森の中、ひとりの少女が歩いていた。手にはカゴ、腰には小さめのナイフ。ショートヘアを揺らしながら、少女は森の奥地を目指していた。
「あら?」
 その足が、ふと止まった。少女の視線は、木々の合間に倒れるひとりの少年に注がれている。
 まだ仕事も任せられないほどの年頃だろう。背中には不釣合いなほど大きな斧を負っている。伸び放題の黒髪と全身の傷跡が印象的だった。斧に潰されているようにも見えるが――。
「君、大丈夫?」
 少女は少年に近寄り、肩を叩いた。すると、少年はもぞもぞと動き出した。
「う……」
 ゆっくりと体を起こし、少年は顔を上げた。
「どうしたの? ケガとか?」
 少女は少年の体を見つめる。傷だらけではあるが、どれも古いものばかりだ。どこかに大きなケガをしている様子はない。
「は、腹が……」
「腹が?」
「腹が、減った……」
 そこまで言って、少年は力尽きた。
「え? ちょ、君ー!? そんなのってアリなの!?」
 少女の呼び声もむなしく、少年は力なく倒れていた。

「姉ちゃん、ごめんよ。いつもはメシを持って歩いているんだけど、この間、落としちまって。狩りをしようにも、この森には動物の影もないしー」
「いいのよ、別に。助け合いは大事だしね」
 少年の隣で、少女は小さく笑った。
 少年は手についた飯粒を舐め取りつつ、思い出したように名乗った。
「そだ、オイラの名前はウィル。ウィル・ヴァイスティア」
「あたしはローズ・リーマー。この近くの町に住んでいるんだけど、君は、もしかして旅人?」
「おう! 旅人だぞ」
 旅人は珍しくないが、子供の旅人というのはあまりない。まして、彼ほどに幼い旅人というのは、常識外ですらあった。
「大変、なんだねえ」
「旅するって楽しいもんだ。オイラが見たことのないような景色とか、食べたことのないうまいもんとか、色々とあるもんな。姉ちゃんの握り飯もうまかったぞ!」
「ありがと」
 くすりと笑い、ローズはウィルの持つ大きな斧に目をやった。
「それにしても大きな武器だね。重くないの?」
「オイラは平気だけど、普通に持ったら重いと思うぞ」
 ためしに、とローズは斧の柄を掴んだ。そして、全身の力で持ち上げようとする。
「んー! こ、これ、本当に重いね……?」
 全力で挑戦したにも関わらず、斧はぴくりとも動かなかった。ウィルは、この小さな体躯にどれだけの力を秘めているというのだろう。
 諦めたローズは、再びウィルの隣に腰を下ろす。
「こんなに重いの、よく持ち運べるね」
「おう、オイラも騎士だからな。バーサクナイトって言うんだ」
「バーサク……? 聞いたことがないけど」
「そーなのか?」
 目をパチパチとさせる。ウィルにとっての常識が通じなかったことが、意外だったらしい。
 ふとローズは空を見上げ、立ち上がった。
「それじゃあ、私はもう行くね」
「どこに行くんだ?」
「ん? この森の奥にね、薬草があるの。最近は薬草も減ってきてるからね、奥地まで探しに行かなきゃいけないんだ」
「ひとりで大丈夫なのか?」
 ぽん、とウィルの頭に手を乗せ、ローズは言った。
「あたしだってウィル君みたいな子供に心配されるほどじゃないよ」
「姉ちゃん、失礼だ。オイラも一人前じゃないけど、自分以外を守るくらいはできるぞ!」
 そうだ、とばかりに、ウィルは平手を打った。
「姉ちゃん。オイラ、姉ちゃんの薬草探しを手伝うよ。オイラ、姉ちゃんに助けてもらった。助けてもらったら、その分はお返ししなきゃいけないって、じいちゃも言ってたしな!」
「え? でも、ウィル君の目的は?」
「旅の目的とかより、姉ちゃんにお返しする方がずっと大事だ」
 ウィルが言うと、ローズはくすっと笑って頷いた。
「うん、ありがとう。それじゃ、ちょっと手伝ってくれる? 魔獣とかはいないだろうけど、あたし、力仕事は苦手だし」
「おう! オイラに任せとけ!」
 どん、と自分の胸を叩くウィルを、少女はやさしく見つめていた。

 ウィルとローズは、森をどんどんと奥に向かっていく。木漏れ日に照らされた道は、優しげで、どこか神秘的だった。
「こっちにあるの?」
「ああ、その薬草っての、かなり強いニオイがしてる。間違いない」
「うん、アケイロトビクサって言ってね。花が開くとすごく強いニオイがするの。でも、本当に匂う?」
 くんくんと匂いを探すが、ローズには感じ取れなかった。
 ウィルはその様子をちらりと見つめ、答えた。
「オイラ、目とか鼻はすっげーいいんだ。これだけ強いニオイなら、めちゃくちゃ離れていてもわかる。間違えようがない」
 ローズとて、森の奥地に入ったことはあまりない。薬草の生えている場所もわからないので、ウィルの進むままに任せることにした。
 なおもしばらく、森を進む。鳥の鳴き声や虫が奏でる音色を除けば、物音はない。
「――水のニオイが混じってる」
「ホント? 綺麗な水の近くに生える草なんだけど」
「うん、もうちょっとだ。姉ちゃん、大丈夫か?」
「大丈夫よ。あたしだって、体力には自信があるんだから」
 胸を張るローズにニカッと笑いかけると、ウィルはさらに奥に進んだ。
 大きな根を越えると、開けた場所に出た。
「おお! 水だ!」
「本当だ。こんなところに川なんてあったのねー」
 それは、綺麗な水が流れる川だった。おそらくは森の中を通っていくのだろう。
「こっちだ」
「うん、もうあたしにもわかるよ」
 開けた場所に出てようやく、花が撒き散らす独特の匂いが感じ取れるようになった。
 ふたりは匂いを辿り、川の上流に向かう。
 その途中で、ウィルはいきなり足を止めた。
「ウィル君? どうかしたの?」
「姉ちゃん、動いちゃダメだ」
 ウィルは視線を前方に送ったまま、背中の斧に手をかけた。
「ここに何の用だ、人間たち」
 川沿いの茂みから声が飛ぶ。続いて、声を発した本人が現われた。
「え? ま、魔獣!?」
 茶褐色の毛並み。見た目には熊のようだが、耳の形や尾の形が、熊とは少し違っているように見える。
「違う、な。お前たちの言葉だと『幻獣』だ。もっとも、我らはその名を好まぬがな」
「って、喋った!?」
 ローズの言葉に少しばかり気分を悪くしたらしく、熊は表情を険しくした。
「失礼だな、人間。言葉を理解するのは何もお前たちや魔族の特権ではないだろうが。それより……」
 熊は目つきを鋭くし、
「ここに何の用だと聞いている。ここは私の縄張りだ。場合によっては、好き勝手などさせんぞ」
「この先にある薬草が欲しいだけだ。お前に危害を加えるつもりはないぞ」
「薬草、だと? あの花のことか?」
 熊は低く構え、うなり出した。
「それはできん。あれは私の主食だ。近頃は数も少ない、人間に渡すほどの余裕などない」
「けど、こっちもそれがないと困るんだ。少しでもいい、分けてくんないか?」
「できんと、言っている」
 斧を手に、ウィルも歯をむき出しにした。
「ダメだよ、ウィル君」
 ローズは今にも戦いを始めかねないウィルの前に飛び出した。
「あの、あたしたちにも生活があるんです。どうにかなりませんか?」
「それは私とて同じだ。人間のために私が苦労するいわれはない」
「いいんだ、ローズ姉ちゃん。話してわかんないなら、争うしかない。縄張り争いだ。オイラが戦うから、姉ちゃんは下がっていて」
 ウィルは熊をにらむ。熊も同じようにウィルをにらんだ。
「――熊公。オイラの名前は、ウィル・ヴァイスティアだ」
「それがどうした?」
「オイラは騎士だ。一人前とは言えないけど、ルーンを使える騎士なんだ。騎士の戦いは名乗るのが礼儀だ。だから名乗る。オイラの名前はウィル。あんたの名前は、何なんだ?」
「貴様のようなガキに名乗る名前はない」
「そうか。残念だな」
 ウィルが手にする斧に、幾何学的な文字が浮かび上がる。同時、ウィルの体に同じ文字が浮かび上がった。
「これが、オイラのルーンだ。オイラの、能力だ!」
 ぐっと握り、ウィルは駆け出す。
 かなりの重量があるはずの斧を、まるで重さを感じさせない動きで、ウィルは飛び跳ねる。そのまま回転を加え、一気に振り下ろす。
 熊とて受け切れないと判断したのか、後ろに小さく跳んだ。
 地面に落下する。衝撃で地面が砕け、小石が散らばった。
「ぬう!」
 意外なまでの威力に驚きつつ、熊は全身の毛を逆立たせた。
「ぬん!」
 全身に気合を走らせる。逆立った毛が、まるで弾丸のように発射された。
「この程度でオイラを倒せるもんか!」
 ウィルは斧を構え、あおぐようにして針のような毛を弾く。キン、と高い音が連続的に走り抜けた。
「甘いぞ、ガキ」
「――ッ!?」
 弾かれた毛が、ぐねぐねと動く。かと思いきや、それらは小さな熊の形になった。
「な、何だこりゃ!?」
「分身体だ。これだけの数に包囲され、逃げられるかな? 取り押さえろ!」
 小熊たちが一斉に襲いかかる。四方八方。逃げ場のないウィルは、足を、腕を、熊に押さえられてしまった。
 ぐっと、全身に力をこめる。けれど、ぴくりとも動かない。
「ウィル君!」
 思わず、ローズの手が剣に伸びる。それを横目に見ながら、ウィルは叫んだ。
「ダメだ! 姉ちゃん!」
 ピタリ、と動きが止まる。そこに、まくしたてるように叫んだ。
「これはオイラと熊公の、正々堂々とした戦いだ! 騎士の戦いには誰かが横槍を入れちゃいけない! こいつの相手は、オイラがするんだ!」
「でも、そんな状態で何ができるのよ!?」
「何もできなくたって、邪魔しちゃダメなんだってば!」
 ふたりのやり取りに耐えられなくなったように、熊は笑い出した。
「はは、ははははは! なんとも馬鹿で、まっすぐなガキだな! まさにいっぱしの騎士気取りか!」
「気取りじゃない! 騎士なんだ!」
 熊はウィルをにらみ、言った。
「いいだろう、ウィル。貴様を騎士と認めてやる。礼儀だったな、私も名乗ろう。私の名前はビアードだ。さあ、騎士を名乗るのであれば、その状況を打開してみろ!」
「言われなくても、するよ!」
 不敵な笑みを浮かべ、ウィルはビアードをにらみつけた。