「ヴィン……」
 駆け寄ろうとしたわたしの前を、何かがよぎる。見ると、ミントが壁に叩きつけられていた。
「ミント!?」
「彼、強いですね」
 ひょい、と意外にしっかりした足取りで立ち上がるミント。けど、壁にあれだけの勢いでぶつかっておいて、何のダメージもないとは思えない。
「強いことは認めよう。古株なだけのことはある」
 ゆらり、とわたしたちの方にアルトが迫ってきた。振りかぶる剣が何かの生き物のように見える。
「狼君が倒れてくれたのはこちらにとって嬉しい誤算だ。本来なら、それだけで刺し違える可能性もあった」
「それは……、最初から勝てるって言っているみたいね」
「敗北の可能性はあった。確率論の問題だ」
 ずいぶんと強気だ。だけど、それがただの虚勢ではないことくらい、わたしにもわかる。
 あの人を押さえこむのは、とても難しい。ヴィンセントクラスの戦闘力を持つ人が必要だ。
「ミント……、お願い」
「それは、どのような意味合いで?」
「わたしたちは、ここに何をしに来たの?」
 ミントの顔が沈む。きっと、彼女は優しすぎるんだ。ヴィンセントのように割り切ることができていない。だから苦戦もする。
「致し方ない、というのですね」
「そうしなきゃ生きられないわけじゃない。でも、そうしなきゃ生きていけない」
「――わかりました。少々、離れていただけますか」
 アルトの構えが変わる。ミントの突撃に備えているんだろう。
 わたしはミントとアルトから距離を置いた。対峙するふたり。
「鳥のウェアが屋内で戦うのはやりにくくて仕方ないだろう。いかにここが高天井とは言っても、限度はある」
「関係ありません。あなたは鷹や鳶がどうやって獲物を狩るかご存知ですか?」
「さてね。鳥の生態まで調べたことはあまりない」
「すぐ学びます」
 ふわっ、とミントの体が持ち上がる。
「上空からの鋭い一撃か。確かに厄介ではあるな」
 だけど、対処できないわけじゃない。アルトの目はそう語っていた。
 ミントは天井ギリギリまで体を持っていく。アルトは作戦があるという風だけど、どうするつもり……?
「では」
 そこからの動作は、まさに流れる一瞬。
 羽を畳み、全身を鋭い針のように絞り、一挙に体を落とし込む!
「ッ!」
 突槍のごとき一撃。それを、アルトはどう見切ったのか、かわしてみせた。
 再び高空に舞い上がったミント。その翼から羽が何枚か落ちる。
「なるほど、本当に見えているのですね」
「いかにも」
「面白いマナです」
「私がマナを使っている、などと言ったか?」
 ちらりとミントの視線がこちらに向く。わたしは黙って首を横に振った。
 コピーのマナは相手のマナを感じ取ることができる。ただ、それでわかるのは、わたしが知っているマナだけだ。わたしはお父さんの仕事柄、多くのマナを知っているけど、全てを知っているわけじゃない。
 そして、アルトが使っているマナは、わたしの知らないものだった。感じる鼓動が、わたしが感じたことのないものだ。
「これは推論に過ぎませんが、あなたはマナを使用しています」
「ほう」
「簡単な理屈です。私の動作は誰にも見切れないものです。仮に、目以外の何かで感じ取ることができたとしても、それを回避することができません。私が本気で繰り出す一撃は、始動から停止までが一連であり一瞬。かわしようがありません」
「あの程度が本気なら、君が今まで戦った相手はよほど弱かったのだと見えるな」
「もちろん本気ではありません。ですから、この一撃で見極めることができます」
 ぞっ、と背筋が凍る。久しぶりに感じる、ミントの放つ本気の殺意だ。
 そして、ミントが動く。
「きゃっ!?」
 突風としか感じられなかった。
 わたしの目をもってしても捉えられない。今なら、ヴィンセントが『最強じゃない』理由が十分にわかる。
 確かに、スピードだけなら、ミントはずっと上だ。
 けれど。
「さすがに合わせるのは少し難しくなる、な」
 アルトは剣を払った。その切っ先に、ほんのわずかなれど、血液がついているのが見えた。
「なるほど。それがあなたのマナですか」
「わかるのか」
「もちろん。私の攻撃は、ヴィンセントも完全にかわすことはできません。悪魔たちも、私の攻撃をかわせた者はいませんでした」
 だけど、アルトは完全にかわせた。それが意味するところは……。
「詰まるところ、あなたのマナはそういう効力を持っています。かといって、単純に加速しただけでは、私の攻撃を回避することはできないでしょう。感知能力と自分の動作を同時に加速させる、ということも難しいのでは?」
「とぼけた風で、案外と理屈屋じゃないか」
「長生きなもので。そしてこれは推測の上に重ねた推測にすぎませんが、あなたの能力とは時間の流れに作用するものなのでは?」
 ……時間?
「そういうものが存在するのか、私は知りません。ですが、あなたは世界をゆっくりと動かし、その中において自分だけが通常通りの動きをしているように見えます。時間を減速させているのか加速させているのか、それまでは知りませんが。
 ですが、それはとても負担がかかるのだと思います。常時、マナを使い続けられるのであれば、あなたはとっくに私を斬り伏せていたことでしょう」
 もし、アルトの能力がミントの言う通りであるならば、その対処方法も見えてくる。大きな効力を得られるということは、見合った代償を払わなきゃいけないということだ。
 アルトの能力に稼働時間の制限があるなら、ミントはただ攻め続ければいい。彼の反射限界を超える速度で仕掛け続ければ、アルトは息切れし、いずれ刺せる。
「私が全力を込めた一撃。あなたは、何度かわせるでしょうか」
「憶測だ。間違っていれば君は死ぬ」
「それだけのことです」
 ちらりと、ミントの視線がこちらを向いた気がした。
「――あなたでよかった」
 ぽつりと呟いた声がやけに耳に残った。
 天井ギリギリまで飛び上がったミント。まとっている空気が、どこか冷たい。
「冷気?」
 そんなはずはない。獣は魔法使いじゃない、何の理屈もなく冷たい空気を吐き出せるわけでもない。
 なのに、ミントから感じる空気は、どこまでも冷たい。本当に氷そのものみたいな――。
「まさ、か、殺気……、なの?」
 これが? この冷たい空気が?
 ただの殺気とは、少し違う。殺すぞ、っていう意思を感じない。ただ、どこまでも冷えている。
 アルトの表情に緊張が増した。あれだけの力を持つ人に、それだけの覚悟をさせるだけのものが、ミントにはあるのだろう。
 すっ、とミントの体が音もなく沈む。そして、
「ッ!!」
 体を押さえきれなかった。
 思わぬ突風に体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。もちろん目なんて開いていられない。
「っぅ〜……!」
 にぶい痛みをこらえ、ゆっくりと目を開く。飛び込んできた光景は、わたしの想像を絶していた。
「う、そでしょ……」
 壁に大穴が開いていた。ウェアが悪魔用の兵器として考えられた理由が、今ならよくわかる。
 人間の身では、マナをどれだけ極めようとも、こんなことはそうそう起こせない。マナにはマナの限度があり用途がある。ましてや、マナを封じる化物を相手にするには、確かにウェアが必要だった。それを理解させるには十分な破壊力だった。
「ぐ、ぬぅ……」
 うめき声に、わたしは我に返った。床の上に何かが転がっている。ううん、あれは――アルトだ。
 アルトは、あの一撃を回避することには成功したらしかった。そうでなければ、とっくに粉みじんになっていただろうから。片腕と、体の一部を持っていかれただけで済んだのは、あれだけの攻撃を受けたにしては奇跡と言っていいと思う。
 アルトのうつろな瞳がわたしに向く。もう色が薄くなっていた。
「所長。わたしは、後悔しません」
「……そう、か」
 それだけを呟き、アルト・アージュは瞳を閉じた。
 倒れ伏した体が動くことは、二度となかった。



 
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