砦の一室で地図を眺めていた。
 砦にはわたしの私室がある。けして広いスペースではないけど、ひとりで過ごせる空間があるのは、こういう共同生活をせざるをえない場所では本当に貴重なことだ。
 わたしの部屋の壁面には大きな地図がある。帝都の地図は、クロスやミントの部屋にあるのと同じもの。そして、わたしの部屋にはもうひとつ――世界地図もある。
 別の意味があるわけじゃなかった。わたしは世界について、それほど知っているわけでもない。ただ、これを眺めていたかっただけだ。
 帝都の近くを眺めていると、街道や森がある。反対側は海だ。そこからさらに離れれば、森の中を横切る川なんかもある。これをさかのぼれば、セルベストという山に繋がる。ミントたちが住んでいる山はもっとずっと遠くだ。
「砂漠。山。海。森」
 世界中には様々な地形がある。これを見ればそれがわかる。
 そして、この地形のどこにも、誰かが住んでいる。
「住めば都、なんて言葉はあるけど」
 都じゃなかった。だからウェアは人の里を求める。
 それは、いけないことなのだろうか。おそらくはそうじゃない。ただ、わたしたちが選んだ手段がいけないだけのことだ。
 そんな風に、見るともなく眺めていると、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
「はーい、失礼するわよ」
 入ってきたのはのっぺらぼう、もとい人間。
「あんた今、あたしのこと見てすっげー失礼なこと思ったでしょう」
「失礼ってわけじゃないと思うけどね」
「……。まあいいわ」
 どさっ、と体を椅子に落とすレイチェル。その顔は、聞くまでもなく疲れているように見えた。
「どうしたの、お疲れ?」
「あんたね、人にこんだけの軍勢の武器を用意させといてその台詞が吐けるってたいしたもんよ、マジで」
「まだ百分の一もできてないわよ」
「いい性格してるわ、あんた」
 でも、実際問題として、反乱軍の中できちんとした武器を練成する技術を持っているのは、レイチェルだけだ。
 もちろんウェアの中にも鍛冶の技術を持っている人はいるけど、それは旧来の技術でしかない。錬金術が使えない以上、それはどうしても二流以下の武器になりがち。
 ところがレイチェルの作る武器は、個々人の性質に合わせているぶん、質はとてもよい。質の悪い、量だけの武器も必要だけど、とても質のよい武器もできる限り用意しておきたい。だから、レイチェルの仕事はとても重要だ。
 結論として、レイチェルは反乱軍にとっても不可欠の存在になっている。純粋な能力だけなら。
「まあね、この仕事があたしにしかできないってのは理解できるんだけどさー。それはそれとして、こんだけ錬金ばっかりやっているとさ、疲れもするわけよ」
「休憩は自由だけど、なんでわたしの部屋に来るのかな」
「だってここ、私室だから自由にできるし」
「いい性格してるわね、あんた。というかここ、あんたの私室じゃなくてわたしの私室なんだけど」
「いいじゃん、別に。あたしは貴重な来賓つったって、部屋を持てるほどの余裕はないかんねー」
 ひらひら、と手を振っていたレイチェルは、ぽす、と椅子の背もたれに頭を乗せる。
「じゃあ、この砦に来ないほうがよかった?」
「そんなことは言ってないじゃん。なんだかんだと言ってもね、あたしは後悔していないよ、ここに来たこと」
 その言葉は、なかば予想していたものであり、なかば意外なものであり。
 レイチェルはそれほど人間にこだわっているようには見えなかった。コウモリに対する同情もあった。だからこそ誘ったともいえる。
 けど、それでも人間を捨てるというのは、かなり大きな選択だ。勇気なんて言葉では片づけられないほどの決断力が必要になる。
「わたしが言うのもあれだけど、人間すべてを捨ててでもここに来る価値ってあったの?」
「うーん、そういう問題じゃないのよね、あたしの場合。別に人間に恨みとかないけどさ」
 それはそうだ。普通の人は、人間をすべて殺してしまいたいほどの憎しみを持つことはない。それほどの絶望は、そんなに転がっていない。
「ただの二択ってだけでしょ? 人を選ぶか、そうでないものを選ぶか」
「そうだけど、人間として生きてきた以上、普通は人間を選ぶものじゃないの?」
「そうでもないと思うな、あたし。
 人間が憎いから人間の敵になるわけじゃないし、人間だから人間の味方になるわけでもない。あたしはそう思うよ」
 根拠を口にするつもりはなさそうだった。でも、その気持ちはなんとなく理解できる気がする。
 もちろん、世界の大半の人は人間として生きる道を選ぶだろう。それが当たり前の生き方だから。
 でも、どんな世界にも変わり者はいる。レイチェルがそのひとりだった、というだけの話。彼女は、あるいは世界中について知り過ぎているのかもしれない。コウモリのこととか、悪魔のこととか。
「……それより、あたしには、あんたが人間を捨てたことのほうが意外だわ」
「そう?」
「ん。あんたは人間に見えたからね」
「それじゃあレイチェルが人間じゃないみたいに聞こえるわよ?」
「ある意味でそうかもしんない。ま、王家の血筋ってのはだいたい化物じみてるわよ、実際」
 王家。まっさきに浮かぶ王家はギルフォードだ。……そういえば目の前の能天気も王家といえば王家か。
「エリアは王様が剣を抜いたところ、見たことある?」
「ううん、ない」
 実際、王様が剣を抜くような事態というのはそうそうないと思う。わたしが帝都にいた時はまだ平和な時だったし。
「あたしはお父さんが武器を抜いたところを見たことあるの。正直、近衛兵よりよっぽど強いんじゃないかって気がしたわ」
「……そんなに?」
「うん。どこもそうだけど、帝都は特にそう。王族こそ全軍最強、だからあそこはまとまっているのよ」
「そんなに強そうには見えなかったけど……」
「そりゃあの人が本気を出したところを見ていないからよ」
 王族を知るレイチェルが言うからには、そうなのかもしれない。わたしが知っている王族はごくごく表面的なものだ。
「だから、まあ、気をつけな。あんたのことだから、攻め込む時は自分でも行くつもりなんでしょ」
「……。よくわかったわね」
 この話はまだ誰にもしていない。こんな話をしたら、ヴィンセントあたりには絶対に怒られるだろうし、クロスは呆れるんじゃなかろうか。
「これでも友達だからね。王族は強いよ。そこまで辿り着いたとしても、それ以前に消耗していたら勝負にならないくらいには」
「肝に銘じておくわ」
 だからといって、わたしに何ができるわけでもないだろうけど。
 それでも、ギルフォードと戦うのはわたしでなければいけない。そう考えている。
 それは、わたしなりのケジメであり、わたしなりの決断だ。
「そういえば、まだあんた専用の武器ってのは作ってあげてないわね。ギルフォードに挑むつもりなら、どう、何か適当に作ってあげよっか?」
「ん、そうね、近いうちのお願いすることになると思うわ」
「じゃ、先に聞いておくけど、どういうタイプのもんが欲しい?」
「ちょっと難しいかもしれないんだけど、こういうことって可能?」
 前置きし、わたしは自分が前から考えていたことを説明した。わたしはヴィンセントやガルシアのような軍人気質の生活はしてこなかった。そのせいで、わたしは戦いにおいてはひどく弱い。
 そんなわたしが、曲がりなりにも戦力として戦うためには、これ以外の方法はないように思われた。
 レイチェルはわたしの説明を聞き、
「なるほどね。理にかなってる。それを使いこなせるのはあんたしかいないだろうし、もしそれが可能なら、この上ない武器になると思うわ」
「ありがとう。で、実現できる?」
「そりゃやってみないとね。あたしが普通ではない武器を作れるようになったって言っても、それは可能とか不可能とかの話だもん。どういうのまで作れる、ってのは、正直に言えば自分でも把握できてないの」
 ただ、とレイチェルは体を起こした。
「あんたの気持ちは、少しだけでも理解してるつもり。だから、できると思うわ」
「ん」
 わたしは、友達に恵まれた。
 レイチェルは背伸びすると、もうひと仕事、と部屋を出て行った。
 わたしは、また地図に視線を向ける。視界には世界を見つめながら、しかし、わたしが頭の中で考えているのは別のことだった。
「気持ちは理解している、か」
 わたしの本当の気持ちを理解できうる人は、きっと、この世界にはいないだろう。



 
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