村まで戻ると、村は相変わらず葬式のように人の気配がなかった。その中を、グレイスは目指す家までまっすぐに歩いていく。
 家の前まで辿り着いたグレイスは、ふと思いつき、裏手に回った。裏口などという気の利いたものは見当たらない。仕方なく、壁に耳をつけてみた。
 くぐもっているものの、話し声は、なんとか聞き取れた。壁板が薄いせいだろう。
『ティナ、まさかタイルズまで動かしたのか?』
『だって、そうしないと本当って信じてもらえないかもしれないから……』
『そこまでしなくてもよかったと思うぞ。見たところ、あの人間はさして頭が良いようには見えない』
『ううん、そんなことはないよ。あの人、そんなに頭が良いってわけでもないけど、すごく勘が良さそうに見えるの。もしかしたら、小さなことで気づかれちゃうかもしれないでしょ? 秘密だけは、守らなきゃ』
「……正解だ、ティナ」
 小さく呟く。この短い会話だけで、グレイスの仮説は証明されていた。
 グレイスは鞄の中から、頼まれていた花を取り出す。淡い花を見つめるグレイスの瞳は、揺れていた。
 しばらく、そのまま立ち尽くしていたグレイスは、やがて覚悟を決めたように頷くと、表に回った。
 コンコン、と扉を叩く。すぐさま、扉が開いた。
「はい! あ、グレイス!」
「よ。ちゃんと取ってきたぜ?」
 頼まれていた花を突き出すと、ティナの顔がパッと輝いた。
「これ!? おじいちゃん!」
 パタパタと家の中に入っていったティナの後を追うように、グレイスも中に入る。
 ティナから花を受け取ると、老人も頬を緩ませた。
「おお、これだ。これで、助かる――」
 ふと、老人は顔を上げた。その視線が、グレイスとかち合う。
「……世話に、なったな」
「気にするなよ。オレだって、暇な旅の身だ。助け合いは日常だぜ?」
 言って、グレイスは背中を向けた。
「じゃーな。オレは帰るぜ」
「あ! ちょっと待って!?」
 ティナの声を背中に受けながら、グレイスは止まらない。スタスタと、歩いていく。
「グレイスー! 待って!」
 村の外れまで来たところで、ティナが追いついてきた。荒い息を吐きながら、グレイスを見上げる。
「ま、待って下さい、グレイス。どうしたん、ですか。急に、慌てて?」
「慌てちゃいないよ。ただ、オレがこの村に長々と滞在するってまずいだろ?」
 ティナの表情がわずかに硬くなる。グレイスは、淡々と続けた。
「最初におかしいって思ったのは、あの亀の動きだ。オレに攻撃する隙を与えたり、あれだけ甲羅で守っておきながら防御は何もしなかったり。こう、魔獣の戦い方にしちゃ、変なんだよ」
 ティナは何も答えない。服のすそを握り、じっと地面を見つめていた。
「よくよく考えたら、他にもおかしなところはあった。その極限が、あの洞窟だな。ありゃどう見ても生き物の巣じゃない。それに、あの亀じゃ入れないぜ、あの洞窟は。オレだってギリギリだったんだからな」
 洞窟には、生き物が住んでいるような気配は何もなかった。コケは生えているし、尖った岩もそのまま放置されていた。
「結論を言えば、あの亀はそこに住む魔獣なんかじゃない。他の誰かの命令で動いていたってことだ。けど、それはそれでおかしいだろ? 魔獣は他人の命令なんて聞くほどの知性がないからな。
 となりゃ、その矛盾を解決するには、ひとつしかない」
 言葉を切り、強調するように、グレイスは告げた。
「つまり、あいつは幻獣。それを操っていたのは、お前だろ、ティナ?」
 ピクリと、ティナの肩が震えた。
 幻獣。魔獣と似ているが、魔獣とは異なり、高い知性を持つ。それは時に人間を越えるとも言われ、彼らと交流を持つことができるのは、特別な才能を持つ人間だけだ。
「でも、薬を取りに行けって言ったお前が、わざわざオレの邪魔をする理由がない。だから、迷っていたんだよ。それで本当に正しいのかって。それで、思い出したんだよな」
 すっと、目を細める。記憶の中の光景を、正しく見るように。
「お前の爺さん。剣を持ってなかったよな。母親もだ」
 ティナは、答えなかった。それが遠回しに、肯定していた。
「騎士にとって刃は誇りだ。何があっても手放したりはしない。病気だろうとな。それで、もしかしたらって思ったんだよ」
 じっと、ティナを見つめる。すでにティナは小刻みに震え、今にも折れそうなほどに、傷ついているように見えた。
 それでも。グレイスは、言葉を止めない。
「あの爺さんや母親、いや、もしかするとこの村そのものが……」「はい。その通りです」
 グレイスの言葉を遮るようにして、ティナは言った。顔を上げる。目元には涙が浮かんでいたが、口はきゅっと引き締められ、強い意思を感じ取れた。
「この村は、魔族の村です」
 はっきりと、ティナは言った。
 人とほとんど変わらぬ生き物、魔族。違う点はただひとつ。彼らは、ルーンを使わずとも不思議な力を行使できるという、それだけ。彼らはまるで魔獣のように、あっさりと不可思議な現象を引き起こす力を持つ。
 けれど。違うことは、ただそれだけだった。見た目も体も、心も。何ひとつとして、人と違う点はなかった。
「あの幻獣も、村の守護者です。村中の男の人がいなくなる代わりにと、魔王様から与えられたものです」
「魔王様、ね」
「はい。魔族は、魔王様に逆らえません。魔王様が男を必要とすると仰いました、だから私たちは、それに協力するしかありませんでした」
 語るティナの声は、痛々しかった。グレイスが、思わず眉をひそめるほどに。
「でも! お母さんが倒れちゃって、お薬が必要ってわかって! その時には、遅かったんです!」
「どうしてだよ? あの洞窟まで行けるんだ、ティナでも花を手に入れられたはずだろ?」
「無理なんです」
 けれど、ティナは首を横に振った。
「洞窟の前に咲いていた花、覚えていますか?」
 唐突に、ティナはそんなことを聞いてきた。グレイスはさっと思い返し、
「あの、赤い花のことか」
 洞窟の前は、血のように赤い花が咲き誇っていた。その光景は、怪しげな魅力があった。
 ティナは頷き、
「あの花は、魔族には毒なんです。花粉だけで、弱い魔族は体を壊します。花畑を歩けば、私やおじいちゃんでは耐えられません」
「それで、オレを呼んだってわけか」
「……はい」
 魔族を救う花は、魔族の侵入を拒むような場所に咲いている。それは、とても皮肉な事実に思えた。
「でも、私たちが魔族だって知られるわけにはいかなかったんです。村の掟でした。私たちは人間と相容れない、だから、住み分けなきゃいけないって。人間に、魔族が住んでいると知られてはならないって」
 それは、苦渋の決断だったのだろう。
 バレるわけにはいかない。けれど、危険を犯さなければ母が死んでしまう。嫌な条件ばかりの中で、ティナの出した結論が、人間に協力を申し出ることだった。
「でも、もうオレはお前たちが魔族だって知っちまった。どうする気なんだ、ティナ? オレを、殺すのか?」
 聞くと、ティナはぶんぶんと首を横に振った。
「私には、グレイスは殺せません。戦っても負けるに決まっています。それに、それ以上に! 私は、グレイスを、殺したくない! 困っていた私たちを、何の見返りも求めずに助けてくれたグレイスを、どうして殺せるんですかッ!」
 涙が、雫となってこぼれ落ちる。ぽとりと、地面に染みを作る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、グレイス。けど、私、どうしたらいいの!?」
 震え、泣き叫ぶティナ。その様子を眺めていたグレイスは、ふう、とため息をつき、両手を肩に置いた。
 ビクリ、と震えるティナの目を、グレイスは正面から見据える。
「ティナ。心配しなくて大丈夫だ。オレは、誰にも何も言わない。言う理由もないし、な」
 柔らかく、安心させるように微笑む。その笑みは、言動などからすると考えられないほどに、女性的だった。
「なあ、ティナ。オレはさ、魔族と人間が相容れないなんて思っていない。だって、オレとティナはきちんと言葉をかわして、通じ合えただろ? 人間だとか、魔族だとか、そういうのは関係ないんだ。オレは、そう思ってる」
 でも。少し、表情を引き締める。
「お前たちが嫌だって言うなら、無理に人間と関係を持てなんて言わないさ。人間だって、魔族ってだけで毛嫌いする奴もいるからな。今はまだ、人間と魔族は仲良くってわけにはいかない」
「今は、って、ことは?」
「ああ。いつかは、一緒になれるさ。オレは、そう信じたいね」
 言って、グレイスはニカッと笑った。その笑みは綺麗で明るくて。その笑みは、思わずティナに笑いを誘うような、そんな笑いだった。
「ほら。お前は、笑っている方が似合ってるぜ?」
「あり、がとう。ありがとう、グレイス」
 ぐしぐしと目をこすり、ティナは懸命に笑った。痛々しさの欠けた、心の底からの笑みだった。
「なーに、気にするなって。オレが好きでやったんだからよ」
 立ち上がり、グレイスは村に背中を向ける。もう、この村に用はなかった。
「じゃーな、ティナ。元気に暮らせよ?」
 その背中を見据え、ティナは大きく、ちぎれそうなほどに手を振った。
「バイバイ、グレイス! いつかきっと、またこの村に来てね!」
「おう。その時は、メシでもおごってくれや」
 振り返ることなく、剣士は道を行く。
 決して広くはないその背中は、やけに大きかった。