帝都からギャロップに乗ってしばらく。
 事務所と帝都、どちらからも等分くらいの距離に、その森はある。
 正式な名前はない。森、とだけ呼ばれている、人も立ち入らない危険な場所。
「いいか、森の中じゃ不用意に騒ぐな。常に俺の近くにいろ。油断はせず、周囲を警戒するんだ」
「はいはい、わかってるわよ」
「先輩、今回は本当に危ないんですから、そういう態度はどうかと思うんですけど」
 リュート、わたし、セロンの三人は、森の前に立っていた。
 森の中をギャロップで進むことは、色々な意味でリスクを高めるだけなので、ここで置いていくことになる。わたしはいつもの鉄棒を、セロンは大振りのナイフを、そしてリュートは、例のハードケースに入っていた武器――長い剣を手にしている。
 森の中にいる動物やらに、わたしの鉄棒やリュートの剣が、どこまで通じるのかは疑問が残る。実際問題、獣が本気でわたしたちを襲えば、こんな武器ではどうにもならないだろうとも思う。
 そう、何の能力も使わなければ。
「リュート、リュートのマナは? わたしのマナは『模写コピー』だから、聞いておけば後でわたしも使えるかもしれない」
 マナは人が使える、人ならざる技術。その力はわたしたちの生活を豊かにし、様々な不思議を引き起こしてくれる。ある人は、この石を神様からの贈り物ギフトと呼んだ。
 マナの持つ効力を引き出せば、人は獣よりも早く走り、炎や水を操り、光を呼び鉄から武器を作り出す。修練は必要なれど、誰でも可能性があるという意味で、この存在は大きかった。
 森の中に何がいるか、それはわからない。ただ、森の中の危険に対して、生身の人間が抵抗する唯一の可能性は、やはりマナしかないだろうと思う。
 セロンの持つ『加速アクセル』は人間を文字通り加速させる。その気になれば、下手な獣など相手にもならないだろう。
 けど、それだけでは不十分。できれば、リュートの使えるマナも活用したかった。そう思って聞いたのだけど、
「いや、俺のマナはここじゃ効果がない」
 リュートは、それだけしか答えてくれなかった。
「効果がないって、そんなの使わなきゃわかんないでしょ?」
「わかるよ。俺のマナは人間にしか効果を及ぼさないものだからな。ま、そういう意味じゃ当てにはしないでくれ」
「んなこと言っても、生身じゃそれこそ狼にだって勝てないでしょ」
「そのへんはなんとかなるさ」
 じゃあ行くぜ、とリュートは率先して森に分け入る。
「あ、ちょっと待ちなさい!」
 わたしとセロンも慌てて後を追う。
 森の中へ。

 先頭をリュートが、その後をセロンが。最後尾をわたしが歩く。
 リュートの足取りに迷いはない。それが少し頼もしくて、少し不安で。
「リュートさん、でしたっけ」
 セロンが前を行くリュートに話しかけたのは、そんな時だった。
「ああ、リュート・クリスティだ」
「セロンです。……リュートさんは、先輩とどういう関係なんですか?」
「あん? エリアから聞いてねーか?」
「聞いていますよ。学生時代の友達だとか」
 リュートは頷き、
「そういうことだ」
「でも、それだけですか?」
「……? それ以外の何があるってーんだ」
「だから、ただの学生時代の友人の頼みで、帝都の外にまで出て、あげく森にまで来ますか?」
 リュートはちらとわたしを見る。けれどわたしには何も言わず、
「あのな、俺は帝都に住んでいるわけじゃねーの。今は仮住まいだ。帝都の外に出ることは抵抗ないし、他の奴よりは敷居が低いっていうか、嫌だとは思わねーんだよ。
 ――それに、エリアは俺が行こうが行くまいが、森に入るんだろ? それで死なれでもしたら、さすがに寝覚めが悪いじゃねーか」
「ふうん……」
「んだテメエ、セロン。何が言いたい。言いたいことがあるならはっきりと言ったらどうだ」
「言いたいことなんてないですよ」
「嘘こけ。いいから言え。そういう、はっきりしないのって嫌いなんだよ、俺は」
「知らないですよ、そんなの。だいたい言いたいことはないって言っているのに、どうすればいいってんですか」
「だからぁ……!」
「ほらほら、子供の遠足じゃないんだから、はしゃがないの。だいたい騒ぐなって言ったの、リュートでしょうが」
 わたしが諭すと、リュートもセロンも押し黙る。なんでこう、男ってこうなのかなぁ……。
 さらにしばし進むと、開けた場所に出た。どこまでも続きそうだった木々はそこだけ存在せず、短い下草だけが生えている。広さは、少し豪華な一軒家が建てられるくらい、といったところだろうか。とても広いというほどではなく、かといって狭いというほどでもない。
「ここらで一休みするか」
「森の中で休息するんですか?」
「森の中だからこそ、だ。いつまでも緊張状態じゃいられないだろ。ここなら見通しがきく。広いから何かあった時にも対処しやすい」
 リュートは広場の真ん中まで率先して歩いていくと、そこにどっかと腰を下ろした。
 わたしもそれにならい、セロンもしぶしぶといった体で続く。
「子供が入った気配、あった?」
「正直、わっかんねえ」
 それもそうだ、と思う。
 泥の上を歩いたなら足跡が残る。人のいるところを通っていれば話を聞くこともできる。
 けど、ここは下草が生えていて足跡なんか見えないし、人通りなんかあるはずもないから誰かに聞くこともできない。
 言ってしまえば、情報がないのだ。
「じゃあ、やみくもに探すんですか? 何がいるかもわからない、この森を」
「いや。そういうわけでもねえ。これでも最低限、可能性のあるルートを通っているんだよ」
「可能性のあるルート――?」
「要するに獣道を通ってきている」
 獣道。動物が通ることによって自然とできてしまう、道なき道だ。動物はだいたい同じルートを通る癖があるから、植物もそこだけ不自然に曲がってしまったりする。
「獣道が道じゃないのは、大人の足だからだ。子供の身長なら、動物と同じように獣道を通れるはずだからな。子供の視点で見れば、立派な道だろうよ」
「でも、それって獣道を作った動物と接触する可能性が高まるってことじゃないですか?」
「その通りだ。だが、ただの野生動物くらいなら、俺はどうにかできる自信がある。エリアもどうにかできんだろ?」
「たぶんね」
 そういうことだ、と言わんばかりにリュートは頷いてみせた。
 しかし、とそこにセロンが口を挟む。
「じゃあ、野生動物以上に危険なものがこの森にはいるってことなんですか?」
「あったりまえだろ。そこらの動物だけなら、それなりにマナをきちんと使えるならどうってことはねえ」
 いいか、とリュートは指を立てる。
「マナってのはな、そんじょそこらの道具とは違うんだ。ただの剣や槍じゃねえ、その存在そのものが大きな力なんだ。あれがあるから人は里を開発できる、あれがあるから人は人たりえる。あれがなきゃ……、人間でさえない」
 人間でさえない。
 なんとなくその言葉に裏を感じたけど、わたしは何も言わなかった。――リュートが何を言いたいのか、わかる気はしていたけれども。
「だから、そいつさえありゃ多少は……」
 リュートが不自然に言葉を切り、背中に手をやる。そこに、リュートが持ち出した長剣が収められていた。
 口元に一本指。わたしも黙って鉄棒を手に取り、セロンもナイフを引き抜く。
 わたしには、まだ感じられない。セロンも同様の様子だった。それでもリュートは警戒をしている。それが取り越し苦労とは、わたしには思えなかった。
 ここは、森なんだ。
「散れッ!!」
 リュートの合図でわたしとセロンも跳ぶ。
 木々がなぎ倒される大音声。その刹那になって初めて、わたしはその存在に気付き、目の当たりにすることができた。
 森の木々を崩し、現れる巨体。それは、どう考えても、獣などではなかった。
「何、あれ――!」
 見たことのないものだった。それは、動物と呼んでいいのかさえわからない、いや、何と呼べばいいのかさえもわからない代物。
 これが、森に入ってはいけない、その理由。
「来やがったな」
 鋭く尖った足を地面に突き刺すように前に進む巨体。全体からすればムカデに近い、しかしムカデの体はあんなに硬質じゃない。
 鉄のムカデ。そうとしか言いようのないもの。
 本能的に感じる。これは、生き物の敵だ。



 
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