ミントに連れてもらって、わたしは真っ先に砦の見張り台まであがった。そこからは、すり鉢状になっている砦の領域の、外側を見ることができる。
「あれね」
 灰色羽はやけに焦っていたけど、実際にやって来た人間は二人だけだった。それもそのはず、いくら人間の軍が自信を持っていても、向こうから攻めてくる理由はまだない。
 そして、その二人組は――わたしの見知った顔だった。
「セロン……」
 セロンとアルト。ごく慣れ親しんだ、見知った顔が迫っていた。
「ミント、お願い。わたしをあの二人のところまで届けてくれる?」
「それは必要なことでしょうか」
「とっても」
「それでは」「やるな馬鹿!」
 ミントがわたしを運ぶより早くやって来たヴィンが、その頭をひっぱたく。
「お前は何を考えてんだ!? いきなり大将を敵の前まで運ぶ奴があるか!」
「でも、エリアは必要だと」
「それを真に受けるなお前もそういう指示するんじゃない!」
 ヴィンセントはわたしたちの顔を見比べながら叱る。なんというか、あの時の感情的な様子がなくて、少しだけ安心した。
「大丈夫だよ、ヴィン。どうしても心配なら護衛に来て」
「そういう問題じゃない。それに、あれはお前の知り合いなんだろう」
「だからこそ、わたしが決着をつけなきゃいけないの。それに、あのふたりが用事あるのって……、たぶん、わたしくらいだろうから」
 ミントが羽ばたき、わたしの肩をつかむ。そのまま強く翼を動かすと、わたしの体も浮き上がった。
「行きます」
 空を飛ぶ。ぐんぐんとセロンたちの姿が近づき、やがて、目の前までやって来た。
 所長はわたしの姿を見上げる。
「久しぶりだな、エリア」
「お久しぶりですー、所長」
 ミントが足を離す。わたしは地面の上に降り立った。
「退職届を受け取った覚えも休暇届を受け取った覚えもないが」
「出しませんでしたっけ、そりゃすいません」
「……エリア、お前は」「先輩!!」
 所長の、アルトの声を弾くように、セロンは叫ぶ。
「先輩、どうしてですか! なんで! なんでテロリストなんかに!!」
「まあ、色々とね」
「あいつが……、リュートがいなくなったのが、そんなに悲しいっていうんですか。そんな、それだけの理由で!?」
「んー、なんだろうね。わたしにも、よくわかってないし」
 セロンの目は赤かった。目の下にはクマが。ずっと泣いていたのだろうか。女の子じゃあるまいし、と、心の中で呟く。
「人間の行動にそんな大層な理由なんていらないってことで。それじゃダメ?」
「そんな、馬鹿な話ッ――!」
「本気だよ。わたしはね」
 セロンは腰に大振りのナイフを下げていた。アルトは背中に大きな剣。そういえば事務所にあんな剣が置いてあったような気がする。
「ここまで至った理由を、わたしは自分で説明できない。けど、わたしの今の居場所はここで、わたしは獣たちのリーダーなの。だからね、そっちには戻れない。ごめんね、セロン」
「……ならッ!」
 一瞬、セロンの姿が消える。反射的に後ろに肘を突き出し、けど、回転する力を押さえきれずに地面に叩き伏せられた。
「強くなったねえ、セロン」
「先輩に負けないよう、学んだんです」
 立派なものだ。普通、全身を加速アクセルしたなら、技後には決定的な隙ができる。それに対し、連続で加速することで強制的に回避する――連続加速戦法。
 言うのは簡単だけど、状況把握やらマナの発動速度やら、どれもわたしが知っているセロンにはできないレベルの技術だ。
「先輩、帰りましょう。今ならまだ間に合います」
「やだ」
「やだって……! 子供じゃないんですよ! 自分が何をしてるのか、わかっているんですか!」
「もちろん。子供じゃないんだからね」
 ふっと、自分の上の重みがなくなる。当たり前だけど、わたしは一人じゃない。そのことをセロンは意識しなさすぎる。そのへん、まだまだなんだけどね。
「あんがと、ミント」
 体を起こし、埃を払う。ミントは黙って翼を畳んだ。
「くっ、そ!」
 起き上がり、セロンはナイフを抜いた。自分の目が細まるのがわかる。
「セロン、それを抜く意味ってわかってる? 武器を抜くってことは傷つけるってこと、それは傷つけられるってことなんだよ」
「それでも、先輩を連れ帰ります」
 構え方も様になっていた。隙だらけではあるけど。
「ミント、ちょっとお願いしてもいい?」
「よろしいのですか?」
「うん。……わたしじゃ、うまくできないから」
「承知しました」
 今まで後ろに控えているだけだったミントが前に出る。セロンは、じり、と距離を詰めた。
 ちらりと横に視線を向ける。アルトは動く気配も武器を抜く気配もない。それが少しだけ不思議だった。
「しッ!!」
 息を吐きながらセロンはナイフを突き出す。鋭い一撃、けれど、ミントは軽く体を傾けるだけでそれをかわした。
 返す刃で切りつける。それでも、ひょろひょろとかわすミントにはかすりもしない。
「馬鹿にしやがって……!」
「腰が入っていませんよ。腕の振りだけでは疲れるでしょう」
 完全にミントの方が上位だった。本来なら武器を持っているセロンの方が優位だろうに。少なくとも、これほどまでに余裕が出るはずはないだろうに。
「基本がなっていませんよ」
 ふっ、とミントが体を沈める。そのまま、起き上がる勢いでセロンを弾いた。予想外の勢いに、セロンの体は吹き飛び、樹に叩きつけられる。
「ッ――!」
 肺から息の全てが強制的に吐き出される。続けざま、ミントの翼がセロンを地面に叩き伏せた。
 もはや呼吸もままならない。無駄のない、鋭い攻撃。それでもかなり手加減をしているのが見て取れた。効率的にダメージを与えられるはずの爪は使わず、翼と体当たりだけで戦う姿は、セロンを可能な限り傷つけないようにしているのがわかる。
「っ、そおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 吠え、跳び上がったセロンが刃を突き出した。ミントはそれをかわし、腹に膝を叩き込む!
「――!」
 そのまま、セロンは崩れ落ちた。地面に伏したセロンが動く気配はない。気絶したのかな。
「見事な腕前だ。さすがは獣といったところか?」
 すっ、とアルトが前に出た。セロンとは違い、動きに隙がない。どちらかというとミントの動きに近いように思う。
 アルトはセロンを肩に担ぎあげる。
「何もしないんですね」
「お前が選んだ道なんだろう? それについて他人がどうこう言う問題でもない」
「何をしに来たんですか」
「セロンがお前に会いたいと言うのでな」
 アルトは素直に背を向けていた。今なら、その背に刃を突き立てるのは簡単なことのように思えた。
「エリア。私は言ったな、それでもお前の父親は人として生きる道を選んだ、と」
「聞きました」
「ところがお前は父親とは違う道を選んだ。恋人の死は悲しいことかもしれないが、それは一生を左右するほどの決断をするのに、要因として考えてよかったのか?」
「さあ、わかりません。わたしはまだ人生を振り返るほど長生きしてませんから」
「私はしているつもりだ。そして、その上で聞いている。お前は本当にそれでよかったのか、と」
「愚問だと思いません? 経験していない人は、どこまで言われてもピンとはこないでしょう」
「……そうだな。私らしくなかったかもしれん」
 セロンを担ぎ直す。その背中は、なんだか小さく見える。
「次に会う時は敵だ。私は人としてお前たちを斬る。帝都で待っているぞ」
 ガサガサと木々を揺らし、所長は森の奥に消えていった。
「追いますか」
「ううん、必要ない」
「今なら殺せますが」
「ミントは殺した方がいいと思う?」
 その質問に、ミントは答えなかった。それでいい、と思った。
「ミントは所長と会ったこと、あったっけ?」
「ありません。ですが、数十年ほど前に、獣が人間と会ったという話は聞いています。クロスなら何か知っているかもしれませんね」
「どうせ教えてくれないよ」
 ミントの驚いたような視線を頬に感じる。わたしは振り返らなかった。
「クロスは軍隊のことをよく考えているよ。リュートにも忠実だったと思う、実際に軍はまだ動いてなかったしね。でもあの人の心は属していない。あくまで彼は獣のリーダーだよ」
「よく、お気づきで」
「まあね」
 それでいいんだ、と思う。誰も彼もが、心まで預ける必要はない。それは、大切な人のためにとっておけばいい。
「必要なことだけやってくれるなら文句はないよ、わたしは。だから、とりあえず今は砦まで運んでくれる?」
「……承知しました」
 ミントの羽ばたく気配を感じながら、わたしは砦を見ていた。
 セロンやアルトの目には、この砦はどう映っただろうか。



 
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