深夜。まさに草木も眠る頃合に、グレイスたちは鉄格子の前に集まっていた。
「こんなもので、本当にできるのか?」
 サイモンの手には、木製のスプーンがあった。夕食の時間に配られたものだ。サイモンはそれを、疑わしげな眼差しで眺めていた。
 ミスティアはサイモンからスプーンを取り上げると、歯で傷をつけ始めた。
「アタイを信用しなって。脱獄に関しちゃ、アタイはプロなんだから」
 歯で刻まれたのは、不思議な紋様。炎を意味するルーンだった。
「アタイは、エレメントに関しては天才クラスだからね。どこであろうと、ルーンさえ刻めれば、大なり小なり力は発揮できるのさ」
 ルーンを刻んだスプーンを四つ、手に握り締める。そして、グレイスたちの顔を見つめた。
「準備はいいかい?」
「オレはできてるぜ」
「僕もだ」
「オイラも!」
「結構な答えだぜぇ!」
 四つのスプーンに力を込めて、ミスティアはそれを牢屋の鍵部分に叩きつけた。
「燃えろッ!」
 生まれたのは、本当に小さな炎。けれどそれは見た目に反し、壮絶な威力を内に秘めていたらしい。
 鉄が赤く染まる。やがてそれは、ぐにゃりとひしゃげた。
「よし!」
 扉を蹴飛ばすと、軽く力を入れただけで、それは開いた。
「ここからは静かに頼むぜ、せめてナイフを取り戻すまではな」
 四人はこっそりと牢屋を出ると、宿直室に向かった。囚人や拘束を受けた人たちに武器は、そこに集まっている。
「見張りだな」
 ゆっくりと近づいて行くと、明かりの漏れる部屋が見えた。その前で、暇そうな顔で座っている騎士の姿が見える。暗いせいだろうか、こちらの存在にはまだ気がついていないようだ。
「オレに任せろ」
 グレイスは先に出た。騎士がグレイスの影に気がついた瞬間、
「遅いぜ」
 手刀が騎士の首を打つ。ゆっくりと崩れ落ちるその体を、グレイスは受け止めた。
「ワリィな。ついでに、剣を借りるぜ」
 腰の剣まで奪うと、グレイスはその体を壁に寄りかからせた。
 手で合図をすると、サイモンたちも物陰から出てくる。宿直室の入り口に四人で張り付くと、こっそりと中を窺った。
 中には三人ばかりの騎士が、それぞれに交代までの時間を過ごしている。眠っている者がいないのは、真面目な証と言ったところだろうか。
「四人でかかれば、三人くらいなら倒せるか?」
「相手は騎士団員だぜ。そんなに弱いか?」
「あいつらは下っ端だ、たぶん大丈夫だろ」
 それぞれに言葉を小さく交え、頷き合う。そして、一挙に中に突入した。
 騎士団員の反応は、決しても悪いものではなかった。侵入者。それを感じ取った瞬間、剣を引き抜き構える。しかもその構えは、隙の見当たらない綺麗なものだった。
 だが、その前に肉薄したウィルがひとり、続けて構えた直後を強引に切り崩したグレイスによってもうひとり、倒されていた。
「貴様ら、例の旅人か!」
 叫びながらも、騎士は武器を持つグレイスに斬りかかる。グレイスと剣を交えた瞬間、左右からサイモンとミスティアが襲いかかった。
「ちッ、炎よ!」
 騎士が叫ぶと、剣から炎が生まれる。それがグレイスを弾き、続けて、素手で襲いかかったサイモンたちの動きを止めた。
「素手で神聖騎士団の相手をしようとは、良い度胸だな!」
「じゃ、丸腰でもなかったら、どうだい?」
 背後の声に、騎士は咄嗟の判断で剣を振り下ろした。が、それはナイフの根元によって止められる。
「遅いぜ、あんた」
「なッ――!?」
 に、という言葉は、騎士の口の中から出られなかった。崩れ落ちる騎士の背後には、グレイス。
「そりゃ、前後から挟まれているのに後ろを向きゃ、隙だらけになるわ」
 呆れたように呟き、グレイスは剣を放り投げた。
「ほら、あんたらのだよ」
 どこからか見つけてきたそれぞれの得物を、ミスティアは投げ渡す。ただしウィルの斧だけは重くて持ち上がらなかったらしく、まだ壁のところに立てかけてあった。
「よし、これさえありゃ、何でもできるぜ!」
「早々に逃げようか。国外逃亡すれば、何もできまい」
「サイモン、なんか悪役っぽくなってないかー?」
「ほら。お喋りなんてしてないで、さっさと逃げるよ!」
 カチンとナイフを重ね合わせ、壁に突き立てる。ポン、という小さな破裂音と共に、壁の一角が崩れた。ひとりがギリギリで通れるか、くらいの、小さな穴だ。
「そんな小さな穴じゃなくて、もっと大きく開けばいいんじゃないのかー?」
「バカだね。そんな真似をして目立っちまったら……」
 振り向いたミスティアの目に飛び込んできたのは、斧を振りかぶったウィルの姿。
「ちょ、ちょっとあんた!? 何をしでかす!?」
「そーら!」
 ウィルが全力で振り下ろした一撃が、壁を轟音と共にぶっ飛ばす。
『なんだぁ!?』
『向こうの方だ!』
 外から聞こえてきたのは、騎士団らしき声。
「ほら見つかっちまったじゃないかー! あんた、何をしてくれてんだい!?」
「この方が早いだろー?」
「だー! もう、ケンカなんてしてる場合じゃねぇ!」
 真っ先に飛び出すグレイス、続けてサイモン。ウィルとミスティアも、慌てて外に出る。
「誰だ、あれは?」
「脱走か!」
 抜け出た場所は、塀の前だった。左右から騎士団のメンバーが次々と顔を出す。
「見つかっちまったか!」
 ミスティアは素早くナイフを重ね、お得意の白煙を撒き散らした。
「くッ、逃がすな!」
 慌てる騎士団を尻目に、グレイスは叫んだ。
「ウィル、壁をぶっ飛ばしちまえ!」
「おう!」
 気持ちの良い返事の直後、前方で響く爆音。空気の流れを確認し、グレイスは前に向かって駆け出した。
 サイモンたちがどこにいるのかは、わからない。とにもかくにも、自分が逃げ出すだけで精一杯だ。
「ま、あいつらなら、どーにかするだろ」
 強さだけはこの目で見ている。それを勝手に信じることに決めて、グレイスはひたすらに走った。
 白煙も抜け、丘を町に向かって走る。前を見つめるグレイスの目に、ふと、影が映った。
 ゆっくりと、足取りを緩める。前方に立ちはだかる人物が誰だか気がついた時、グレイスは足をぴたりと止めた。
「なんだ、君か。できればミスティアと会いたかったんだけどね」
 男は髪をきざったらしくかき上げる。グレイスは抜き身の剣を男に向けた。
「オレもあんたにゃ会いたくなかったよ……」
「そうか。意見が合うね」
 男も剣と盾を、それぞれの手に持つ。
「あんた、オレたちが脱走するってわかっていたのか?」
「言っただろう、ミスティアに関しては熟知しているんだよ、私は。彼女は今まで、一度たりとも真面目に反省したことはない。君らが偶然とは言っても同じ房にいれば、自分の脱走に利用するとは思っていたけれどね」
 方法もルートも、彼には完全に予想できていたらしい。だからこそ、ここで待っていたのだ。脱走犯が、自ら飛び込んでくるのを。
 グレイスは舌打ちひとつ、剣を持ち直した。
「ま、いいや。あんたには借りを返したいって思ってたしよ、ちょうどいい。ぶっ飛ばして、逃げさせてもらうぜ」
「いや、君にあげるよ。遠慮しておく」
「そう、つれないことぉ言うなよ! リット・ホーリビス!」
 剣を手に、グレイスは跳ねる。体重を乗せて振り下ろす一撃を、リットは盾で受け止めた。
 弾き、リットは自ら距離を置く。そこに、グレイスは追いすがった。
「そらそら!」
 続けざまに放つ斬撃を、リットは盾と剣で器用に弾いていった。
「やれやれ、どいつもこいつも、ケンカが好きだねぇ」
「先に吹っかけたのはそっちだぜ」
「……まあいい。無駄な議論だ」
 思い切り強くグレイスを弾く。体格の差もあって、力勝負ではグレイスに勝ち目などない。
 仕方なく、グレイスは大きく逃げた。互いの立ち位置が、剣の間合いから外れた。
 盾を前に、剣を後ろに。リットは独特の構えを見せた。
 一方のグレイスは、片手で剣を揺らしながら、腰を低くして構える。
「さて、君に後悔をさせてあげよう、グレイス。神聖騎士団の中でもエリートたるこの私に、勝負をしかけたことをね」
「そりゃこっちの台詞だぜ、リット。オレをただの旅人と思ったら、ケガじゃ済まないぜ!」
 さらり、と夜風が草木を揺らす。ふたりの間に、緊張感が高まっていく。
「君に勝ち目などないよ。君がルーンナイトである限り、これは絶対だ」
「随分と自信満々だな」
 リットは薄ら笑いを浮かべた。
「その理由は、戦えばわかるよ」
「そうかい」
 そして、ふたりは走り出す。互いの顔に、笑顔を張りつかせて。