「ここです」 村を出て、しばらく。ティナが案内した場所は、見た目にはただの森の中だった。だが、少し先に明るい場所が見て取れる。おそらくは、その先に例の“花畑の洞窟”とやらがあるのだろう。 「わかった、じゃ、ここで待って……いても危ないか。一緒に行くか?」 ひとりにする方が危険と考えての言葉だったが、ティナは首を横に振った。 「大丈夫です。森の中の方が安全なくらいで」 そこまで言い、ティナは声をひそめた。 「あの洞窟、魔獣の巣になっているみたいなんです」 魔獣は、要するに凶暴な獣だ。知力は低いものの力は一級品で、人間がルーンの力を借りてようやく使えるような不思議な術を、彼らは何の苦もなく使用できる。旅人の中には、魔獣の餌食になった人も少なくない。 ただ、魔獣そのものは群れを作らず、数もそれほど多くない。また、襲ってくるのも縄張りを荒らされた時くらいだ。そのため、危険性はそれほど高いものではない。こうして外で待ち、縄張りに入らないようにすれば、襲ってくる可能性は低い。 「なるほどな。それなら、洞窟の外の方がむしろ安全だ」 頷き、グレイスは告げた。 向こうから襲うことは少ないと言っても、巣の中に入れば危険に決まっている。 グレイスはティナを安心させるように胸を叩き、 「じゃ、オレが取ってくるよ。ティナは先に村に帰っていろ。あの爺さん、心配するだろうしな」 「おじいちゃんはいつもあんな感じですから、気にしなくても大丈夫ですよ?」 「いいって。爺さんってのは、孫が心配になるもんだよ。ほらほら」 なかば強引に、グレイスはティナの背中を押す。しばらく迷っていたが、ようやく決心がついたのか、ティナは頷いて答えた。 「わかりました。それじゃあ、お願いします。 ――あの、グレイス」 「ん?」 ティナはその丸い瞳を、心なしかうるませて、じっとグレイスを見上げる。その姿は、同性であるグレイスにもグッと迫るものがあった。 「無理は、しないで下さい。死んでしまったら、意味もありません。赤の他人のために、そこまでする理由なんてないんですから」 きょとん、とティナを見返していたグレイスだったが、やがて優しげな笑みを浮かべ、その頭にポンと手を置いた。 「心配するなって。オレ、これでも割と強いからさ。ティナの兄さんとかより強いかもしれないぜ?」 その言葉も、盗賊団の幹部をあっさりと退けた実力を考えれば、あながち冗談とも言いがたいものがある。実際、グレイスは以前に魔獣と会ったことがあるが、こうして無事に旅を続けられている。 「それに、赤の他人なんて言うなよ。旅ってのは人に助け、助けられるもんだ。今回はたまたま、オレが助ける側になっただけ。次の機会にゃ、ティナが困っている人を助けてあげればいいんだよ」 「でも、それじゃグレイスが……」 「オレは、その分を他の誰かに助けてもらうよ」 軽い口調で言って、快活に笑う。ティナはそんなグレイスを見て、小さく弱々しい笑みを浮かべた。 天然の洞窟というものは、当然、人が入ることを前提にした建物とはわけが違う。足元は悪いし、明かりはないし、空気もよどんでいる。 つまりは、結論として。 「あー、くそ、早く出たいなぁ……」 歩きやすいわけなどない。 ティナに貰った光を放つ花を手に、グレイスは道なき道を進む。凶暴な獣の巣なのだからここまで気を抜くのは危険なのだが、グレイスは剣と花を手に、特に気にしている風でもなく歩く。むしろ、気にするほどの余裕がないだけかもしれないが。 壁はつるつるとしたコケが生え、ところどころに鋭い岩が転がっている。手をつく場所を間違えれば、文字通り痛い目に遭いそうだ。 「ティナの話だと、もうちょっとのはずなんだけどな?」 言いながらもさらに進む。今のところ、魔獣の影はない。どころか、動くものは何一つ存在しなかった。 道は一本道で、脇道のようなものは何もない。グレイスが通るにはギリギリの道幅で、隠れるような場所も見当たらなかった。 特に注意をすることもなく、何かが現われることもなく。とうとうグレイスは最奥に到着してしまった。 「これ、か?」 そこは、人が寝転がれるほどのスペースが空いた場所だった。天井部分は存在せず、外からの光が小さなスペースを照らしている。 その中心には、泉があった。手の平サイズの、泉と呼ぶにはあまりに貧相な代物。そして、泉の水だけを頼りに、必死で咲き誇る花が咲いていた。 グレイスはしゃがみ込むと、その花をじっくりと見つめた。 見た目には、そこらに咲いている名前もない花と大差ない。どこにでもありそうな青紫色の花だ。一箇所だけ違う点があるとするなら、それは花ではなく葉。本来なら光を集めるための存在は、むしろ自らぼんやりと光を放っているように見えた。 「間違いなさそうだな」 ひとつ頷き、グレイスは花を摘む。それを腰の鞄に丁寧に入れると、剣を持ち直し、振り返った。 「よし、帰るか!」 今度は、今まで歩いてきた道を折り返す。その足取りは軽い。これで依頼の半分以上は終わったようなものだ。 「つっても、まだ魔獣がどっかにいるんだろうけどな」 呟き、さらに進む。洞窟の中にいないことは一本道だったのだから間違いなさそうだが、いつ帰ってくるとも知れない。こんなに狭い道では、逃げようもない。 洞窟の外に出る直前まで来て、グレイスの顔に緊張が走った。ティナから貰った花は鞄に入れて、剣を両手で握り直す。 「お出まし、かな?」 何か、根拠があったわけではなかった。言うなれば、それはただの勘。時に危険な旅を続ける身であるからこそ、おかしな部分など何もない光景に、微細な緊張を感じ取れていた。 猫のように体勢を低くし、ぐっと四肢に力を込めて、グレイスは一挙に飛び出した。 「しッ!」 空気を吐き出しながら、同時に飛んできた何かを弾く。そこで初めて、グレイスは敵の姿を目で捉えた。 洞窟の上。花畑を見下ろす位置に、黒い影が見える。 それは、巨大な亀だった。人よりも大きな体を持つ、二本足の亀。普通の亀とは違い、甲羅が腹までも覆っていた。 魔獣。目には見えざる力を持った獣が、グレイスを見下ろしていた。 「はッ、陸ガメかぁ? ったく、なんでこんな山ん中に亀がいやがるんだよ?」 魔獣は言葉を解さない。巨大亀もグレイスの言葉には答えず、大きな声で吼えた。ビリビリと、空気が震える。 「ッ痛! でけー声を出すんじゃねーよ! うるせえだろ!」 叫ぶグレイスは意に介さず、亀は息を吸うと、何かを吐き出した。グレイスはそれを、剣で弾く。 「何かを飛ばしている……? いや、どっちかって言うと、空気の塊みたいだな」 口元に軽い笑みを浮かべると、グレイスは飛び出した。 亀は連続的に空気弾を放ってきた。グレイスは、それを勘と予測だけで弾き、斬り、突き進む。 「当たるかよッ!」 見ることはできない、空気の塊が花を散らし、地面をえぐる。目の端でグレイスはそれを捉えた。直撃したら、骨のひとつやふたつは覚悟しなければならないだろう。 花畑を、グレイスは転げるようにしてかわしていった。距離を詰めたいところだが、亀の放つ空気の弾丸は数が多く、弾きかわすので精一杯だ。 「ちッ、面倒だな、オイ」 亀をにらむ。途端、攻撃がやって来る。遠くからでも攻撃できる亀に対し、剣しか武器のないグレイスは、圧倒的に不利だった。 「こりゃ、無理にでも詰めるしかねーってわけだけどよ?」 理論を口にしながら、同時に、それは無理だろうとも考える。実際、決め手は見当たらない。 持久戦を覚悟し、グレイスはひたすらに剣を振るう。汗が飛び、花びらが舞う。 その時は、グレイスの体力が尽きかけた時に訪れた。 亀の攻撃が、刹那、止む。荒々しく息を吐き、グレイスをにらむ亀。その隙を、グレイスは決して見逃さなかった。 「っしゃあ! 今度はこっちの攻撃だぜぇ!」 叫びながら、グレイスは崖を駆け上った。幸い、直角には程遠い。全力で走れば登れる程度だ。 亀は慌てて息を吸い、攻撃を放つ。けれど、狙いは甘かった。 飛んできた空気弾を跳ねてかわすと、グレイスは両手で剣を握り締めた。 狙うは甲羅の隙間、鎧のない、防御力の低い部分。姿勢を低くし、かと思いきや、全力で飛び跳ねる。一息に亀の肩にまで飛び上がり、 「でりゃあ!」 全身の力を込めて、剣を突き刺した。 血が、花となる。 赤い血が咲き誇るように、地面や木々に飛び散った。 剣は亀の首、決して広くはない甲羅の隙間を、まるで縫うように入り込んでいた。 「――?」 返り血を浴びる中、グレイスは僅かに眉をひそめた。 一方の亀はそれどころではない。強引に肩口のグレイスを弾くと、そのまま何事かを叫びながらどこかに駆け去ってしまった。 取り残されたグレイスは刃についた血を眺め、 「あいつ、もしかしたら……? でも、そんなこと、あるか?」 かすかな可能性に、思いを馳せていた。 それは、彼女からすれば、理由がわからない問題だった。旅に出て幾度の季節を経験してきたグレイスでも、そんな光景は見たことがない。 また、そういう存在がありえるとしても、半端な行動の説明ができない。 「わっかんねー。ありえないだろ、それ? 人間に懐くわけがないもんな。仮に懐いたって、オレを襲わせといて、退かせる理由がないし」 剣を鞘に収め、グレイスは亀の立ち去った方向に目を向ける。その姿は、もう見ることはできない。疑問を解決することも、できやしない。 ひとり、グレイスは呟いた。 「あいつ、誰の命令で動いたんだよ?」 答える者など、いるはずもない。 |