お城に戻ると、入り口のところで渋い顔をしたクロスが待っていた。
「エリア。君はどこに行っていたというんだ? 護衛もなしに」
「護衛て。そんなのが必要じゃないこと、クロスが誰より分かってるでしょ」
「君は自覚がないかもしれないが、エリア・クリスティという人物は半獣軍における重要人物なんだぞ。もしも革命に対して快く考えていない人間が、君に対してよこしまな思いを持ったらどうなると思う?」
「貞操が危ない?」
「わかった、一度でいい、死ね」
「クロス怖いんだけど」
「誰が怖くさせているんだ」
 深くため息をつき、彼は言葉を続ける。
「セロンが君に会いたいと言ってきた。どうする?」
「へえ?」
 セロンは王城に雇われていた。そういう意味ではアリスクラスの監禁をしてもよかったんだけど、雇い主であるアルトも亡くなり、彼自身の気力もなさそうだったから、軟禁程度に留めていた。
 今までは、わたしに会いたいなんて一言も口にしてなかったらしい。わたしの方からセロンに会うのは遠慮していたから、ゆっくりと話をしたこともなかった。
「何かの節目みたいな日なのかしらね……」
「ん?」
「なんでもない。いいよ、会いに行く。案内して」
「あ、ああ」
 わたしはクロスに案内されるまま、王城の中を歩く。
 やがて、それなりに大きな扉の前までやって来た。木扉を叩くと、軽い音が響く。
『どうぞ』
 クロスの持っていた鍵で中に入る。軽い演舞くらいはできそうな広さの部屋。その、ベッドの上に、セロンは座っていた。
「先輩、お久しぶりです」
「ん、久しぶり」
 セロンは少し痩せていた。食事はしているらしいけど……、やはり、あまり多くは喉を通らないんだろう。
「調子はどう?」
「悪くありません。もっとも、関係もないですけどね。特別にすることはないんですから」
「ま、そりゃそうね」
 セロンはうつむき、ベッドから浮いた足をぶらぶらさせていた。その姿は、彼を年齢以上に幼く見せる。
「先輩は、これが正しかったと思いますか」
「世の中、正しいとか間違っているとか、そんなのだけじゃ割り切れないのよ」
「……答えになってませんけど、その通りかもしれませんね」
 顔をあげ、窓の外を見る。わたしもつられるように視線を動かす。
 蒼穹という言葉がよく似合う色合いの空だった。
「昔、まだ実家にいた頃、親父に聞いたことがあるんです」
「なんて?」
「ギャロップは幸せなのか、って。人間に飼われて、それで何の不満もないのかって。自由になりたいとか、思わないのかなって」
「お父さんは、どう答えたの?」
「『そいつは分からない。だけど、幸せだと思えるようにするために、俺たちがいるんだよ』」
 振り向いたセロンは、かすかだけど、笑みが浮かんでいた。
「そんな風に答えてました。その時は納得できなかった。でも、今なら、ほんの少しだけ親父の言いたかったことがわかるような気がします」
 ギャロップが幸せだと思えるように、か。
「いいお父さんね」
「ありがとうございます。
 ――オレは、先輩の気持ちも、半獣の気持ちも、コウモリの気持ちもわからない。オレにとってはマナが使えるのは当たり前のことで、戦争なんて存在しないのが当然のことだったから」
 誰もがそうだった。そうじゃなかったのは、反乱軍わたしたちだけで。
「先輩。これから何をするんですか?」
「さーあね。たくさんありすぎてわかんない。でも、国が生まれるのよ。新しい、人間ではない者のための国が」
「その主導者に、先輩がなるんですか?」
「それはイエスであり、ノーだよね」
「……ん、やっぱり、そうですよね」
「何が?」
 セロンは言葉に出すのをためらうように口ごもり、けど、結局は口にした。
「先輩が何か変わっちゃったような、どこか遠くに行っちゃったような気がしていました。でも、そういうわけじゃないんですね。今までの先輩の延長線上に今の先輩があって、その先には、きっとオレの知らない先輩がいるんだ」
「それが生きるってことでしょう?」
「ええ、その通りですね」
 自然な笑みが漏れている。
 セロンは大丈夫だ。そう思えた。
「――先輩」
「ん?」
「やっぱ、オレは先輩が好きでした」
 しいん、と静かな部屋。クロスも、何も言わない。
「過去形なのね」
「今の、そして、これからの先輩には……、オレは要らないでしょうから」
「わたしのためなの?」
「半分はオレのためですけどね」
「ん、よろしい」
 いずれ、セロンは立ち直るだろう。そして、彼は彼なりの未来を生きることになる。
 その時、彼の隣にいる人は、わたしではないだろう。予感じゃない、予言だ。

 セロンの部屋から出たところで、わたしは大きく息をついた。
「どうした。ガラにもなく緊張でもしたか?」
「失礼な言い方ね。わたしだって悩むし緊張するし苦しむわよ。人間だもの」
「ああ、そうだな。お前は人間だ」
「……?」
 クロスの言い方がなんとなく引っ掛かって、彼の顔を見る。
 獣の横顔からは表情を読み取れない。何が言いたいのかも、いまいちよくわからなかった。
「そういえば、クロスはこれからどうするの?」
「それはクロス・フューザーという個人に対してか? それとも、獣の長である私に対してか?」
「んー、どっちも」
 ふむ、と一息おいた彼は、
「獣の長としてならば、やらねばならないことは山のようにある。諸国に対する表明、国内の整備、もちろん当分は続くであろう戦争行為に対する備えもしなければならない。軍の士気は維持しなければならないし、武器も資材も、何もかもが足りない」
「……本当に、たっくさん、あるのね」
「君は私の話を全て無視していたのか?」
 聞いていたけど聞き流した、みたいな。わたしが何をするわけでもない。
 クロスは深々とため息をつき、
「まあ、君に何を期待するわけでもないがな」
「あ、ひっどーい」
 ちらっと見られただけで、そっぽを向かれた。余計に哀しい。
「私個人としての行動以前に、そういった、やらねばならないことが山積みすぎる。現状では個人的な行動は差し控えざるをえないな」
「それじゃ面白くないじゃない」
「生きるというのは面白いことばかりじゃない。誰かが犠牲になる必要もある」
「生き残ったのに犠牲になる必要なんかないよ」
 犠牲になることを受け入れるなら、戦争をする必要なんてなかった。
 自分たちが望む形を、望む世界を手に入れるために、みんなが動きだした。これはその一端だ。
「あなたは、やりたいこととか、目指すものとかないの?」
「獣の発展。それだけだ」
「仕事だけが生きがいなんて流行らないわよ」
「……。仕方あるまい」
 そうやって前ばかり見て、こちらを見ようともしないクロスの横顔。
 眺めていて、ふと思う。この人も、すごく不器用なんだろう、と。
 それはそうだ。器用な人なら、戦争に参加はしなかっただろうから。ウェアは、みんな総じて、生き方がうまくないんだ。
 そしてそれは、わたしも同じ。
「じゃあ、見つけないとね」
「――? 何をだ」
「楽しみよ。クロスだけの、クロスのための楽しみ」
「む……」
 言葉に詰まった彼は、やけに早足で歩いていってしまう。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「言っただろう、仕事は山のようにあるんだ。執務室に戻る。君も無駄にふらふらしないように」
 言い残して、スタスタと歩いていく彼。その背中に声をかける。
「あんまし無茶しちゃダメよー」
 聞こえたのか聞こえていないのか、クロスはそのまま廊下の陰に隠れてしまった。
「……色々と、あるのね」
 みんな、それぞれの未来を手に入れた。全体からすればひとつの形だけど、細かく見ていけば、そこに一人一人の生きざまがある。
 わたしが、それらの頂点――。
「なんか、変」
 わたしが望んだことは、そしておそらくだけど、リュートが望んだことは……、きっとそういうものじゃないと思う。
「みんなで考えて、みんなで生きていかないとね」
 きっと、その方がいい。
 歩きながら、わたしは頭の中でこれからのことを考え続けていた。



 
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