「あー、幸せってこういうことだよなぁ……」 心地よい満腹感に身を任せ、大きめのベッドに体を寝かせるグレイス。その顔には、まさに満面の笑みが浮かんでいた。 サービスの料理もあったおかげで、予想以上の満足感である。その姿は隙だらけで、本当に騎士なのかと問いかけたくなるところがあった。 完全に気を抜いた状態で倒れていると、コンコン、と部屋の扉が叩かれた。控えめなノックだった。 途端、グレイスは全身に緊張を走らせ、素早く剣を手にする。柄に手をかけつつ、聞いた。 「はいよ、誰だ? こんな時間に」 警戒するのも無理はない。孤独な旅を続けるグレイスの部屋を訪れる者など、普通はいるわけがない。まして、もう時間は遅い。他人の部屋を訪れるような時間とも思えなかった。 全身に緊張をみなぎらせるグレイスの耳に届いたのは、予想に反した声だった。 「あの、わたし、ティナと申します! グレイスさんに、お願いしたいことがあって参りました。お部屋に入れてもらえませんか?」 それは、どう聞いても少女の声だった。甲高く、か細く、触れれば折れてしまいそうな儚さがにじんでいる。 その声に、グレイスは眉をひそめた。気を抜かなかったのは、それだけ旅の経験があるからだろう。 「ティナ……? オレの知り合いにティナって子はいないけどな?」 「はい、あの、さっきの盗賊さんとのケンカを見ていたんです、わたし。それで、グレイスさんほどの腕がある人に、お願いしたいって思ったんです」 「ふうん?」 少し考え、グレイスは決意したように頷いた。 「わかった、ちょっと離れて待っててくれるか」 「あ、はい」 とたとた、という小さな足音が少しばかり離れるのを確認し、グレイスは用心しながら鍵を外した。そして、再び扉から距離を置く。 「どうぞ」 キイ、と音を立てて古びた扉が開く。姿を見せたのは、まだ剣も持てないほどの年齢に見える少女だった。実際、何か武器を持っているようには見えない。色素の薄い髪をリングで束ね、腰の下まで流していた。 「君が、ティナ?」 「はい、あの――?」 グレイスが剣に手をかけていることに、少し怯えているらしい。少女は不安げな瞳でグレイスを見上げていた。 「あ、ああ、ごめんな」 グレイスは剣から手を離すと、廊下に誰もいないことを確認し、扉を閉めた。 「旅人なんてやってるとさ、無駄にうたぐり深くなっちまうんだ。怖がらせちゃったよな? ごめんごめん」 ティナの頭にぽんと手を置き、グレイスは安心させるような笑みを浮かべた。 「それで、オレに用事、ってかお願いだったよな。それって何だ?」 「はい、少し長くなってしまうんですけど、いいですか?」 「ああ、いいよ。ゆっくりと話しな」 グレイスは女の子をベッドに座らせ、自身もその隣に座った。 何から話すべきか迷っているようだったが、ようやく自分の中で整理ができたのか、ティナは語りだした。 「わたしの住んでいる村は、この街道から外れたところにあるんです。小さな村で、旅人も訪れないようなところです」 「へえ?」 この近くにある町と言えば、これから向かう予定の港町くらいだと思っていたグレイスは、素直に興味を示した。 「そこで、実はお母さんが倒れてしまったんです。お薬が欲しいんですけど、特別な病気らしくって、お薬も特別な薬草がないと作れないらしいんです」 「それをオレに取ってきて欲しい、ってところかな?」 はい、とティナは頷いた。 「でも、父親とか兄貴とかはいないのか?」 「お父さんもお兄ちゃんも、外に出払ってしまっているんです。お父さんたちだけじゃなくて、村の若い男の人は全員。残っているのは女の人とかおじいちゃんばかりで。みんな、すぐには帰って来れなくて、それで、わたしが代わりに取りに行きたかったんですけど、わたしにはそんな力がなくて……」 そこまで語ったティナの肩に、グレイスは手を置いた。 「事情はだいたい理解できたよ。その薬のある場所はわかってるのか?」 「はい。それは知っているんです。山中にある、花畑の洞窟にあるんです」 「花畑の洞窟?」 「はい。赤い花が洞窟の入り口に咲き乱れているんで、わたしたちは花畑の洞窟って呼んでいるんです」 ふうん、と鼻を鳴らし、グレイスは頷いた。 「よっし、じゃあ、さっそく明日にでも向かうか! 案内を頼むよ、ティナ」 「はい!」 元気の良い返事に、グレイスは満足そうな笑みを浮かべた。 ティナの村は、街道から外れてしばらく歩いた山中にあった。 深い木々が急に開けたかと思うと、まるで隠れ住むかのような小さな村が見えた。十軒ちょっとの家々はどれもが木で作られている。村の真ん中には畑も見えたが、今は特に何も育てていないようだった。 「ここが、わたしの村です。わたしの家は向こうにあります」 ティナに手を引かれるようにして、グレイスも村の中に足を踏み入れた。 人の姿はどこにも見えない。どこか、寂しげな空気が漂っていた。 「ティナ、この村ってずっとこんな感じなのか?」 「はい。男の人たちがいなくなってからはずっと……。家の中にこもってばかりなんです」 小さな村は、さして歩く必要もなくティナの家に辿り着いた。他の家と同じく、木を組み上げて作った、簡素な家だ。ティナに導かれるまま、グレイスは中に入る。 「ただいまー!」 入ったところは土間。奥には板張りの部屋があり、布団が敷いてあった。布団の上には青白い顔をした女性が、その脇には白髪の老人が控えている。 女性は眠っているようだった。けれど、とても心地よい眠りに落ちているようには見えない。見ただけでも具合がかなり悪いということがわかって、グレイスの心は少しだけ痛んだ。 「ティナか。どこに行っていたんだ、心配した――?」 顔を上げ、グレイスの姿を目にした途端、老人の目が大きく見開かれた。わなわなと震える。グレイスが心の底で、ヤバイな、と思った瞬間、老人の声が爆発した。 「貴様、誰だ! ティナから離れろ!」 激昂し、立ち上がる老人。怒られる理由が思いつかないグレイスは、驚きつつもなだめようとした。 「おいおい、勘違いしないでくれよ? オレはこの子に頼まれてだな、」 「ええい、うるさい! そうか、貴様がティナをさらったんだな!」 グレイスの言葉など、まったく耳を貸す様子はない。拳を握り、老人は今にも殴りかかってきそうな勢いだった。あまりの勢いで、完全な濡れ衣まで着せられている。 そんな老人を止めるべく、ティナは慌ててグレイスの前に立った。 「待って、おじいちゃん! わたしが呼んだの! お母さんのお薬を取ってきれもらうために!」 「ルミナの薬を?」 お母さんの、という言葉に反応し、老人の勢いが止まる。 ティナは大きく頷き、畳みかけるように続けた。 「そう。あそこには、わたしもおじいちゃんも行けないでしょ? だからお願いしたの! なのに、失礼なことはしないで!」 「むう、しかしだな、ティナ。村の掟は知っているだろう? あれは何の理由もなく存在するわけではないんだぞ? きちんと、この村を守るためのものなんだ」 「それも、わかってる。でも、そうしなきゃお母さんは――」 声を詰まらせ、ティナはうつむく。それを横で眺め、グレイスは老人に言い放った。 「なあ、爺さん。よそ者を嫌がるのはわかるけどさ、オレはこの村に何もしない。言いふらすなって言うなら、誰にも言わない。別に報酬とかが欲しいわけでもないんだ。こんな子供に、ここまで無茶させるなんての、やりたくないだけなんだよ」 グレイスの言葉に、老人はうなり、渋々といった体で座りなおした。 「……私は、何も見ておらん。何も知らん。子供が何かをしたかもしれんが、私は知らん。それで、いいか?」 「オレは、文句ないぜ」 ふう、と息を吐き、グレイスはティナに問いかけた。 「あんまり、のんびりもしていられないみたいだな。今から花畑の洞窟ってところ、案内してくれないか?」 「はい。あの、すみません」 グレイスは、目を丸くした。 「どうして謝るんだよ? ティナは何も悪いことなんてしてないだろ?」 「でも、わたしのせいで、グレイスさんが嫌な思いをしちゃいましたし、それに、迷惑をかけてばっかりだし……」 ティナはうつむき、今にも泣きそうだった。グレイスは苦笑を浮かべ、言う。 「気にするなって。オレが好きでやってるんだからさ、別に迷惑でもなんでもないんだって。ほらほら、泣いている暇があったら、さっさとお母さんを助けてやろうぜ!」 明るく言うグレイスを見上げ、ティナはゴシゴシと涙をぬぐった。 「ありがとう、グレイスさん。わたし、とっても嬉しいです」 子供らしい、純粋な笑顔。見ているだけで微笑んでしまうような、無垢な笑みをティナは浮かべていた。 「グレイス、でいいよ。さ、行こう」 ティナを引き連れ、グレイスは家の外に出る。老人は、その後姿を複雑な目で見つめ続けていた。 「似ている、な。あのお方に」 老人の小さな呟きは、誰の耳にも届いていない。 |