「ふう……」 「お疲れだな、リット」 椅子に深く座り込んで顔を伏せていたリットは、声に顔を上げた。サイモンが彼を見下ろしていた。 「まあ、疲れるのも無理はないだろうな。あいつはまだ口を開かないんだろう?」 「ああ。名前以外はだんまりだ。拷問にもぴくりとさえ反応しない。呆れるほどにたいした奴だよ。 もっとも、命に関わるほどの怪我人だから、あまり無理な拷問もできないんだが」 「他の連中は? 誰もがアルビスほど口が堅いわけじゃないだろう」 「無駄だな。詳しい話を知っている者が極端に少ない。 おそらくだが、敵の指揮官は各部隊が撃破されることを前提に組んでいるな。だから、機密事項は部隊を率いるクラスの者でなければ知らない。わかったことと言えば、ひとつくらいだ」 「……それは?」 リットは視線を下げ、聞いたままを口にする。 「『人間を殺さなければ魔族は絶滅する』だ。上位魔族が全軍を前にして言ってのけたらしい」 「魔族は絶滅する? どういうことだ。そもそも攻めてきたのは魔族だし、連中が戦を起こしたからこそ、こうして死者まで出ているんじゃないか。第一、我々に魔族を滅ぼすほどの力はないぞ」 「その通りさ。ただの方便とも取れるが――。それにしたって、おかしな部分はある。 ともかく、詳しいことを知っているのはアルビスくらいだろう。なんとしても口を割らせたいな」 そこで、リットはふと周囲を見渡した。 貸し与えられた宿営舎のひとつ、宿屋の一階は、標準的な宿と同じで食事ができるスペースになっている。そこには神聖騎士団の面々が思い思いに時を過ごしていた。けれど、その中にグレイスたちの姿は見えない。 「そういえば、他の連中はどうした?」 「グレイスとディックは剣の練習。ウィルはその見学だ」 「お前はいいのか?」 「なんで、僕まで付き合わなきゃいけない?」 リットの隻眼がサイモンを捉える。その目には、少々の呆れが含まれていた。 「君もいい加減、強情だな。そろそろ素直になったらどうなんだ?」 「何の話かな?」 「不和を起こされるよりはよほどいいが、変に想いを抱えすぎても困るんだけどね。ディックの方がよほど楽だ」 「だから、何の話だと聞いているんだが」 リットが呆れ混じりのため息をついた、その時だ。 バン、と大きく扉が開かれる。宿中の視線が、入り口に集まった。 現われたのは白い鎧を着込んだ青年。神聖騎士団のメンバーだ。 「た、隊長! 緊急事態です!」 「どうした」 返答しながらも、リットは立ち上がり、腰の剣を確認している。その他、気を抜いていた騎士団員たちも、それぞれに飛び出す準備を始めていた。 「敵襲! アルビスを奪われました!」 「敵は」 「逃がしましたが、まだ街からは出ていません! 外周部にはすでに見張りが立っています!」 「了解した。聞いていたな!? 総員、アルビスを探し出せ! 貴重な情報源だ、絶対に逃すな!」 リットの宣言と共に、慌しく騎士団員が宿から飛び出していく。リットもサイモンと顔を合わせ、夜の街に繰り出していった。 「なんだか、下が騒がしいな」 「やっぱ屋根の上で剣の訓練するのはうるさかったかなん?」 「……いや。そんな感じじゃなさそうだぞ」 宿屋の屋根の上という、ある意味で非常識な場所を用いて剣術の訓練をしていたグレイスたちは、急に外が騒がしくなってきたことに気がついていた。 「ウィル、なんて言ってる?」 「えーと、『逃げ出した、魔族、襲撃』?」 「――どうやら、アルビスの奪還をしに、誰かが街に潜入しているようだなん?」 「はぁん、そういうことか」 グレイスはふたりの顔を見る。頷き合い、屋根の上から飛び降りた。さすがにかなりの高さがあるので、グレイスはウィルの手を借りる。ウィルやディックは、ルーンの力を使って強引に着地した。 「バラバラに行った方がいいだろうにゃん。相手は重症のアルビスを連れているんだ、そんなに迅速には動けないだろうからなん。見つけたら、ともかく大きな声で仲間を呼べばいいだろなん?」 「よっし、急ぐぜ!」 「グレイス。相手は奪還作戦を実行するほどの実力者だぜぃ? 気を抜いたら、やられるかもしれないよん」 「わーかってるって! お前こそ気を抜くなよ! ウィルも、本気で行っていいぜ!」 「おう、任せとけ!」 「はっ、俺がグレイスに心配されるとは、なん!」 それぞれ、駆け出す。 グレイスは裏路地から裏路地を巡り、アルビスの姿を探した。あちこちから騒がしい声が聞こえてくる。 「どこに行きやがった?」 たたた、と駆けながら、人が通ったであろう痕跡を捜し求める。が、それもすぐに無駄と気づいた。騎士団の面々が好き勝手に走り回るせいで、相手の痕跡がどれだかわからないのだ。 「……ま、寄せ集めの混成部隊みたいなもんだからな」 仕方ないと諦め、闇雲に姿を求める。とは言っても、それほど広い町でもないし、捜索に走っているのもかなりの数だ。そうそう隠れきれるとも思えない。 「くそっ、どこに――うわっ!?」 角を曲がった途端、人影が視界を一杯に覆った。慌てて立ち止まるグレイスと同じように、相手も後ろに大きく跳びすさった。 「わ、悪い。って、あれ?」 月明かりが路地裏を照らしている。薄暗いが、対峙するその男は、グレイスにとって見覚えのある顔だった。 「お前、アイザードか!?」 「まさか、グレイスか!?」 腰に双剣をぶらさげた男。それは、いつぞやの墓場で出会った男だった。 「どうしたんだよ、アイザード。こんなところで会う、なんて?」 そして、グレイスは気づく。アイザードは、ひとりではないということに。 その後ろに立つ男。壁に手をつくことでようやく立っているその男もまた、グレイスには見覚えがあった。嫌というほどに。 「アル、ビス? なんで、こんなところに?」 アルビスとアイザードが一緒にいる。その答えはひとつしかないのに、グレイスにはそれを現実として受け止めることができなかった。 「どうして、え? なんで、お前たちが、ああ?」 「なるほどな。お前に、会っちまったか」 アイザードは無防備に頭を抱え、深々と息を吐いた。 「そうか。こりゃ、運命って奴なのか? だとしたら、俺は神様を恨むぜ。ま、そんなのがいるなら、だけどな」 アイザードは両腰の剣を引き抜く。鋭い刃が、アイザードの横顔を映していた。 「そこから退いてもらおうか、グレイス。剣を抜くな。そうすれば、オレたちは戦う必要、ないんだ」 「剣を抜くなって、おい、アイザード。嘘、だろ? 嘘だって言ってくれよ」 アイザードは瞳の色を揺らす。しかし、何も答えない。 「アイザード様。すでに?」 「ああ。すまん、アルビス」 「いえ。私も、同じですから」 双剣を構えるアイザードに隙はなかった。けれど、グレイスの目には、そんなものは映っていなかった。 「アイザード様。グレイスは剣に関してはかなりの腕です。それに、恐ろしいまでの勝負度胸もあります」 「だが、ルーンは使いこなせていない。だろ?」 「はい。やはり、ご存知でしたか」 「オレだって、伊達や酔狂でお前たちの上にいるわけじゃないさ。 この先に行けば、ソフィが待っているはずだ。あいつと合流して、さっさと逃げようぜ。オレも、ここには長居したくない」 ふたりの間で続く会話。それが、グレイスには遠い国の出来事のように思えた。とても、目の前で起きているとは思えなかった。思いたくなかった。 たった一度、会っただけ。それほど深い仲ではない。けれど、いつかまた、一緒に話せる日が来ると思っていた。あるいは、共に旅さえできるかもしれないと思っていた。こんな再会は、望んでいなかった。 「どういうことだ、アイザード。どうしてなんだ!」 剣を引き抜く。瞬間、アイザードの表情が変わり――それはすぐさま、元の色を取り戻した。 「わかってるんだろ、グレイス。アルビスほどの力を持つ魔族の上に立っている奴なんて、そうそういないってことくらいは」 激情に支配されつつあるグレイスとは対照的に、アイザードは冷めていた。冷たく、冷たく、まるで先日の男とは別人であるかのように。 いや、彼は確かに別人であった。以前の、一個人としてのアイザード・フレイワーではなかった。 ひとつの肩書きの下、責任と義務を負った、男の顔であった。 アイザードとグレイス、ふたりの距離が、じりじりと詰まっていく。緊張が高まっていく。その中、グレイスは混乱を叫びに換えた。 「アイザードぉ! どうして、オレがお前と戦わなきゃいけないんだ!」 「それが宿命だからだよ、グレイス。本当のことを言えば、残念だよ、オレも。お前とは、戦いたくなかった」 「なら、剣を引けよ! 戦いたくないなら、戦わなきゃいいじゃねえか!」 「お前が引けないのと同じ理由で、オレも引けないのさ」 譲れないものは、互いに同じだった。グレイスもそれは理解していた。理解しているのに、想いは止められない。 「そうだな。改めて名乗るぜ、グレイス。それが、お前らの礼儀なんだろ?」 「――嫌だ。嫌だ、聞きたくない!」 それを聞けば、もう後戻りできないとわかっていた。聞かずとも、すでに戻れはしないだろうが。 子供のように駄々をこねるグレイスを見たアイザードの瞳には、確かに温かみのある色があった。それを、意識的に塗り潰す。上に立つ者として、敵に見せられる色ではなかった。 「勝負だ、グレイス・フェイリアー。この、魔王軍統括軍団長、アイザード・フレイワーがお相手する」 ふっと、口元に皮肉な笑みが浮かんだ。 「魔王、アイザード。それが、オレのもうひとつの名前だ」 |