通信室には遠くの人と会話をするための不思議な石マナがある。
 実際、どういう仕組みなのか、わたしはよく知らない。ただ、マナに触れているだけで、繋がっているマナと会話ができるという、その使い方しか知らない。
 それは、何も通信のマナに限った話じゃないけど。どうしてマナを使えばそういう効果が出るのか、その理屈や仕組みは、大半の人が知らないと思う。それでも生活は成り立つし、問題がないなら誰も気に留めない。
 通信室はさほど広くない、ただの板張りの部屋だ。ただ、奥の台に石が埋め込まれているだけ。深緑色に輝くこの石こそが通信のマナだ。
 そこに触れ、わたしは声を出す。
「もしもーし、エリアですけどー」
『エリアか。アルトだ』
 通信の石から声が届く。聞き慣れた所長の声が、石を通すことで少しだけくぐもったように聞こえた。
「どうしたんですか、通信なんて」
『緊急任務だ。すぐにセロンを連れて向かって欲しい場所がある。条件の問題でこちらから人を出すことはできないが、必要ならそちらで何人か流れを雇っても構わない。費用は事務所で持つ』
「ちょ、ちょっと待って下さい! どういうことですか? らしくないですよ、順番に説明してください!」
『……いいだろう。実は先程、事務所に依頼があった。帝都から別の都市に向かっている若夫婦だ』
「はい、それで?」
『帝都から馬車で移動中、ちょうど事務所の近くで野営をしたらしい。夜は娘と一緒に休んだんだが、朝になったら、娘の姿が見えなくなっていたそうだ』
「迷子、ですか。都市の外で」
『いや……、どちらに向かったか、おおよそ予想はついている。森だ』
「森ッ――!」
 それは、最悪の可能性。
 都市の外は決して安全な場所じゃない。都市の中ならば警備もいる、人の目もある。けど、都市の外には警備なんていないし、人の目もない場合が多い。それでも、道なりならばまだ救いはある。
 それが、森。
 森は大人でさえ近づかない。ううん、近づくことができない。
 それほどに危険な場所だから。
『状況は理解したか? それだけ危険な状況ということだ。はっきり言ってしまえば、もう助からない可能性も多分にある』
「でも、探すんですね?」
『当然だ。捜索が依頼であり、死亡した確証が持てない間は希望も存在している。非常に危険な仕事だ。だからこそ、他の、荒事に慣れていないようなメンバーは送れない。君たちが頼りだ』
「もし、わたしが断ったら?」
『……その時は、仕事を断るしかあるまい』
 実際、これは本当に命の危険があるような仕事。無理にやらなきゃいけないものでもない。
 命はお金で買えない、だから、それをお金だけの契約で従う必要なんて全くない。
 それでも、所長はわたしに頼んできた。
「所長、誰か雇ってもいいんですね?」
『心当たりはあるのか?』
「一応。どの程度まで腕が立つのかわかりませんけど、警備なんかに頼むよりは頼りになると思います」
 警備は街の外に出たことがない、なんて人も多い。そういう人に、何が起きるのかわからない森への探索は任せられない。
 だからこそ、ある程度の腕が立ち、何より街の外に詳しい人が必要。わたしも少しは知っている、セロンだって外の出身、だけど、それ以上に詳しそうな人。
 わたしは、運が良い。再会してすぐ、こんな仕事にぶつかるなんて!
「わかりました、お受けします」
『すまない、頼む』
 通信が途切れる。わたしは、浅く息を吐いた。
「外、か」
 怖くないか、と言われれば、怖いに決まっている。腕が震える、足がすくむ。本当なら、森なんて絶対に行きたくない。
 わたしはそこそこの経験があり、荒事にも対応する能力を持っているけど、森で通じるほどの何か、いうなれば戦闘力と呼べるほどのものを持っていない。せいぜいが街のケンカで大怪我をせずに済む、といったレベル。
 そんなレベルで森に行って、わたしは生きて帰れるのだろうか。わたしだけならまだいい、セロンは?
 わたしは、後輩を失ってまで仕事をしたくない。
「どう、思いますか。クラウディア先生」
 振り返り、部屋の外に声をかけると、板の間を少し軋ませ、初老の先生が入って来た。先生は、眉根を寄せながらも笑みを浮かべてくれていた。
「ごめんなさい、聞くつもりはなかったのだけど」
「いえ。それより、先生は森に行くべきだと思いますか?」
「何を成すべきか、ということは、己で決めることですよ。エリア・ダルクハルト」
 クラウディア先生はそっと歩み寄り、わたしの頭に手を伸ばす。
「エリア。正しいことは、常に自分で決めなければなりません。なぜなら、わたくしの“正しい”とあなたの“正しい”は異なるからです」
「それは、よくわかっています」
「ならば、わたくしの言葉を待たずとも、あなたは自分で答えが出せますね?」
「……少しくらい、背中を押してくれてもいいじゃないですか。可愛い教え子が悩んでいるんですよ?」
「甘えは捨てなさい、エリア。あなたはもう大人なのだから」
「大人だってたまにゃ甘えたいんですよ」
「それは愛しい男性に言いなさい」
「あーはいはい、まったく、先生は説教ばかりなんだから」
「歳をとると説教をしたくなるのですよ。自分と同じ失敗をしようとする若者を見ると、余計にね」
「まだ言うほどの歳じゃないでしょ、先生は」
 でも、やっぱり、先生は凄い。
 会話だけで、わたしに力をくれた。
「じゃ、ちょっと暇を貰います、先生」
「ええ、行ってらっしゃい、エリア」
 怖い、けど。
 わたしがやらなきゃいけないなら、やるしかないんだ。

 帝都にも表通りと裏通りがある。
 表通りは車も通れるように舗装され、綺麗な商店が並んでいる。人通りも多く、マナによる明かりなんかもある。
 それが少し裏通りに入ると、事情は変わる。道は舗装なんてされていないし、マナの明かりさえない場所も多い。差別をしているわけでなく、ただ単に、そこまで整備が行き届いていないってだけ。
 わたしはメモの住所を頼りに、そんな裏路地のさらに奥へ奥へと進んでいく。
 やがて見えてきたのは、古くてボロボロのアパートみたいな建物だった。マナによる補強なんてされていないだろうし、とても帝都の建物とは思えないほどにボロボロの代物だ。
 一階の最奥の部屋。そこが、メモにある住所。
 一呼吸してから、わたしは扉をノックする。遅れて反応があり、扉が開いた。
「うお!? エリアか!?」
 顔を覗かせた友人は、わたしの顔を見た途端、目を見開いた。
「失礼ね、リュート。わたしがここに来ちゃ変なの?」
「いや、変とは言わないけどさ……」
 リュートは、戸惑っているようだった。それもそうだろう。確かにわたしに住所のメモは渡した、でも、これだけガラの悪い場所は、女性が訪れるようなところじゃない。
「ま、まあ上がっていけよ。せっかく来たんだからさ」
「ごめん、それが、そうも言っていられない事態なの」
 リュートはわたしの顔をまじまじと見つめ、ごくりと喉を鳴らす。
「なんか、ヤバそうだな」
「うん、とってもヤバい」
 わたしは事情をかいつまんで説明した。
 都市の外には危険がある。そこに慣れた人はとても少ない。わざわざ危険に飛び込む人も、そうはいないだろう。
 だから、わたしが今回の仕事に誘える人、頼める人は、リュートくらいしかいなかった。
 全て聞き終えたリュートは、うん、と力強く頷き、
「なるほどな、そういうことか。わかった、俺も手伝ってやる」
「ほんと!?」
「お前は仕事なんだろ? かといって、お前だけにそういう危ない仕事させた日にゃ、寝覚めも悪い」
 そこでリュートは、じろっと半目になってわたしをにらむ。
「というか、俺が聞いたら断れないってわかっていて言っただろ、お前」
「え? あー、まあ、たはは」
「ったく。そういうとこ、変わらねえなあ」
「ははは、まあ、頼むよ。わたしとリュートの仲じゃんか」
「ただの友達だろーが」
 ちょっと待ってろ、と部屋の中に引っ込んだリュートは、大きめの鞄を手に出てきた。ハードケースの鞄には、帝都の封がなされている。
「外に出るなら、こんくらいの準備は必要だもんな」
「何、それ?」
「ま、武器みてーなもんさ」
 行こうぜ、と先行するリュートの後を付いて、わたしも歩む。
 この感覚が、少し懐かしい。



 
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