町と町を繋ぐ街道沿いに、一軒の宿屋がある。旅人相手の商売をしている宿で、建物は三階建て。二階より上は客室で、一階は食堂と酒場と商店を兼ねたような、雑然とした場所だった。
 町と町の間隔が遠いこの街道では、馬車を使わない旅人は皆がここで休む。すなわち、それだけ繁盛している場所ということだ。
 そんな宿の、食事スペース。いくつか並んだテーブルのひとつに、ひとりの剣士が座っていた。
 幼いと呼ばれる年頃は抜け、けれどまだ十分に若い顔立ち。短めの黒髪に、鋭い目つきをしていた。
 剣士は、ひとりで旅をしているようだった。もっとも、孤独な旅人は決して珍しくない。だいたい、旅をするような人間は、そんなタイプが多い。その剣士も、他と変わらない、ごく普通の旅人に見えた。
 剣士は料理が運ばれてくる時を、今かとばかりに待ちかねていた。すでに携帯食料だけの食事が五日以上も続いており、久しぶりの満たされそうな食事を前に、剣士は少しいらだっているようだった。殺気立っている、とすら言える。
「動くんじゃねえ!」
 男の騒ぎ声に、剣士は眉をひそめて顔を上げた。
 宿の入り口あたりで、男が騒いでいた。顔や体は傷だらけで、目つきは鋭いと言うよりも悪い。典型的な、柄の悪いチンピラのような男だった。
「いいか、動くんじゃねえぞ! この宿の周囲はルーンで囲んだ! 俺様がこのルーンを発動させれば、一発でドカンよ!」
 不思議な紋様が刻まれたナイフを手に、チンピラは宿の中にいる全員に聞こえるように騒ぎ立てる。
「動かなきゃ、あんたらには何もしねえ。おい、オヤジ!」
 店主に刃を向け、
「オヤジ、金を出せ! ケチるんじゃねえぞ、痛い目を見たくなかったらな!」
 店長が慌てて金の入った袋を取りに行くのと同時、客のひとりが席を立った。
「おい、お前。そんな真似をしてただで済むと思っているのか?」
「あん?」
 立ち上がったのは、屈強でいかにも強そうな男。白い鎧に、長い剣を背負っていた。
「動くなって言ったろうが。死にてえのか?」
「ふん、こけおどしは無駄だ。お前のような人間が、自爆などするものか。私の剣のサビにしてくれる」
 白鎧の男は、背中の剣に手をかけた。それをにらみ、チンピラは聞く。
「あんた、名前は?」
「私か。私は、ラブフランジェ騎士団の……」
 白鎧の男が名乗りきる前に、チンピラの手は閃いていた。
 刹那の早業。しっかりと見ていても見落としそうなほどの速度で、チンピラは白鎧のこめかみを叩いていた。
 よろめく男に、チンピラはさらに蹴りを叩き込む。テーブルがひっくり返り、男は床の上に転がった。そのまま、ぴくりとも動かない。どうやら、気絶したらしい。何人かの客が、小さな悲鳴をあげた。
「けッ、聞かれて素直に答えるのはバカだぜ。騎士の誇りなんてもんじゃメシは食えねえよ」
 白鎧を見下ろしたチンピラは店内を見回す。けれど、再び反抗しようとする者はいなかった。
 この場にいるのは、いずれも旅人。同じく剣を扱う者でも、旅ができるほどの技量を持った者ばかりだ。
 だからこそ、わかる。この乱入者が、強いということを。
 先ほどの白鎧とて、決して弱くはなかった。けれど、チンピラの攻撃を防ぐこともできなかった。それほどの力量差がこのふたりにある。
 旅人たちからすれば、何も言わなければ損はしない。けれど、戦えば確実にダメージを受け、下手をすれば殺される。そこまでの危険を冒そうと考える者は、普通の旅人にはいない。
「あんた」
 そう、普通はいないはずだった。
 声を出した剣士に、チンピラはイライラした視線を向ける。
「なんだ? お前も床を転がりたいのか?」
「いや。そんなつもりはないっての」
 言いながらも、剣士は立ち上がった。
 チンピラは油断なくナイフを構えながら、
「だったらおとなしく座ってろよ」
「あんたがいるとさ、オレのメシができないんだ」
「……あ?」
 チンピラの視線に、鋭さが増す。
「オレは腹が減ってるんだよ。ここんとこ、ろくなもんを食ってない。だから、イライラしているんだ」
「そうかい。そりゃこっちも同じだぜ」
「だったら――」
 刹那の後、剣士とチンピラの間で火花が散った。
「さっさと出て行けよ」
「嫌だね」
 剣士が鞘から引き抜いた両刃の剣と、チンピラが手に握るナイフが、ギリギリと力を拮抗させていた。
 チンピラは口の端を持ち上げ、
「『ミスティック盗賊団』のクルートだ」
 チンピラは、剣士をにらみながら言った。
「オレには名乗るのかよ?」
「自分よりも強い相手には名乗る。それが盗賊の礼儀だぜ」
 一瞬。ほんの一瞬の攻防だけで、クルートには剣士の力量がわかっていた。最初からナイフを握っていたクルートと、変わらぬ速度で抜剣できる剣士。それは、明らかに格上の力を持っていた。
 少なくても、剣の腕だけは。
「そうかい。名乗られたら名乗り返すのが騎士の礼儀だからな、オレも答えてやるよ」
 剣とナイフが離れる。同時、ふたりも互いに距離を置いた。
「オレの名前は、グレイス・フェイリアーだ。しっかりと覚えておけよ!」
 間合いを詰めようと屈んだグレイスより早く、クルートは動いていた。
 横に、弾けるように跳ぶ。素早く扉を蹴破ると、クルートは外から叫んだ。
「グレイスって、あんた、女だったのか!」
「大きなお世話だよ!」
 グレイスも、叫び返しながら外に出た。クルートは、すでに離れていた。
「今日は逃げさせてもらうぜ。次回を楽しみにしてろよ!」
 さっさと逃げていったクルートに、グレイスはため息をもらした。
「なんだよ、アイツ。逃げていったくせに、すっげー偉そう」
 剣を鞘に戻し、グレイスは店内に入った。
 その途端、店中の視線がグレイスに集まる。グレイスが目を点にしていると、近くに座っていた男の旅人が話しかけてきた。
「姉ちゃん、強いな! 騎士団の騎士をぶっ倒した相手だぜ!」
「それを言うんだったら、あの騎士が情けねえんだよ。ラブフランジェ騎士団も人不足だな!」
「バーカ、知らねえのか? ミスティック盗賊団って言えば、ここいらを縄張りにしている凄腕じゃねえか。クルートってのは、たしか副頭領の名前だぜ!」
「へえ、ってことは姉ちゃんは盗賊団とケンカすることになっちまったのか!」
「おいおい、盗賊団をまるまる相手にするって、そりゃいくらなんでもヤバイんじゃねえか!?」
 口々に勝手な話をする中、グレイスは自分の席に戻った。
 と、そこに料理を手に持った店員の女性が寄ってくる。
「ありがとねえ、助けてくれて」
「別にいいよ。オレはメシが食いたかっただけなんだから」
「あいよ、こいつがウチの料理さ!」
 グレイスの前にほかほかと湯気が立ち上る料理の皿が置かれると、ついさっきまで厳しかったその顔が、ふわりとほころんだ。こうして見れば、少し男性的なだけの女性に見えなくもない。
「いやあ、待ってました!」
「それと、こっちはお礼さ」
 さらに、別の料理が盛った皿が置かれる。ここの近くで採れる山菜を使った、名物料理だった。
「いいのか?」
「いいんだよ。あんたがいてくれなかったら、被害はこんなのじゃまかなえないくらいだからねえ」
 エプロンをした中年女性が答えると、グレイスは嬉しそうな笑顔を浮かべ、料理にフォークをつき立てた。
 店員もその姿をほほえましい表情で見ていたが、ふっと、表情が曇った。
「でもねえ、あんた、あの連中に目をつけられちまったんじゃないかい?」
「ん? ああ、あの何とか盗賊団っての」
「ミスティック盗賊団、だよ」
 店員は顔を近づけ、言う。
「いいかい? あの連中は、本当に強いってウワサさ。あんたがどんなルーンナイトなのか知らないけど、気をつけないといけないよ。
 特に、首領のミスティアってのは、まだ若い女だけど、盗賊団の誰よりも強いって有名だからね」
「ふうん……」
 グレイスの興味なさそうな雰囲気に、店員はあきれたような視線を向けた。
「ふうん、って、怖いとか思わないのかい?」
「別に。向かってくるなら、ぶっ倒すってだけだし。相手が強くても、弱くても」
「強かったら、殺されちまうかもしれないだろ?」
 グレイスは山菜の刺さったフォークを片手に、ハッキリと言った。
「関係ないよ。相手が強いって言っても、オレより強いかってのは、実際に戦わなきゃわからないし。見えない相手を不安に思うより、とりあえずこの料理を楽しみたいね」
 おいしい、などと小さくもらしながら、グレイスは食事を続ける。
 その様を見ていた店員は、笑い出した。
 その笑いは、店中に広がっていく。誰しもが、グレイスの強気にあきれ、小気味いいほどサッパリとした気持ちを味わっていた。
「いいねえ、姉ちゃん! あんたならミスティックが相手でも負けなさそうだよ!」
「おう、たいしたもんだ! その年でそこまで割り切れねえぜ!」
「ははは、こんだけの奴は男にもいないぜ!」
 眉をひそめ、グレイスは返す。
「おいおい。オレはこれでも女だぜ? 失礼だろ、そういうの」
 その言葉が、さらに笑いを引き出した。
 グレイスはその様子を不機嫌そうに眺め、けれども、フォークを動かす速度だけは決して落ちないのであった。