シルヴィアが浴場から戻ると、先に帰っていたリナはイスに座り、何事かを考えていた。
「どうしたんですの、リナ。あなたが考え事なんて珍しい」
 付き合うように、シルヴィアもイスに座る。
 リナはちらりとシルヴィアを見て、
「珍しいって、しっつれーね。あたしもたまには悩める美少女になるのよ」
「自分でたまにって言ってどうするんですの?」
 う、と声を詰まらせ、リナは頬を染めた。
「それで、どうしたんですの?」
「んー。あの、ラルスって人のこと考えてた」
「『様』をつけないと面倒になりますわよ。それに……」
 シルヴィアはずい、とリナに顔を寄せた。
「恋でもしたんですの?」
「恋? 違うよ」
 言い、リナは、らしくないため息をついた。
「あの人、学園最強って言ってたよね?」
「ええ。教員を含めてもエースクラスはごく少数。彼はそのエースクラスの中で、特に優秀な力を持っていますわ」
 学園に所属する人間の能力は、下はジャックから、上はエースまで、四段階に分けて管理している。
 リナはジャック。シルヴィアはクイーン。リンダやティノはキングで、メイやラルスはさらにその上、エースである。
 もっとも、教員の持つ能力と、生徒の持つ能力は、厳密に分けると少し異なる。簡単に言えば、生徒とは『異常能力者を封じる力を持つ者』のことであり、教員はそれ以外の能力者、ということになる。
「ってことは、けっこー前から学園にいるんでしょ?」
「それはそうですわね。能力を使わずにレベルアップはできませんもの。たしか、わたくしが学園に入った頃には、もういたはずですわ」
「そう、なんだよね。そういう人の言うことなんだから、何か意味があるのかなーって、思ってさ」
 リナが背もたれに体を預けると、きしりとイスがきしんだ。
「あの、『能力は多用すべきじゃない』っていう?」
「そう、それ。だってさ、能力って使わなきゃ強くなれないじゃない。で、強くないと、異常能力者と戦う時にだって苦労したりする」
 リナはレベルが低いため、戦いのたびに苦労を重ねている。異常能力者は出現してすぐに誰かが向かうため、戦闘経験はない相手が多い。そのため、レベルの低いリナでも対応できるのだが、レベルが高ければもっと楽ができる。任務の成功率も、格段にアップするだろう。
「なのに、あの人はなんで使っちゃいけないって言ったのかなって」
「あまり気にしないほうがいいですわよ。特に、あの人の言うことは」
 深刻そうな表情のリナに対し、シルヴィアはどこか気楽そうに言った。その様子に、リナは、なんで、と目線で問いかける。
「ラルス様と言えば、かなり有名な嘘つきですわ。冗談じょうだんだよって、あなたも聞いたでしょう?」
「あー、そいえばそんなこと言ってたね」
「あれが彼の口癖。いつも言っているらしいですわ。だから、あまり気にしても、損するだけですわよ?」
「……嘘が癖、か」
 つぶやき、続けた。
「それって、なーんか悲しくない?」
「悲しいかどうかは、わたくしたちが決めることではありませんわ。ただ、わたくしはそういうのは嫌ですわね」
 リナとシルヴィアの視線が重なる。ふたりは、どちらからともなく、笑っていた。
「やっぱ、あたしはシルヴィアが好きだわ」
「女性にモテてもあまり嬉しくありませんわね?」
 んー、と背伸びし、リナは宣言するように言った。
「よーし、考えるのやめた! 今日はもう寝る! おやすみ!」
「単純ですわね」
 やれやれとばかりに、シルヴィアも立ち上がる。リナはすでにベッドの上に寝転んでいた。
「――ありがとね、シルヴィア」
「お礼を言われるほどのことをした覚えはありませんわ」
 パチリと電気が消える。暗くなった部屋で、リナはじっと天井を見つめていた。

 数日後。予想外に早く任務を終えたリナは、ふとした思いつきから、学園の東に向かって歩いていた。
 学園は通常の空間とは異なる場所にある。言ってしまえば、平たい皿の上のような場所で、北西部に寮や発電施設、ゲートなどの主だった施設が集中している。
 南部には森が広がり、生徒の立ち入りは許されていない。
 そして、東部。皿の端に近い場所には、湖があった。デートスポットとしてよく使われる場所だが、彼氏のいないリナは、あまり立ち寄ることはない。
 が、今日ばかりは事情が違った。
「ここ、だあ」
 小高い丘の上に、その湖はあった。
 反対側の岸はかすむほどの、巨大な湖。水は綺麗で、湖底まで見えた。まだ時間が早いせいか、人影はない。
 リナはきょろきょろと周囲を見渡しながら、湖のまわりを歩き始めた。目的の相手は、ほどなくして見つかった。
 釣り糸を湖にたらしている。その背中に向かい、リナは声をかけた。
「ラールス!」
 声に反応し、ラルスはちらりと後ろを振り返った。少し驚いたように目を見開き、けれど、すぐに興味を失ったように釣りに専念する。
「こないだの子、だね。オレに何か用?」
「んー、ちょっと聞きたいことがあって」
「誰かにつけられてない?」
「……? なんで?」
「オレに対しては不干渉ふかんしょう条約があるんだ。勝手にオレに話しかけたりすると、後で殺されるかもよ?」
 ラルスはごく自然な風だった。言っていることは、かなり変な話なのだが、本人はそれを当然といった感じに受け止めている。
「それはそれってことで。それより、この間の話について聞かせてよ」
「ええと、なんだっけ。ってか、その前に名乗ろうよ」
 忘れてた、とばかりにリナは頭をかいた。
「あたしはリナ。リナ=ミサキ」
「ラルス=グランフェルト。で、この間の話、だったね。って、この間って何の話したっけ?」
 本当に覚えていないらしく、ラルスは小さく首をかしげた。
「だー、もう! 能力を使うなって話よ!」
「ああ、そんなこともあったっけ? あれ、冗談じょうだんってことで」
 返事する前に、リナはガッとラルスの頭をつかんだ。
「もーちょっと真面目に答えましょうね?」
「オレはいつでも大真面目だよ」
 はあ、と頭を抱え、リナはラルスの隣に座った。
「ねえ、なんか意味があったんでしょ、あれ」
「……どうしてそんなに気にするのかな? オレが嘘つきって、誰かに聞いたろ?」
 リナは首を縦に振り、
「でも、なんとなーく、あの話をした時だけは、マジだった気がしたから」
「そ。そいつは残念」
 湖には、ラルスとリナしかいないように見えた。他の誰の気配もない。
 ラルスは視線を動かさずにそれを確認し、口を開いた。
「そうだなぁ、君は真面目っぽいから、話してあげよう。この学園はね、生徒のことなんか道具くらいにしか思っていない。そういうところなんだよ。そんな学園の思惑に従ったって、面白くないだろ?」
「どういう、ことよ?」
「それはね――」
「君が知る必要のある事柄ではないな」
 ラルスの言葉は、途中でさえぎられた。
「あー、立ち聞きですか? 悪趣味ですよ」
 ふたりの背後。ついさっきまでは気配などなかったが、今はそこに、オールバックの黒い男が立っていた。黒スーツに黒ネクタイ、黒いシャツ。身にまとう全てが黒い。
「ラルス、任務だ。行くぞ」
「あー、はいはい。わかりましたよ」
 ひゅっと手を動かし、釣り糸をさおに巻きつける。立ち上がり、ラルスはひらひらと手を振った。
「じゃあね、リナちゃん。オレにあんまし関わらないほーが身のためだよ」
 相変わらず他人の話は聞かず、ラルスは黒スーツの男と共にその場を去った。
 リナは仕方なく、足を寮に向ける。と、ピリリリリ、と機会音が聞こえた。
 ポケットに手を入れると、ケータイのランプが光っていた。任務が入った証拠だ。
「急務、か。ちょーどいいかも」
 もやもやした気分をぶつけるべく、リナはゲートルームに向かってけ出した。