アルビスは刃を手に、半歩、足を引いた。今までの彼とは明らかに違っている。 それは、不安の表れ。 冷静に考えれば、グレイスたちに反撃ができるとは思えない。息吹も斬撃も、全て彼の持つ魔力の壁が弾くのだから。 それを、グレイスは理解している。彼女は知識はなくても愚かでもなく、アルビスに自身の剣が通じないことは十分に理解しているはずだ。 なのに、あれだけの自身。とてもハッタリとは思えなかった。それが、アルビスの心にわずかな暗雲を呼び寄せる。 「何を、するつもりだ?」 「それこそ、敵にわざわざ教えるわきゃないだろ?」 「言っておくが、お前の攻撃は通じない。剣も魔も、全てを防いでみせよう。かかってくるだけ無駄だとは思わないか?」 「どうかな。こっちは勝算があると思って行動しているし、勝算がなくたって諦めるってのは性に合わねえ。素直に殺されることの美しさってのは、わっかんねぇなぁ」 「……そうか。ならば、仕方あるまい」 ギラリと無骨な剣を光らせ、アルビスは全身に力をみなぎらせた。 「お前の精神、我が刃で断ち切るのみ」 「できるもんなら、やってみろ」 「言われずとも!」 大地すら揺るがしかねない勢いで、アルビスは飛び出す。さながら、獲物を狙う獣の如く。 「させるか!」 ぶん、と振るう音。アルビスはちらとだけ視線を送り、すぐに戻した。 迫り来る石。それを、アルビスの持つ壁が弾く。ほとんど同時に、叫び声がした。 「ダイン!」 アルビスの視界を覆うように、コカトリスの息吹が飛び出した。それでもなお、アルビスは突撃を止めない。 ただひたすらに真っ直ぐに進むその前進は、淡い緑色の光に包まれている。彼を守る、魔力の壁だ。 絶対の自信を持つ壁。だからこそ直線的に突撃をすることはやめない。読まれやすいとわかっていても。 「――!?」 視界を横切る影、それに気がついた時には、もうすでに遅かった。 突き上げるように向かう刃を、アルビスは体をひねって強引にかわす。それでもかわしきれず、頬に細い線が走った。 思わず逃げようとするアルビス。その顔面を、さほど大きくない手がつかむ。 ぐっと力が入り、無理矢理に煙の外に追い出されたアルビスは、そのまま地面に叩きつけられた。 「ようやく、捕まえたぜ」 喉元に剣をつきつけ、アルビスの上で、少女は晴れやかに笑った。 「貴様……いつ気がついた?」 アルビスは憎々しげにグレイスをにらみ、言った。 「魔力壁は、ふたつの種類があるということに」 グレイスは、まるでイタズラを褒められた子供のように、自慢げに言った。 「気がついたんだよ。お前はダインの息吹を壁で防いでいた時、わざわざバランスが崩れるのを承知で槍を弾いたってことに」 それは、普段のアルビスであれば、おかしな光景であった。 「自分の壁に絶対の自信があるなら、いちいち攻撃を弾いたりする必要はないんだ。壁に任せりゃいいんだからな。それをしなかったってことは、できない理由があったんだ」 ふと、アルビスの口元に自嘲的な笑みが浮かんだ。 「あの刹那で、よくもまあそれだけ理解したものだ」 「つまり、お前の壁ってのは、魔力用と斬撃用、ふたつを使い分けていたんだ。そして、両方は同時に使えない」 コカトリスの息吹は魔力を帯びている。その魔力こそが、人の動きを奪う毒性を放つのだ。 アルビスの魔力壁は、この息吹を防ぐことができる。だが、代わりに、その間は物理的な攻撃に対して壁を張ることができない。 「だが……、わかっていたところで、普通、やろうとはせんだろう。確かに、魔法攻撃と物理攻撃を同時に行えば、私にダメージは与えられた。だが、そうと理解していたところで、コカトリスの息吹に自ら突っ込むなど、常人のする行動ではない」 「ワリィな、こちとら天才肌でよ」 「天才。なるほど、天才、か」 すっと目を閉じ、アルビスは小さく呟いた。それは誰かに聞かせようとした言葉ではなかったが、グレイスの耳には届いていた。 「そうか……。お前が、我らが魔王様が捜し求めていた愛でし子か」 「あ?」 眉をひそめるグレイスを見上げ、アルビスは皮肉げに笑った。 「グレイス。ひとつ、忠告しておいてやる。いずれ、魔王軍は全力でお前を殺そうとするだろう。我らが生きるために。仲間の身を案ずるのであれば、孤独の中を逃げ回るといい。そうすれば、お前は助からずとも、仲間だけは守れるはずだ」 グレイスに、アルビスの言葉は理解できなかった。抽象的で、何か大切なことを遠回しに伝えようとしている。その心だけがわかった。 対して、グレイスは一言。 「ばーか」 ただ、そう告げた。 「何が来ようが、ぶっ飛ばす。そんだけだ」 「そうか。なら、白い魔族には気をつけろ。奴は人も魔も喰らい尽くす」 「なんだよ。お前、ずいぶんと親切なんだな?」 言うと、アルビスは頬の筋肉をヒクヒクと動かした。 「なに、死前の土産だ」 ガッと刃を握る。グレイスは何事かと眉をひそめた。手甲の合間から血が滲み出す。 そのまま、本当に笑顔のまま、アルビスは己の喉を突き刺した。 鮮血が刃を曇らせ、生々しい液体がグレイスの頬に降りかかる。 「――なん、だって?」 それは、あまりにも鮮烈な生き方だった。 しばしの間、グレイスは呆然と、自分の剣を染め上げる血色を眺め続けていた。 遠目にも、アルビスが倒れ、血を吹いたことは見て取れた。 それは、軍勢の士気にも影響を及ぼす。将が倒れたことを知って早々と敗走する者、破れかぶれに斬りかかる者。そんな中、青い胸当てをつけた青年は、誰とも違う行動を選んでいた。 「嘘だ――」 彼の視界に、倒れた上官が映っている。つい先刻まで、彼の前で笑っていた男が、今は血を吹いて倒れている。 「嘘だっ!」 駆け出した。何かを考えていたわけではなかった。何かを考える前に、足が勝手に動いていた。 「おっと、こちらは行き止まりだ」 その前に、白い鎧を着た眼帯男が飛び出す。彼の行く手を阻むように。上官の姿を覆い隠すように。 「邪魔だ! 退け!」 「退けと言われて素直に引くのであれば、戦になど参加するものか」 荒々しい斬撃を、リットは軽々とかわす。そして、その純白の盾で、青年の体を突き飛ばした。 そのまま、回転するかのような動きで剣を振るい、青年の剣を弾き飛ばす。くるくると回る剣が光を反射し、地面に突き刺さった。 「死に急ぐこともないだろう、君はまだ若いんだから」 「うるさい! うるさいうるさいうるさい! 人間風情が! 隊長を、隊長を殺しやがって!」 「死にたくなければ、戦わなければよかったんだ」 「戦わなければ、よかった?」 唖然とする青年を見下ろし、リットは大きく頷く。 「そうだ。斬られたくないのであれば、斬らなければいい。他人にされたくないことは、自分もしなければいい。それだけのことだ。仕掛けなければ、彼とて死ぬ必要は欠片も存在しない」 たったひとつの眼球で、後方を見つめるリット。そこには、早くも血の海ができている。 「――けるなよ」 「ん?」 「ふざけるなよ」 リットは勘違いをしていた。 彼は、リットの言葉に感銘を受けたわけでも、感動したわけでもなかった。 「ふざけるな! お前らさえいなければ、戦わずに済むのに! 死なないでよかったのに!」 剣を失った戦士は、なおも拳を握って踊りかかる。リットは、その攻撃を冷静に受け止めた。 「なんだよ! なんでなんだ! 上から見やがって、くそッ! くそぉぉぉぉ!」 魂の底から響き渡る叫び声。リットは、瞳を細める。 「だから君たちは負けるんだ」 盾で思い切り殴りつける。昏倒し、青年は地面に倒れこんだ。 それを見下ろしながら、リットは独り言を呟いた。 「道を切り開こうともしないなら、甘んじて運命を受け入れるべきだ。それさえもできない君たちに、どのような勝利があると言うんだい」 それは、完全なる勝利の宣言であった。 逃げた兵は追わず、負傷した兵は敵味方を問わずに収容する。それが、リットの出した指示だった。 特に重症の大将は、念入りな治療が施された。もちろん、救うためという意味もある。けれど、それ以上の意味合いの方がはるかに大きかった。 敵の目的。部隊の編成。戦力の程度。司令官は誰か。 人間にとって知りたい情報は山のようにあり、それら全てに近しいのは、自決を図ったこの男だった。 三日三晩に渡る必死の治療。予断を許さぬ状況が長く続いた後、彼はなんとか一命を取り留めた。 目を覚ました彼は、まだ自分が生きていることに単純に驚き、続いてすぐに状況を理解した。 リットたちは、すぐさま口を割らせようとした。しかして、根っからの戦人である男は、頑強に口を閉ざした。 グレイスは詳しいことを教えてもらえなかったが、リットはかなり強引な手法を用いた。にも関わらず、男は頑として口を開かない。 そんな日が、さらに数日も続いていた。そんな、ある夜。 『それ』は、やって来た。 |