さわやかな風が駆け抜ける、港町を見渡す丘の上の公園。そこに、ひとりの少女が立っていた。 夜闇にまぎれたその顔は、十代の後半といったところだろうか。紺色のブレザーに、制服らしいスカート姿。意志の強さを表す表情と、ショートカットがよく似合っていた。見る限りでは、かなり活発な印象を受ける。 「さて、と。どっちかなー」 少女は腕時計に目をやった。しばらく時計を眺め、やがて、目を上げた。その目は、町に向いている。 住宅街は、すでに暗い闇に包まれている。夜も遅い時間、無理もない。 「あっち、ね」 つぶやき、少女は歩き出した。目指すは、敵の待つ場所。 港町の静かな夜。それを破る大騒音が、突如として響き渡った。 道路を走り回る、バイクに乗った若者たち。何事かを叫んではいるものの、排気音がうるさくてよく聞き取れない。どこにでもいる、暴走族だ。彼らはいつもこの道を楽しそうに走る。周囲に与える影響なんて、何も考えずに。 と、そんな彼らの行き先に、人影が見えた。仁王立ちするそのシルエットは、せいぜいが中学生くらいの子供だ。 子供は軽く手を上げた。途端、道を覆うコンクリートがめくれ、バイクに乗った若者たちは勢いのまま、空中に投げ飛ばされた。 「ッてぇ! あにすんだテメエ!」 何が起きたのかよく理解できず、若者たちのひとりが叫ぶ。対する子供は、ゆっくりと若者たちに近寄った。 「うるさいんだ、毎日」 「あ!?」 「聞こえなかった? うるさいって、言ったんだよ!」 叫びと共に、コンクリートが砕けた。子供が空気を切るように手を払うと、砕けたコンクリートの破片が男たちに向かって飛んでいった。 「毎日! 毎日だ! 僕はね、君らみたいに暇でもバカでもないんだよ! 勉強だってしなきゃいけない! 君らみたいなゴミクズの邪魔のせいで! 僕のような一般市民は、迷惑するんだよ!」 子供の感情が高まるにつれて、浮かぶコンクリート片が巨大化していく。最初は小石程度。それが手の平くらいの大きさになり、とうとう、人の頭ほどの大きさの石が持ち上がった。 「お、おい! や、やめ……!」 「うるさい! お前らなんか、死ねよ!」 子供が突き出す手と連動し、コンクリートが若者たちに向かう。 そしてそれは、 「あ――!?」 明るくきらめく炎によって、砕け散った。 「なん、だ?」 若者はおろか、子供すらも状況が理解できていないようだった。戸惑う男たちに、明るい女性の声が響いた。 「こらこらー? 危ないよー?」 暗がりの中から現われたのは、先ほどの少女。黒っぽい制服は、夜にまぎれ、わからなかったらしい。 「お兄ちゃんたちさ、危ないからどっか行ってて」 若者たちに背中を向け、少女は言った。その、どこか頼もしげな背中に、若者たちの戸惑いの声が飛ぶ。 「お、おい! あんたは何だよ!?」 「何だよこれ!? どうしてコンクリートが飛ぶんだよ!」 「ざけんなッ! こんだけやられといて、シッポ巻いて逃げられるかよ! 俺があいつをぶん殴る!」 少女はちらりと後ろを振り返る。その顔には、何の表情も浮かんでいなかった。 「あんたら、さっさと逃げなさいよ。でないと顔面にコンクリートが飛んできたって知らないからね? あるいは」 パン、と両手を合わせる。少女が手を開くと、そこには先ほどの明るい炎が現われていた。 「あたしの炎が間違って当たっちゃうかもしれないけど?」 「ひッ!?」 炎に臆したか、それとも少女の持つ気配に驚いたか。若者たちは情けない声を出すと、バイクを拾う間もなくその場から逃げ去った。 それを確認し、少女は子供に向き直った。 「こんばんは。あたしはリナ。あなたは?」 「……牧野」 「まきの、君。じゃさ、まきの君。その力は、どうしたの?」 「答える義理はないね。それよりあんた、何なんだよ? 僕の敵っぽいけど、あいつらの味方ってわけでもなさそうだし」 「それはそうよ。あたしだって、ああいう連中は好きじゃないもん」 リナは、後方に視線を送った。逃げ出した若者たちの姿は、もう見えない。 「他人のことは考えない。自分だけがよければ、それでいい。あたしは、そういうのが嫌いだから戦うの。今の、まきの君みたいにね」 「僕をあんな連中と一緒にしないでくれよ。僕は、僕のためだけに戦ったわけじゃない。あいつらには、このへんに住んでいる誰もが迷惑していたんだ。いつも、バカみたいな爆音を響かせて走り抜ける。そのせいで、どれだけの人が迷惑したと思う? 僕は、そういう世の中のゴミみたいな連中と戦う、正義の味方みたいなもんだよ」 「正義、ね」 リナはくすりと笑った。 「自分で努力して手にした力でもないくせに、正義の味方を気取るの?」 「どんな方法で手に入れたって、これは僕の、僕だけの力だ。それが気に入らなきゃ、力で示してみろよ! あんたが正義だってさ!」 牧野が手を上げると、それに呼応するように、コンクリートたちが浮かび上がった。その数はざっと、二十ほど。ひとつひとつが人の頭ほどもあり、当たれば重症では済まないだろう。 「はは、これだけのコンクリート、避けられないだろう! 邪魔なんか、させるもんか!」 牧野の手の動きに合わせ、コンクリートたちは一斉にリナに向かって飛んでいった。 リナは、それだけのコンクリート群を相手に、慌てる様子もなかった。ため息ひとつ、両手を合わせる。 「避けられないなら、避けなきゃいいだけでしょうが」 まるで弓でも引くように、リナは手を引く。そこにはやはり、炎がきらめいていた。そして、握っていた右手を、開く。 途端、弾かれたように炎の矢が飛び出した。全部で五本。炎の矢たちは、リナに直撃するコースにあるコンクリートだけを的確に射抜き、残る岩は、軽くステップを踏んでかわしてしまった。 「まきの君。もう、やめよう? その力は誰も幸せになんてしてくれない。誰かを傷つけたって、誰も幸せにならない。お願い、わかって」 リナの言葉を、けれど、牧野少年は聞いていなかった。それよりも、自分の技が破られたという事実ばかりに目を向けていた。 「嘘、だろ? 僕の、僕のコンクリ弾が、破られた?」 「うん。あたしはね、君みたいな能力者と戦うのがお仕事なんだ。だから、こういう戦いには慣れてるの。君のような初心者で、しかも言うほどすごい能力じゃない人なら、あたしは負けない。だからさ、無駄な戦いは、やめようよ?」 「すごい能力じゃ、ない?」 リナはうなずく。それは、牧野少年に諦めさせるためのもの。だが、逆効果だった。 「ふざけるな! 僕は、僕は最強なんだ! お前なんかに、負けるもんかぁ!」 牧野少年は気力を振り絞り、さらに多くのコンクリートを操る。その数は、先ほどより十ほど、増えていた。 「……また失敗、か。あたしってバカだからなぁ」 「ごちゃごちゃ、うるさいんだよ!」 コンクリ弾がリナに向かって飛ぶ。リナは一瞬だけ目を閉じ、覚悟を決めた。そして、勢いよく両手を合わせる。 生み出した炎の矢でコンクリートを撃破しながら、リナは一気に走り抜ける。かわし、避け、砕き、少年までの最短ルートを。 牧野はムキになって攻撃を繰り返す。けれど、感情に任せた攻撃など、リナには通用しない。 最後のコンクリートが砕けた時、リナと牧野少年の距離は、二メートルもなかった。 「ごめん、ね」 リナは牧野少年を、思いきり蹴った。回転も加わった鮮やかな一撃は、ものの見事に牧野少年を転がす。運動部でもない、ごく普通の中学生には、リナの攻撃はあまりに早く、重すぎた。 息の切れた牧野少年に、リナはゆっくりと歩み寄った。そっと目を細め、その額に、手をかざす。 「や、やめろ! 僕にはまだ、やらなきゃいけないことがあるんだ!」 「そういうことはね、自分で力を得てからやるの。君自身が力を得なくてもいいのよ? 力を持っている人から借りるのは悪いことじゃないし、それほどの人に信頼されるくらいの人間になれたってのは、君の力だから」 安心させるようにほほえみ、リナの口が動く。 「封呪」 一言、告げる。瞬間、牧野少年の額に光が集まり、弾けて消えた。 後に残った少年の額には、十字型のアザが残っていた。 「……ん?」 ゆっくりと目を開いた牧野は、目の前にしゃがむ少女を見つめた。 「ええと、あの、すみません。どちら様、ですか?」 目をぱちくりとさせる牧野に対し、リナは、そっとほほえんだ。 「うん、大丈夫。たぶん、もう会わないだろうから。 でも、もしまた会ったら、その時は仲良くしてね?」 言って、少年の頭を軽くなでると、リナはくるりと向きを変えて歩き出した。 牧野少年はコンクリートが砕けた地面にへたり込みながら、その後姿を、じっと見守っていた。 |