グレイスとサイモンは、並んで市場を歩いていた。さすがに港町というだけのことはあり、左右に並ぶ商店には珍しい商品が並んでいる。それに、威勢の良さも格段といったところだ。
 本来なら楽しげに歩ける場所であるはずなのに、グレイスの表情は優れない。その原因は、真横にいた。
「おい、サイモン」
「何かね」
 グレイスはサイモンをにらむようにして見上げ、
「どこまで付いて来るんだよ。もう町に着いただろうが、どこへなりと消えろ」
「女の子にしては口が悪いね。改めるべきだ」
「そういう話はしていないだろ!」
 なかば、本気で怒りをあらわにしながら、グレイスはサイモンの胸ぐらをつかむ。
「オレはたしかに女だ。けど、バカにされるほど弱くもない。これでも旅人だぜ? 自分の身くらい自分で守れる。大きなお世話なんだよ」
「……そうだな。さすがの君も、神聖都市で騒ぎを起こすほどでもないだろうし」
「どういう意味だよ」
 知らないのか、という目つきで、サイモンは見返す。
「神聖都市ラブフランジェの神聖騎士団と言えば、近隣諸国にも名の知れ渡った有名な騎士の集まりじゃないか。ここで騒ぎを起こせば、連中がすっ飛んでくる。さすがの君も、騎士団を相手にするつもりはないんだろう?」
「オレだってここの騎士団が強いってくらいは知ってるよ。だいたいな、オレはそもそも、騒ぎを起こすのが趣味ってわけじゃないんだよ。オレが思うままに行動したら、勝手に騒ぎが起きただけなんだ」
「それを、騒ぎを起こしたと呼ぶんじゃないかな?」
「言わない。ん?」
 グレイスの視線が、屋台のひとつに止まる。何やら香ばしいにおいが漂っていた。
「おっちゃん、これって何?」
 屋台の主らしい男性に、グレイスは話しかけた。白い布を頭に巻いた男性は、営業スマイルで答える。
「おう、こいつは神聖都市名物、豚鳥の串焼きだ。食べて行くかい?」
「そうだな、くれ」
 銅貨を手渡すと、代わりに三本ばかりが入った袋をひとつ受け取る。中から串を取り出し、グレイスはかぶりついた。
「んー、美味いな、これ! タレが染みていて、肉も不思議にまろやか。これだよこれ、やっぱ町に来たらこういうのを食べたいよな!」
「……、君は何のために旅をしているんだ?」
 呆れた物言いに振り返れば、そこには両手を腰に当てたサイモンの姿。
「あ、お前の存在を忘れてた」
「失敬だね」
「冗談だよ。で、どうして旅ぃしてるか、だったな。どうしていきなり、そんなことを聞くんだよ?」
「いや。僕は僕なりに目的を持って旅をしている。でも、君を見ているとそういう目的らしきものがまるで見えないからね」
「一応、あるよ。目的ってのは」
 早くも二本目の串に手を伸ばしつつ、グレイスは言う。
「オレさ、早くに父親も母親も亡くしてんだよ。で、じいさんに育てられたんだけどよ。その人がまた、厳しい人でさぁ。女の子だってのに、毎日毎日、木刀で訓練するんだぜ? しかも、遠慮なく」
「それはまた、厳格そうな方だね。その割には、君は自由な雰囲気だが」
「そうかな? んでさ、そのじいさんが寿命で死ぬ前に、言ったんだよ。『色々な人と出会って、世界を見渡して来い!』って」
 グレイスの脳裏に、始まりの日が浮かぶ。

 老人は、一晩に渡って苦しんでいた。医者は手を尽くし、グレイスも手伝える限りを手伝ったが、命の期限までは延ばすことができなかった。
 朝日が目に染みる頃合、それまで苦しんでいた老人は、ふっと楽な顔になった。そして、おだやかな口調で言った。
『いいかい、グレイス。私が死んだら、この村を出て、外の世界に行くんだ。色々な人と出会い、別れ、様々な経験を積むんだ。
 苦しいことも、辛いこともある。それでも耐えて、前に進むんだ。お前にはそれだけの力と才能がある。
 世界を見渡して、育ってくるんだ。十分だと思ったら、ここに戻ってきなさい。いいね? グレイス』
 語り終えたところで、老人は目をつむった。
 それが、老人の最期の言葉だった。
 医者が手を取り、首を横に振る。その時、グレイスは泣かなかった。ある程度は予想できていたから、という理由もある。だが、それ以上に、泣いている暇はなかった。
『なあ、先生。旅の道具って、どこで揃えられるんだ』
 医者は葬儀を手伝い、グレイスに旅に必要な道具と、基礎的な知識を与えてくれた。必要最低限の知識と道具を揃えたグレイスは、すぐさま旅に出る。
 そして、月日は流れ――現在に至る。

「だからさ、こうやって楽しんだりするのも、目的のひとつなんだよ。あれだ、ケンバンを広めるってヤツ」
「見聞だな。なるほど、なかなか良い人に育てられたようだね」
 うんうんと頷くサイモンを、グレイスは見上げる。
「お前は? お前も目的があるって言ってたよな?」
「うん? まあね」
「何だよ、オレにばっか語らせといて、お前は言わないのかよ? せっかくなんだ、聞かせてくれよ。お前の旅の理由ってヤツ」
 ねだると、サイモンはゴホンと咳払いし、口を開いた。
「僕の家は、君と比べるとごく普通の、まあ幸せな家庭だった。両親がいて、さしたる不自由もなかった。それが、三年くらい前かな? 近くに魔獣が出てね。僕の両親も討伐に出たんだが……」
 そこで、サイモンは表情を曇らせる。
「戦死したよ。運が悪かったらしいね」
「そいつは――」
 微妙に湿っぽい空気になるのを嫌ったのか、サイモンはさらに言葉を続ける。
「両親が亡くなった後、僕は遺品の整理をした。そして、父の部屋で見つけたんだ。遺書を」
「遺書ぉ? だって、討伐で死んだのは運が悪かったからだろ? なんでそんなものがあるんだよ」
「ああ、死んだのは偶然さ。だから、いつ死んでもいいようにと書き残しておいたものらしい。実際、書いたのは死ぬよりも一年くらい前だったみたいだ」
 少しだけ痛んだ紙片に並ぶ、見慣れた父の字。性格をそのまま表したような四角四面な文字を、彼は読みふけった。
「そこに、書いてあったんだ。父さんが見つけられなかった人を、僕に探して欲しいって」
「オヤジさんが、見つけられなかった? それって、いくつの人だよ」
 見たところ、サイモンの年齢はグレイスとさほど変わらない。その父が探していた人なのだから、若くはないかもしれない。
 対するサイモンの回答は、いたって簡単。
「年齢は知らない。僕が知っているのは特徴と性別だけさ」
「ふうん? そんなんで見つけられるのか?」
 聞くと、サイモンは苦々しくも笑った。
「正直、僕も難しいとは思っている。けれど、それで諦めるわけにもいかない。両親の末期の願いだ。叶えたい」
「はーん。真面目だねぇ。ま、じいさんの遺言に従っているオレが言えたギリじゃないだろうけどよ」
「悪いことではないと思うよ。遺志を継ぐ者がいる限り、その人は死なないんだ」
「それは、なんとなくわかる気がするな。オレでも」
 串焼きの入っていた袋を握りつぶしながら、グレイスは言う。
「人間、死んだらそいつは終わる。でも、終わらせないようにするってことはできる。死んだヤツの守りたかったものとか、残したかったものとか、そういうのを守ったり残したりするのは、生きているヤツの義務みたいなもんなんだよな」
 グレイスは、いきなり静かになった隣を見上げた。
「どうしたんだよ、サイモン。いきなり黙り込んで」
「――いや。正直、驚いているんだ。君がそんな考え方をするとは思っていなかったからね」
「似合わねーか?」
「似合わないかもしれないが、僕はそういうものが好きだね」
「だろ?」
 グレイスは、嬉しそうに笑みをこぼした。
 ふたりが和やかな空気をたずさえて歩いていると、
「んだこらぁ!」
 野太い声が市場に響いた。道を歩む人々の視線が一点に集まる。
 グレイスたちもそちらを見やれば、そこには無駄に体の大きい男たちが、誰かを囲んでいるのが見えた。
 男たちの方は、服装を見る限りでは旅人らしい。人数は五人ほどだろうか。その誰もが、まるで空気を入れたみたいに大きな体をしている。
「おい、クソガキ。ちょいとツラぁ貸せや」
「ツラ貸すって、どういうことだ?」
「こっちに来いつってんだよ!」
「おう、わかった」
 男たちの声に混じり、幼い声が聞こえる。目をこらすと、ガラの悪い男たちの中心にいるのは、まだ幼い少年だった。遠目で見ても傷だらけなのがわかる。
「子供、だな」
「そう見えるな」
 グレイスとサイモンは顔を見合わせる。まだ出会って間もない、しかも無表情のふたりだったが、意志の疎通にはそれだけで十分だった。
「どうせ、騒ぎを起こすつもりなんだろう?」
 聞くと、グレイスはビシッとサイモンを指差す。
「言っておくけどな。これはオレが起こしたわけじゃないからな?」
 ふっと笑い、サイモンは肩をすくめた。
「まあ、いい。加勢しよう、僕も、ああいう外道は見過ごせない」
「お前も止めたって来るんだよな。仕方ねぇ、その、神聖騎士団ってのが来る前にカタをつけるぜ」
「当然だ」
 裏通りに向かう男たちの背中を追いかけるように、グレイスたちも走り出した。