ホールに戻り、階段を上る。二階も左右に通路が広がっているが、左手の奥の扉は、小さく開いていた。
 アイザードは油断なく剣を手にしながら、その扉に向かって歩く。開いた小さな隙間から、こっそりと中を覗いた。
 人影はない。だが、確かに誰かがいるような気配がしていた。敵意や殺意は感じられない、どちらかと言えば、疲れたような空気が漂っていた。
 アイザードは一度だけ深呼吸すると、思い切り扉を開いた。
 剣を構えながら中に飛び込む。素早く左右に視線を巡らせると、壁際に、人の姿を見つけた。
「あん? あんたは――?」
 両手をロープで縛られ、それは天井へと続いている。服は着ておらず、その女は、全裸で転がされていた。
 女は、にごった目をアイザードに向けた。本来なら整った、美しい顔立ちだったのだろう。だが、今は生気が感じられなかった。まるで、死んでいるような目が、じっとアイザードを見つめ返している。
「まさか、あんたが生贄の女か?」
 アイザードが聞くと、女は小さく口を動かし、かすれた声を出した。
「……誰、あなた」
「オレか? オレはアイザード・フレイワー。あんたを助けに来た者だ」
「助けに――?」
 頷き、アイザードは女を縛っていたロープを斬った。
 拘束を解かれた女は、しかし体を隠そうともしなかった。
「おい。何があったんだ?」
 アイザードはマントを女にかけてやった。それでも、女は何も反応しない。
 重ねて聞くと、女はようやく反応を示した。ゆっくりと首を横に振り、
「言いたくない。思い出したくもない」
「そう、か」
 何があったのか。アイザードとて、ある程度の予想はついている。だからこそ、深く問うことはしなかった。
 そして。同時にそれは、絶対なる矛盾を示すものでもあった。
「やっぱりか。あんた、名前は?」
「……レモン」
「んじゃあ、レモン。あんたをここに連れ込んだヤロウは、どこに行きやがった?」
「わからない。けど、この屋敷の中にはいない。たぶん、どこかに食料を探しに行ったんだと思う」
「わかった、ありがとうな。悪いがレモン、オレはそいつをぶっ殺すまで帰れない。もう少し待っていてくれないか? ここが嫌なら、船で待っていてもいい」
 アイザードは提案してみたが、レモンは首を横に振るだけだった。
 小さくため息をつくと、アイザードはレモンを残し、部屋を出た。
 アイザードが階段のところまで戻ると、丁度、扉が開く音が聞こえた。
 急いで階段を駆け下りると、扉のところに、ひとりの男が立っていた。
 薄暗いホールに、扉から夕陽が差し込んでいる。その陽を背にした男は、顔はよく見えない。だが、手に魚らしきものと、釣竿らしきものを持っているのが見えた。
「誰だ、あんたは」
 男は聞く。対するアイザードは、軽く肩をすくめてみせた。
「見りゃわかるだろ? 敵だよ、敵」
「ま、そりゃそうだろうな。聞くだけ愚問だったか」
 男は釣竿と魚を放り投げ、肩幅に足を開いて構えた。
「おいおい、魔族さんよ。こんなところでやったらこの屋敷、ぶっ壊れるぞ。あんただってそんなのは望んでいないだろ? 外に出ようぜ」
「敵の提案を素直に受け入れると思ってるのかよ」
「魔族なら、人間の提案ごときにビビる必要もねーだろ?」
 男はしばらく黙っていたが、やがてくるりと背中を向けると、屋敷を出て行った。
 アイザードは軽く息を吐き、その後に続く。

 男は、屋敷の前でアイザードを待っていた。すでに陽はほとんど沈んでいるが、残された光が、男の顔を照らしていた。
 頬に傷。その目は、殺しに飢えているようにも見える。酒場のマスターから聞いた通りの特徴を持つ男。間違いはなかった。
「あんたが三年前からここに住んでいるっていう、魔族か」
「その通りだよ、人間」
 その言葉に、くすりと。アイザードは、小さく笑った。
「何が、おかしいってんだ?」
 男は眉をひそめる。アイザードは隙なく剣を構えながら、答えた。
「いや、お前があまりにも滑稽こっけいでな。つい、笑っちまったよ。すまねえ」
「どこがおかしいって言うんだ?」
 その台詞に、アイザードはますます笑いを大きくする。
「あんた、馬鹿か無知のどっちかだな。知ってるか? 魔族の体ってのは男女で差がないんだよ」
 つまり。剣で男を指し、アイザードは告げた。
「魔族は、人間の女を犯せない。それができるあんたは、魔族じゃないってことだ」
 アイザードの告げた事実に、男はしばらく黙り込んだ。ほうけたようにアイザードを見つめ、ただ呆然と立ち尽くす。
「剣を使わずに不思議な力を使ったもんだから、この町の人間は騙されたみたいだけどな。それも、剣をどこかに隠しながら使えば問題ない。服の下、とかな。そうやって町の連中を騙し、女を好きなようにする。まったく、見下げ果てたヤロウだな」
 どうだ、とばかりに見つめる。男はアイザードを見つめ返し、表情を変えた。
「すごいな。ああ、すごいすごいすごい! 魔族について、そこまで知っている人間には初めて会った!」
 両手を広げ、天をあおぐ。残光の中、その姿は狂気に満ちていた。
「面白い、面白いぞオマエ! 今まで魔族なんざに好き勝手させられないってやって来た連中はいくらでもいた! だが、あんたは違う! 理論的に、それが魔族ではありえないと判断した!」
 ぐっと拳を握り、男は喜悦と狂気に彩られた瞳で、アイザードをにらんだ。
「あんたのような人間がいると、迷惑だ。死んでくれ」
「意見が合うな。オレも、あんたみたいな奴には死んで欲しいって思っていたところだよ」
 一瞬の静寂。そして、ふたりは飛び出す。
 アイザードが振るう剣を軽々とかわし、男は拳で返す。アイザードもかわすと、男はさらに踏み込んで拳を振るう。
 アイザードがかわす度、男は踏み込んで攻撃を続けてくる。攻めの一本槍ながら、苛烈なその動きは、捉えがたい。
「やるな、あんた」
「そいつは嫌味か?」
 防戦一方ながら、アイザードは強気なままだった。
 ぐっと剣を握る。刃に刻まれた独特のルーンが輝きを増していく。
「あんたぁ強いから、ちょっと強めに放つぜ。一撃なんかで死ぬなよ」
 宣言し、アイザードはルーンの力を解き放った。
 光が一瞬だけ収束し、次の瞬間、弾ける。アイザードの握る剣を中心に、爆発が起きた。
 舞い上がる煙の中から、男とアイザード、ふたりともが飛び出す。
「そういや、まだ名乗っていなかったな。アイザード・フレイワーだ」
 ひゅっと剣を振り、アイザードは名乗る。対する男は、すり傷だらけではあったが、致命的な傷はひとつも見当たらなかった。
「騎士の身分は捨てたんだけどな?」
「そう言うなよ、殺す相手の名前くらい知りてーじゃんか」
「強気だな」
 いいだろう。男は胸を張り、その名を口にした。
「アウル。アウル・ホロブレードだ。これで満足か、アイなんたら」
「アイザードだよ、バカ」
「そりゃ悪かったな、アイザード。お詫びに、今度はこっちの力を見せてやるぜぇ?」
 身構えるアイザードと対照的に、アウルは無防備にすら見えた。すっと屈むと、その手を、地面につける。
「こいつが、魔族様のお力だ」
 腕が、地面に落ちた影の中に沈む。アウルが体を起こした時、その手には剣が握られていた。
「影からアイテムを取り出す能力、か。クレストのルーンだな」
「正解。それ以上は教えてやれないぜ」
「安心しろ、こっちも聞くつもりはねーから」
 アイザードは思い切り走り出す。
 アウルは剣を構え、しかし動かない。
「遠慮はなしだ」
 アウルは小さくもらした。飛びかかるアイザード、その真下から。
「――ッ!?」
 槍が飛び出した。
 空中で、アイザードは強引に体をひねる。槍はアイザードをかすめ、再び影の中に沈んでいった。
「それで逃げたつもりか?」
 地面を転がるアイザードの下から、さらに剣やナイフが飛び出す。慌てて飛びのけば、飛びのいた先で斧が出てくる。
 何度か避け続けるが、とうとう逃げ切れず、足をナイフが貫いた。
「残念だったな、アイザード。おれの能力は、ただ影から武器を出す、それだけの能力じゃない。動かない影からなら、どこからでも出せるんだ」
 そこは、森の中の小さなスペース。残光によって作られた木々の影は、どこにでもあった。その全てを回避するなど、空を飛ぶしかない。
「こいつは、おれが今まで殺してきた人間の得物だ。コレクションとも言えるか? それぞれのルーンは使えないけどな、これだけの影から武器を引き出せるなら、問題は何もない」
「やるなあ、あんた。なるほど、こんな能力があるなら、何人に襲われたって関係ねえや」
 流れた血をぺろりと舐め取る。重症を負いながら、アイザードは恐れもひるみもしていなかった。
「アウル。あんたは強い、間違いない。だから、オレもちょっとばかり本気で行くぜ」
「ぬかせよ、オマエがいくら頑張ろうと、その状態から抜け出す方法はないんだからよぉ!」
 飛び出すアウル。アイザードは剣を振りかぶると、それを一気に振り下ろした。途端、爆音がとどろいた。
 樹木が吹き飛び、地面がえぐられる。アイザードの足を貫く刃が、欠片も残さぬほどに砕け散った。
 そして、軽く跳ねる。アイザードの体が、ふわりと浮いた。
「あんたが影から武器を出すなら、オレは空を飛ぶしかねーよなぁ?」
 アウルを見下ろし、アイザードは剣を振るう。爆風が、アウルの足を地面に繋ぎ止める。
「ただ、空から攻撃ってのは卑怯っぽくて、オレは好きじゃないんだけどな」
 突風の中で動きを止められたアウルは、地にひざをつけた。
「飛行、爆発。オマエの能力は、何なんだ? どう見ても一種類じゃないな」
「さあな。そいつはあんたの頭で考えろよ」
「面倒だ。そんなものを知らなくても、力押しで戦えばいい」
 剣を放り投げ、影の中に腕を入れる。
 引き出した剣は、両刃の片手剣。柄も刀身も、何もかもが黒い剣。刃に刻まれたルーンだけが、血のように赤い光を放っていた。
「こいつがおれの切り札だ。安心しろ、欠片も残したりしないからよ」