すみません、所長。迷惑かけちゃって」 「別にいい。私的な事情を認めない事務所でもない」 そう言って、所長は部屋を見渡した。 「綺麗にしているんだな」 「ええ、まあ」 「いつもの君ならば、女性の部屋を眺め渡すのは失礼だ、などと冗談交じりに言うところだが」 視線を部屋からわたしに戻し、 「そんなことを言っている余裕さえない、といったところか」 「それは、まあ」 否定もできない。今のわたしには、普段の余裕など欠片もなかった。 「それだけのことがあったのだから、無理もないが」 次に、所長はセロンを見た。セロンはそれに気付かず、ただわたしだけを見ている。 「君の交友関係についてとやかく言うつもりは、私にはない。が、私もノルンの友人として、アドバイスするなら――君の父親は、それでも人を愛した」 「はい、わかってます」 「ならいい。相談したいならいつでも事務所に顔を出すといい。それまではしばらく休暇を取るといいだろう」 「はい。……あの。所長は、何もかもを知っているんですか?」 ちらとわたしを見た所長の目、それは、どこか冷たい色をたたえていた。 「知っている、と言ってさしつかえないだろう。ちなみに、あの筋肉馬鹿とも知り合いだ」 筋肉馬鹿。おそらくはギルフォードさんのことだろう。国王陛下に対して馬鹿とは、おそれいる。 「私は選択を迫られた時、悩まなかった。彼らには同情の余地はあったが、ならば自分の身を捨ててまで肩入れするのかと問われれば、答えはノーだ。ノルンは随分と悩んだようだったがな」 「どうして所長は悩まなかったんですか?」 「端的に言えば、それが私の人間性ということだろう。私はあくまで人だった。弱く、小さなひとりの人間だ。過去の全てを捨ててまで、何かを手に入れようとは思えなかった。それほどの器が、私にはなかった」 セロンが初めて所長を見た。何を言っているのかイマイチ理解できない、という顔をしていた。 「そういえば、今回の件は、世間ではどういうことになっているんですか?」 「犯罪者が街中でマナを暴走させ、警官隊と衝突。数名の犠牲者を出しながら帝都の外に出たところで、番兵が仕留めた。そういう話で落ち着いたそうだ」 「そういう話で、って……、そうじゃないんですか?」 セロンが口を挟む。この子にしてみれば、何が起きているのかさえよくわかっていないのかもしれない。 「セロンはどういう話を聞いてる?」 何も知らない後輩は、わたしと所長の顔を見比べつつ、 「ただ、事件にリュートさんが巻き込まれて、それで……、亡くなったって。詳しい話は何も」 「そう」 結局、事件はもみ消されるのだろう。それは仕方のないことだ。国王はウェアの存在を公にできない。ミントやヴィンセントがあれだけ堂々と姿を見せたのだから、隠しても意味はないと思ったけど……、案外と、そのくらいの小さなことはもみ消せてしまうのかもしれない。 ううん、きっと今までそうしてきたんだろう。いかにウェアが肉体的に優れているとはいっても、帝都の中にまで入り込んでいる何人かのウェアたちが、一度も姿を見られていないなんてことがあるとは思えない。 国王がその気になれば、完全な情報統制を敷くことも、不可能ではないのかもしれない。みんな噂はして、けど、それが本当のことかどうかは確かめられないまま、事件そのものを忘れていく。 誰だって自分の日常が忙しい。他人の事件なんていつまでも覚えていられない。そうやって忘れていって、わたしたちのこと、その存在さえ、誰の心の中にも残らない。 長い人の歴史。その中にウェアの存在がうずもれたように、わたしたちの存在など、ちっぽけなものに過ぎないんだろう。 「あの……、先輩。本当に大丈夫ですか?」 「ん、大丈夫」 特に意識せず、口だけが反射的にそう答えていた。実際はそうでないことなど、セロンにさえわかっているだろうに。 「無理はしないでくださいね。頼りないかもしれないけど、オレ、先輩を支えられるように頑張りますから。マナだって少しずつ使い方を知ってきたし、他の仕事だってこなしてるんです」 「ん、大丈夫だってば。そんなに心配しないで」 そっと頭をなでてやる。親が子供にするような行為に、セロンは不満げだった。それでも何も言わなかったのは、やはり、彼も成長しているのかもしれない。 それに比べて。わたしは、どうなのだろう。 所長とセロンが帰って、それでもわたしは家を出ることさえせず、食べることもしないまま、ただ横になっていた。 ごろりと転がり続けるのにも飽きて、起き上がり、窓辺の椅子に座る。 見上げても、今日は何も見えなかった。暗い夜空。曇っているのだろうか、星さえ見えなかった。 所長に貰った琥珀色の液体をグラスに注ぐ。傾けると、喉が熱くなった。かなり強い酒なんだろうか、それでも頭の中にアルコールがまわってくる気分は感じないし、味もよくわからなかった。今夜は酔うこともできないだろう。 どうすべきなのか。 そんな、意味のない思考ばかりが頭の中を駆け巡る。 どうすべきなんてことはない。正解がないのが理解できているのに、納得がいかない。あるいは、答えなんてどちらでもいいのかもしれない。 そう、答えはどっちでもいいんだ。どちらの道を選んでもわたしはわたしで、それ以上にはなれなくて。 わたし個人の選択なんていうちっぽけなものがこの先の世界を変えるわけじゃない。変わるのはごく身近なわたしの周囲だけで、わたしがどれだけ必死になろうとも、たぶん最後の答えは決まっている。 ただ、その時にわたしがどちらの側に立っていたいのか、という。それだけの話。 頭をよぎるのはリュートの言葉。最後の、彼の願い。 ウェアを見捨てないこと。それが、わたしとリュートの最後の約束。 もとより、見捨てるつもりはなかった。わたしにとって、もうウェアは友達だったから。ミントも、ヴィンセントも、クロスもガルシアも。ガルシアあたりは嫌がるかもしれないな。 でも、人間もわたしの友達だった。レイチェルもセロンも所長も。お母さんだって人間だし、わたし自身も人間なんだ。 わかっている。どちらかを選ぶなんてことはできない。どちらも選びたい。 わかっている。どちらかを選ばなければいけない。どちらも選ぶことはできない。 暗い夜空を眺めていたわたしは、ふと思いつき、テーブルに向かった。 紙片を取り出し、ペンを取り。カリカリ、と文字を綴る。 手紙だ。 しばし、カリカリと紙をこする音だけが続いた。報告書以外で何かを書くのは、思えば久しぶりのことだった。たまにグラスを傾け、また手紙を書く。 一枚では足りなくて、二枚目、三枚目に突入する。居並ぶ言葉の断片。 それは、手紙にしてはあまりに支離滅裂な言葉の連なりだった。文章とさえ呼べないものだった。そんなものを、ただ感情の赴くままに書き連ねていく。 手が止まらなかった。あふれ出るものを書きとめ、言葉にし、現実に起こす。聞いてくれる相手のいない独白。 手紙を書き終える頃には、窓から光が差し込んでいた。 手を止め、ペンを置く。窓辺に寄ると、雲の切れ間から月が覗いていた。 「リュート」 ごめんね。それでも、わたしは。 |