「グレイス!? どこに行っていたんだ、君は」 宿営地に戻った途端、リットが慌てて駆け寄ってきた。 「悪いな、リット。ちっとばかり頭を冷やしてたんだ。 ――それより、その顔。何かあったのか?」 「ああ。魔族の軍隊を別の場所で発見したとの報告が入った。おそらくは、ブランドールに向かっているんだろう。理由は不明だが、幸いにも遠回りをしているようだ。その隙に神聖騎士団が先回りし、ブランドールの閃光騎士団と合流する。君も来てくれるか、グレイス」 「いいのか? 今さらかもしれないけどよ、あたしは部外者だろ?」 「構わない、私が許可する。正直、戦力はひとりでも欲しいんだ。念のため、ラブフランジェにも陣を敷く必要があるからね。動けるのは私たちだけなんだ」 「……そういう事情か。ちっ、面倒な戦いになるってわけかよ」 「おーい、グレイス!」 振り返る前に、グレイスの腰に何かが飛びついた。 「うおっ!? な、なんだよウィル。驚くじゃんか」 「グレイス、どこに行ってたんだよー? 心配したぞ!」 「え? あ、ああ、そりゃそうか」 何事も告げず、朝になれば仲間がいない。しかも、近くにはつい昨日、滅ぼされたばかりの都市。心配されるに決まっている。 グレイスは優しげな笑みを浮かべ、そっとウィルの頭をなでた。 「悪かったな、ウィル。次からは書置きでも残してから行くよ」 「うー、次からはオイラも連れてって欲しい」 「あー、さっきはひとりになりたくってな?」 「……グレイスは、オイラが嫌いなのか?」 じっと見上げるウィルの瞳は、子供特有の、純粋な色をしていた。その綺麗な瞳に、思わずグレイスは下がる。 「そういうわけじゃ、ないんだ。オレ……、じゃない、あたしも、ウィルは好きだよ」 「ホントか?」 「ああ。本当だ」 答えると、ウィルは本当に心の底からの笑みを浮かべた。 「えへへー。オイラもグレイスが好きだ!」 「うんうん。やっぱウィルは素直でいいなー。どっかの誰かとは大違いだぜ」 言って、グレイスはちらと視線をあげた。 リットはコホンと咳払いし、 「ウィル、グレイス。できれば私は急ぎたいんだが?」 「おー、怖い怖い。ったく、しゃあないか。行くぜ、ウィル」 「おう! 魔族退治だな!」 子供のように拳を突き上げるウィルとグレイスを、リットは細いまなざしで見つめていた。 紋章都市ブランドールは、交易などに使われる街道とは少し離れた場所にある。けれども、近くの山で良い鉄が採掘できるおかげで良質の武器の産地となっており、訪れる人は少なくない。また、その性質上、様々な騎士団とも交流の深い場所である。 都市の中は、緊張に包まれていた。その中で、グレイスたちはブランドールの守護を任されている閃光騎士団の長と会った。 「そうか……。ターナインまでも、やられてしまうとは」 私室の椅子に深々と座る中年の騎士団長は、残念そうに首を振った。 「実は、クインベルグも落とされたとの報を聞いている」 「馬鹿な! あのリリィナイツが破れたと!?」 騎士団長は重々しく頷き、 「私が聞く限りでは、奇襲を受けてそのまま、あっという間に落とされたらしい。周到な計画と、しっかりした訓練、それにかなりの優秀な人員を用意できなければ、これほどの策は成り立たない」 「――事態は、我々が思うよりも深刻かもしれない、ということか」 口元に手を当てるリットを押しのけるようにして、グレイスは前に出た。 「要するに、こっちも敵を警戒して、それでもぶっ倒せばいいんだろ?」 「それはその通りだが、できるかね。そんなことが」 「できる、できないの話じゃないだろ。やるんだ」 ぐっと拳を握り、グレイスは背中を向けた。 「おい、どこに行くんだ、グレイス」 「前線に行ってくる。戦場の様子は早めに見ておきたいしな」 「僕も行こう」 「オイラもー!」 グレイスに続いて、サイモンとウィルも部屋を出て行く。その後姿を見送り、リットはため息をついた。 「お前は追わなくていいのかなん?」 「私には他にもやらねばならないことがある。騎士の管理は私の務めだからな」 「そういう意味じゃないんだけどにゃー」 「では、どういう意味なのかな?」 頭の後ろで手を組み、ディックは視線を流す。 「懸命な神聖騎士様には説明するまでもなくわかると思うけどなん。まあ、気にならないってなら、オレとしては一向に構わないけどにゃ」 「暗黒騎士は、そういう感情を持ち合わせていないと思っていたが」 「それは、誤解だなん。オレらだって体も心も人間だ。ただ、普段は故意に抑えているだけで」 「……彼女は信じてもいい、と?」 「正確に言うなら、彼女には信じたいと思わせる何かがある、かなん。そう思うっすよね? 騎士団長殿?」 「先ほど出会ったばかりの私に意見を求められてもな」 苦笑を浮かべる団長に対し、ディックは笑って言った。 「だからこそわかるんす。付き合いの長さではなく、感覚のようなもので。だいたい、オレだって付き合いが長いわけじゃないっすよ」 「ふむ。そんなものかな」 団長はすでに閉じられた扉に目をやった。その向こうに姿を消した、ひとりの騎士を思い浮かべながら。 「……私は出会ったばかりだ。それを承知の上で感想を述べるなら、彼女は信頼における人物だな」 「どうして?」 思わず問うリットに、団長はグレイスの顔を思い浮かべた。精悍な顔つき、そして、何より。 「目、だな。彼女の目は、珍しいほどに光っている。濁りがないんじゃない、濁りさえも光に飲み込むような目だ」 「へえ。さすがは閃光騎士団の団長殿っす。よく見てるっすね」 団長はリットとディック、ふたりの顔を交互に見つめた。 「あの子は、大切にしてあげるといい。いずれ、ああいう子が必要な時代がやって来るだろうからな」 「重々、承知しているよ」 リットは背後に、扉に目を向けた。 そこを通り抜けていった、騎士の姿を追い求めるごとく。 グレイスたちは、都市の外周部に来ていた。 ブランドールに城壁はない。そのため、急ごしらえの堀に水を張って壁の代わりとしている。堀より手前は、木の盾がずらりと並んでいた。 「なあ、サイモン。ありゃなんのためにあるんだ?」 グレイスが指差す先では、人がふたりばかり通れる道が堀を横切っていた。 「あんなもんがあったら、攻め込まれちまうじゃんか。なんでわざわざ攻め入る隙を作るんだよ?」 「全てを堀で囲んでしまうと、敵がどちらから攻めるかわからなくなるだろう? ああいう道があれば、人は自然とそこを通りたがる。言うなれば、誘いの罠だな」 「そんなもんに正規の軍隊が引っかかるかぁ? 単純に堀を埋めるなりして攻めるんじゃねーの。明らかに罠なんだから」 「なに、気休め程度のものだろうさ。損はないが、わずかばかりに得がある。その程度のものだろう」 グレイスは堀を眺め、言った。 「なあ、サイモン。お前は勝てると思うか?」 「僕は戦争の専門家じゃない。これだけ本格的な戦いに参加するのは初めてだよ。ただ、今回の僕らは、この都市を守り抜くだけでいい。こちらから攻めるよりは、労力は少なくて済むはずだ」 グレイスは、そっと目を閉じた。 まぶたの裏に映るのは、砕かれたターナインの姿。壊れた家々、無残な死を遂げた人々。蹂躙された、街。 握る拳に力が入った。全身が、小さく震えている。それは一見すると、絶望的とも言える戦いを前に、恐怖しているようにも見えた。 「グレイス、怖いのか?」 心配そうに、ウィルが見上げる。グレイスは見返し、そっと頭に手を置いた。 「いーや。むしろ、今すぐにでも戦いたい気分だ」 口元に笑みを浮かべる。まるで、グレイスの全身から放たれる闘気が目に見えるかのようであった。 「どこのどいつだか知らねーが、人を殺して何かをしようなんて連中、絶対に認めねえ。そんな連中を、正面からぶっ飛ばせる機会なんだ。誰がビビるか、むしろ力が沸いてくるぜ」 腰の剣を引き抜いた。陽光の下、にぶく光を反射する剣は、どこか頼もしげな色を放っている。 「見てろよ、魔族! オレが、この手で! 決着してやる!」 「――グレイス。口調」 ぴたりと動きを止め、グレイスは剣を下げた。 「お前さー、もうちょっと空気を読めよ。ここはそういう場面じゃないだろ」 「感情に流されては意味がないだろう。どんな時でも気をつける必要はある。だいたい君は、常日頃から頭を使わなさ過ぎるんだ。だからイザという時に……」 「あー、もう、うるせえ! 行くぜ、ウィル!」 「待て、まだ話は終わっていない!」 「戦いが終わったら半分だけ聞いてやるよ!」 「せめて嘘でも聞くと言え!」 戦いの時間は、迫っている。 開戦の足音は、もうすぐそこまで来ていた。 |