|
約束の日。わたしはまだ陽が昇る前に帝都を出た。別れを告げるためだった。 帝都を出てしばらく歩く。と、道の途上に、人影があった。 「レイチェル」 人影の名前を呼ぶ。振り向いた彼女は、安心したように顔を崩した。 「来たんだ、エリアも。死ななくてよかった、って言うべき?」 「だから死なないってば。女は強いの」 レイチェルは背中にチューナーを背負っていた。それと、小さな手荷物。もともと、家出同然で自分の国を出てきた身だから、荷物もそれほどないのだろう。 じゃじゃ馬はじろじろとわたしを見つめ、 「エリアは荷物とかないの?」 「ん、いらないから」 別れを告げるのに、何かは必要ない。 レイチェルはそんなわたしを見て、少しだけ眉をひそめたけど、何も言わなかった。 しばし待つ。やがて、森の方から羽ばたく音が聞こえてきた。 「お待たせしました」 舞い降りたミントは、翼を畳み、わたしとレイチェルを見る。 「あなたは、どなたでしたっけ?」 「レイチェル・ライラックよ。これからお世話になりたいんだけど……、だめ?」 「構いません」 「そっかやっぱ即答は……、って即答していいわけ!?」 驚くレイチェルに、ミントは目をパチパチ。 「いけませんか?」 「いや、その、いけないってこたぁないけどさー、そういうのって仲間と相談したりしなくていいわけ?」 「もとより獣は烏合の衆です。ちなみに、鳥が悪いという意味ではありません」 それはわかると思うけど。 「獣たちの結びつきは人間の家族よりはるかに強く、そして非常に希薄です。互いが互いに干渉しないこと、互いの決断に対しては逆らわないこと、それが獣たちのルールです。あなたが獣と道を共にすることを決めたのであれば、それについてこちらが何かを言うことはしません」 「はぁ、よくわかんないけど……、そういうもの?」 「らしいね」 助けを求めるようにわたしを見るレイチェルに対し、わたしはそうとしか答えられない。わたしは普通の人よりウェアの事情に詳しいけど、ウェアそのものじゃないから、感覚まではなかなか追いつけない。 「それで、エリア。選択できましたか?」 ミントがわたしを見る。レイチェルは何を言っているんだ、という目付きでミントを見た。 安心した。ミントはよくわかっている。 わたしには、どちらの道もあった。人として生きてもいいし、獣として生きてもよかった。どちらを選んでもよかったけど、どちらかを選ばなきゃいけなかった。そういう分岐路。 そして、今。わたしは決断したからこそ、ここにいる。 背中のチューナーを抜く。これはお父さんの形見だ。人として生きることを選択した、お父さんの。 「ミント」 チューナーをミントに向ける。半鳥半人の友人は、構えなかった。 「お願い」 「……それでいいのですか?」 「うん」 ミントは一瞬だけ顔を伏せる。上げた時には、いつもの表情だった。 「では」 バサリ、と翼を広げると、宙に浮いた。わたしが突き出したチューナーをつかみ、空高くに舞い上がり――そして。 「はッ!!」 バキンッ、と音が高鳴る。 ぱらぱら、と空から鉄の破片が降ってきた。 「さようなら」 人間に、別れを告げる。 これから先。わたしは、『獣のエリア』だ。 砦に到着した時、久しぶりだな、と思った。 実際、ほんの三日ほど前まではここにいたはずなのに、随分と長い時間が経過したような気がする。 砦の前には、クロスとガルシア、それにヴィンセントが待っていた。 「来ちまった、か」 「ごめんね、ヴィン」 「いや、いい。お前なら来るんじゃないかって気もしていた」 こきり、と首を鳴らし、ヴィンセントは――三人ともが、ひざまずく。 「エリア・ダルクハルト。これより我ら獣一同、あなたに従い、あなたを主として戦に赴きましょう。命じられれば千人を殺し、なお万人を苦しめましょう」 「個人的なことは言わない。俺たちの主はお前と決まった、そうである以上、逆らうことは絶対にしない。だから、俺たちを信じて欲しい」 「あんたの命は絶対に守り抜いてみせる。今度こそ、だ」 「ちょ、ちょっと!?」 三人もの人が頭をたれるなんて想像もしていなくて、つい慌ててしまう。クロスは顔を上げ、 「何か」 「なにかじゃない! なんでいきなしそういう態度になるかな!? だいたい、軍で一番えらいのってクロスでしょ!?」 「軍のトップはあくまでリュートです。その意思を継ぐ人ともなれば、それは私には荷が重すぎる」 「だからってわたしに押しつけるわけ!?」 「リュートの意思です」 彼の名前が出た途端、わたしはつい言葉を失くしてしまう。 「彼の部屋から我々向けの遺言状が発見されました。その中に、もしもあなたが自ら選択なさったのであれば、あなたを主とせよ――と」 「マジで?」 「こちらです」 クロスが取り出した紙片を読む。そこにはリュートの小汚い字が並んでいた。確かに、彼の言う通りの文面だった。 「リュートめ……」 わたしに選択しろ、とか言っておきながら、やってくれるじゃないの。本当に。 「でも、あなたたちはそれでいいわけ? 自分で言うのもあれだけど、ポッと出てきた女に頭を奪われるのは嫌なんじゃないの?」 「獣はすでに合意しました」 「鳥も合意をしてます」 前後からの合意の声。というかミント、知っていたならなんで言わない。 「トカゲは?」 「……俺個人の意見を言うなら、あんたという人間は好きじゃない」 「でしょうね。んで?」 「全体としての意見だが、トカゲも賛同した。個人的にあんたを認めていない奴もいるにはいるだろうが、全体として、あのリュートが選んだ人間ならば……、という風潮だ。獣や鳥も似たようなものだろう?」 「鳥はそんなに細かいところは気にしない」 「獣はそれぞれだからな。私が全員に意見を聞いたわけではないが、おそらくはそんなところだろう」 まあ、それが当然だろうって思う。実際に、いきなし出てきたわたしが、みんなに信頼されているようではおかしい。 ただの客人としてなら、みんな認めてもよかったかもしれない。でも、実際にリーダーとして担ぎあげるとなれば、話は別。わたしの言葉がウェアの決断になり、わたしの判断によって傷ついたり、場合によっては死ぬことさえありうる。 そう、わたしの決断は、ウェアの未来を担うことになる。今回の、わたし個人の小さな決断とは違う、もっと大きなレベルの決断をしなければいけない。 「んー、じゃあ、実際の作戦とか決断とかはクロス、今まで通りお願いね」 「承知しました」 「基本的な体制はそのままで。具体的なこととか実務的なことってわたしにはよくわからないし、そういうのに向いているとも思えないしね。難しい指示とかも、特にはないんだけど……、ひとつだけ、お願いしてもいいかな」 「なんなりと」 「わたしの扱いは、今まで通りに。リーダーだからってかしこまる必要はないし、リュートだってそうだったでしょ?」 そう言うと、ようやく三人ともが立ちあがってくれた。こうなると、見上げる形になる。さすがにウェアは大きい。 「ならば、そのように」 「あ、それとね。わたしのことは……、ダルクハルトって呼ばないでくれる?」 「……? 構いませんが、では、なんと?」 決めていた。この道を選んだ時に。 ダルクハルトはお父さんの名前だ。人間の名前。それを、わたしが名乗ってはいけない気がする。人として生きる道を諦めた以上、この先のわたしの名前に、それはふさわしくない。 そう、あえて名乗るのであれば、セカンドネームは決まっている。 「クリスティ。エリア・クリスティ、ね」 三人は顔を見合わせ、大きく頷いてくれた。 |